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韓国の八田與一と独立記念館と従軍慰安婦像

韓国南部の大都市・大邱。東大邱駅からタクシーで15分ほど行くと、ボート遊びできるのどかな寿城池公園があります。その向かいの丘に韓国の八田與一こと水﨑林太郎氏のお墓がありました。

わりとひっそりと。でもきれいなお水やお花がお供えされていて手入れされているのが分かります。

ここは壽城(灌漑用水)池を築造し管理していた日本人 水﨑林太郎のお墓です。日本国岐阜県出身である彼は1915年開拓農民として大邱に移住し、壽城平野で花弁農園を営みました。
そんななか、新川の水が上水道に利用されるようになると、壽城平野に農業用水が不足してきました。
そこで、朝鮮人4人と友に壽城池の築造のため、水利組合の結成に取り掛かりました。
以後、慶尚北道と朝鮮総督府を説得し、事業費の支援を受け、1924年5月26日壽城水利組合を設立しました。
壽城池は組合の設立後、1924年9月27日から着工し、やがて1927年4月24日に完工しました。
1939年12月まで池を管理しているさなか、臨終を迎え、「自分が死んだら葬式や墓は伝統的な朝鮮風にし、壽城池が見えるところに埋めてほしい。」という遺言によってここに葬られることになりました。

と書いてありました。ぜんぜん知らなかったよ。友人(在日3世)に教えてもらわなかったら知り得なかった。


韓国中部、新幹線駅の天安牙山(チョナンアサン)から在来線で牙山(アサン)へ、さらにバスで1時間ほど揺られていくと広大な独立記念館にたどり着きます。

広い・・・・

とにかく広い。バスを降りてから入口まで10分以上。日本人だとバレないようにドキドキしながら歩いていると向かいから高校生の集団がわいわいとやってきます。

とにかく広かった・・・

メインゲートはなく無料。全部で7つの展示館がありました。

展示内容は、日本軍による抑圧の歴史。伊藤博文が演説をしているVRや拷問部屋の再現蝋人形などがありました。一部界隈が言っていた日本軍が少女を陵辱する蝋人形や従軍慰安婦につながる展示はありませんでした。文章や音声ではあったかもしれないし過去に存在して撤去されたのかもしれないけど。

第5展示館は、伊藤博文を殺した安重根や上海テロについての展示。

1932年4月29日、尹奉吉(1908~1932)は上海虹口公園で行われた日本の上海事変·天長節祝賀式典会場に爆弾を投げ、日本の大陸侵略の首脳部を処断した。

ウェブサイトより

どれもこれも日本軍がしてきた事実だし日本人としてしっかり反省しなければいけないと思います。界隈の人達が騒いでいたような残虐な展示はありませんでした。靖国神社の遊就館の展示も客観的だった。某護国神社とか某護国神社の方がよっぽど・・・。左側の人も右側の人も自分の目で確認してから騒ぎましょう。ちなみに最後の第7館の出口のところで5~6歳の男児がお母さんに「イルボンカセヨ~(日本行こうよ)」と言っておりました。


ソウルから南に1時間ほど行った世宗(セジョン)市にある世宗湖水公園

高層ビルの建ち並ぶエリアの市民公園。朝9時過ぎに行ったのですが、アジュンマ達がサンバイザー&サングラスで仲良くウォーキングしてたり短距離やテニスの練習する人で賑わう空間でした。

そのメインエリアの中央に平和の少女像がありました。まったくの偶然の遭遇・・・調べてみたら、従軍慰安婦像が設置されているのは高句麗だったエリアに集中している模様。新羅だったエリアで一番の都会の大邱には水﨑林太郎氏のお墓。単なる偶然なんでしょうか。