『警視庁アウトサイダー』:メモ/最終回まで観た。

『警視庁アウトサイダー』の最終回をオモシロく観た。

(以下、ネタバレを含みます)


真相を、「サイコパス」や「狂信者」や「度外れな小心者」に「逃げなかった」ところが好かった。

最終回まで観ると、例えば、途中の回で、愛之助(のキャラ)がすごい剣幕で部下に掴みかかっていた(「俺はヤクザが大嫌いなんだよ!」)理由も、斎藤工(のキャラ)が妙に冷静沈着(というか冷淡)に見える理由も、ちゃんと筋が通っている。筋が通っているというのは、実はこのキャラは「サイコパス」でした、「狂信者」でした、「人並み外れた小心者」でした式の、ストーリー展開のためだけのいびつな人物造形をやってないということ。最初からずっとアカラサマに仄めかされていた「斎藤工が真犯人だよね?」が、ミスリードではなく、マジリードだったら、愛之助も斎藤工も、最後に「サイコパス」か「狂信者」か「度外れな小心者」の「本性」を晒すしかない展開になって嫌だなあ(見る甲斐がないなあ)と思っていたのだけれど、そうはならなくて嬉しかった。

主人公側の人間たちも、「敵」側の人間たちも、価値の重み付けに差異があるだけで、全員フツウの「善良」な人々になっていて好感。もうちょっと付け足せば、主要な登場人物たちは、全員、いざとなれば、キチンと「メタ認知・メタ思考」できる人たちなので、愛之助は新・エース(名前忘れた)に素直に逮捕されるし、濱田岳は斎藤工に10年分の恨み節をぶちまけたあとで、ブレーキベタ踏みで「です・ます」調に戻ることができる。

もう一つ。被害者(チカさん)は犯人に「余計な」一言を言ってしまったがために、犯人を「その気」にさせてしまい(私にだってやれる的な)、結果、命を落とすことになったわけだけど、チカさんの〔置かれた状況・人生展開〕なら、まあ、言うよね、言っちゃうよね、言わなくてもいいと自分でも分かっているのに、どうしても、あれは言いたくなるよねえ、と、視聴者に分からせるように描かれていたのも好かった。人間は、あまりに自分と違う立場の人間と「対立」関係になると、「価値の転倒」をやりたくなるんだよね。

追記:このドラマの愛之助や斎藤工のキャラは、『逆シャア』のシャアや『Twin Peaks The Return』のMr. C(悪いCooper)の系譜。

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