「マ・クベの壺は二つ」問題

岡田斗司夫ゼミを愉しく聴講した。ガンダム講座は「テキサスの攻防」の前半。スペースコロニーの回転やミラーの角度調整に関する解説を興味深く聞いた。一方で、ララァとアムロとシャアの「内面」については、相変わらずの「マセた中学生」のような解説で、まあ、ご愛嬌。

それよりも、オマケで言及したマ・クベの「いいもの(壺)」だ。たしかに、「良い音色だろ…」の壺と「アレはいいものだ!」の壺は、共通しているのは白い色だけで、形状はまるで違う。「いいもの」の壺は、言われてみれば「ハクション大魔王」の壺みたいだ。今日、岡田斗司夫に指摘されるまで、ずっと「良い音色」壺=「いいもの」壺だと思っていた。

すると、色々勘ぐれる。

まだオデッサに居たマ・クベが、指で弾いて鳴らした壺について、ウラガンが「は、良いものなのでありますか?」と訊いたとき、マ・クベは肯定も否定もしないで、単に「北宋だな」と答えている。一方、爆発寸前のギャンのコクピットでマ・クベは、「ウラガン、あの壺(ハクション大魔王壺)をキシリア様にとどけてくれよ、あれはいいものだ!(有名な台詞)」とはっきりと言っている。

いくら壺好きのマ・クベでも、しょっちゅうしょっちゅう(一年に二個も三個も)キシリアに壺を献上していたとは思えない。というか、崇拝するキシリア様には、よりすぐりにモノを献上したいはずだ。あの「ハクション大魔王壺」こそが、マ・クベがキシリアに捧げてもいいと思った壺で、オデッサでチーンと鳴らしたあっちの壺は、マ・クベにとっては、イマイチな壺だったのだ。

つまり、「良い音色だろ?」の真意は、「良い音色で、しかも北宋だけど、この程度の品ではキリシア様に贈るわけにはいかんよ」ということなのだ。だから、ウラガンの「良いものなのでありますか?」の質問を無視したのも、「こんな逸品の良さをお前はわからないのか」という無言の蔑みではなく(今日までずっとそうだと思っていた)、「一般的には良いものかも知れないが、私の基準からすればそうではないのだ。しかし、その理由をお前にいちいち講義している暇はないよ」という意味だったのだ。妙に、浮かない顔をしているのも、つまりは、キシリア様のための贈り物になりそうなものが手元に届いたら、「なーんだ、この程度か」とがっかりして、つい、指で弾いて「チーン」と鳴らしてしまったのが、あの、マ・クベ初登場の場面の「真相」だったからだ。「いいもの」だから鳴らしたのではなく、「不合格」だから指で弾いて「チーン」と鳴らしたのだ!

と鼻息荒く述べてみたけれど、久々の登場で、製作者が壺の形状を〔忘れてしまっていた/間違えた〕だけというのが、まあ、真相だろうなあ。このころの制作現場は「地獄」だったらしいからね。

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