『劇場版Gのレコンギスタ』①〜⑤:メモ

意識的かどうかはともかく、結果として、「ガンダム」で「タイムボカン」シリーズをやっている。(因みに、「ガンダム」で「カルピスこども名作劇場」をやったのが『∀』で、こちらは大成功だった。)

輒ち、
①「作者に守られている」感が全開の主人公たち(おかげで、殺し合ってるのに妙に能天気)。
②次々現れる「ビックリドッキリメカ」。それを悉く倒す、結局無敵の主人公メカ。
③愉しく通好みな「SFギミック」がてんこ盛り。

①と②のせいで、「他人」は死ぬけど、「自分たち」は死なない「戦争ごっこ」という印象が最初から最後まで続いた。ただただ③がやりたくて、適当なストーリーをでっちあげたって印象もすごくする。

全体の印象が「ギャグアニメ」なのも、「タイムボカン」シリーズに思える理由。というのも、戦争大好きの「愚かな」大人たちの言動演出(特に死に様)が、例えば、ドロンボー(ドロンジョ、ボヤッキー、トンズラー)のそれと変わらない。勿論、ドロンボーとは違い、『Gレコ』の「大人たち」は生き残れない。けど、「扱い」は「同じ」。

あと、これは「タイムボカン」説には当てはまらないけれど、とにかく、ラジオドラマかと思えるほど、全編「説明ゼリフ」だらけで、これは語りを端折っているはず(TV版は未見)の「劇場版」だからそうするしかなかったのか、「言葉で説明してやらないとわからないでしょ」という「子供をナメた」態度なのかは分からない。何れにせよ、「全ての漢字にフリガナが振ってある本」を呼んでいるのとそっくりの作品体験

運動選手と違って、創作者(creator)は、自身の「高齢化」の「実害」を自覚しづらいのだろう。しかし、出来上がった作品を第三者(鑑賞者)が見れば、高齢の創作者の作品からは、「高齢」の運動選手の「振るわない成績」や「お粗末なプレイ」に相当するものを強く感じることがある。勿論、「高齢化」が「害」を及ぼさないどころか深みになる種類の創作物はいろいろとある(画とか書と詩とか音楽とか)。しかし、映画やアニメのような、複数の人間が関わって作り上げるものは、創作者が「高齢」になると、「他人の邪魔」や「余計なお世話」を跳ね返しきれなくなって、「らしくない」作品が完成してしまうんだと思う。


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