予告編ではあの独特の好さが伝わらない

大抵の映画は本編よりも予告編の方が面白いが、沖田修一の映画(だけ)は予告編よりも本編の方が断然面白い。言い換えるなら、沖田修一の映画は予告編が(いつもだいたい)好くない(褒めてるのか貶してるのか分からないかもしれないが、褒めている)。だから、今度の『さかなのこ』も予告編を見ただけで「きっとつまらないだろう」と判断するのは早計。と、自分に言い聞かせている。

「沖田修一の映画の好さは予告編ではまるで出ない」説は、さっき、我が「邦画部門オールタイムベストテン」にランクインしている『モヒカン故郷に帰る』の、その予告編をYouTubeで観て確かめたから間違いない。『モヒカン』の予告編もやっぱり、全く好くなかった。別に見なくていいよな、と思わせるような予告編。危なかった。考えてみれば、細野さんがエンディング曲を歌っているのに釣られて観たのだ。ありがとう細野さん。(繰り返すけど、貶しているのではないよ。『モヒカン』は少なくとも4周はしているし。「お恥ずかしい!」「持てるかねえ〜」「えさ?」「家族とかっぱ寿司に行くんで」「ち〜ん/ちんちん」ほら、いくらでも「名場面の名台詞」が出てくる)

理由はわかっている。沖田修一の作品の「好い」場面は、どれも「時間を食う」のだ。だから、予告編で、ぱっぱっぱとはやれないのだ。

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