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#ミックスの主張 : 初対面カードを作ってみた。 【ミックスの方へ】

こんにちは、あんなです。
先日、私が持ち歩いている「初対面カード」に関するツイートが、たくさんの方の目に触れることになりました。

数えきれないほどの方からリプライ・引リツ・エアリプを頂きました。
一人一人にお答えすることは到底できないので、このnoteをもってお返事とさせてください。

一つのnoteにまとめると長くなってしまいそうなので、今回は、以下の3回に分けてお返事させて頂きたいと思います。

①ミックスの方へ
②共感してくださった非ミックスの方へ
③共感できなかった非ミックスの方へ

では、どうかお付き合いくださいませ。

ミックスの方へ

私のツイートをみてくださった多くのミックスの方々からは共感のお声を頂きました。「自分もうんざりしていた。」「カード、自分も作ろうと思う!」「自分もこれらの質問に傷ついていた。」等、たくさんの方に仰って頂き、ああ、自分は一人ではないのだな、と改めて知ることができました。

一言でミックスと言っても、我々は非常に多様なグループです。父母のどちらかが日本人で、もう片方が外国人ということ以外に我々を繋げる共通性は少ないです。

父母のどちらが外国人か、どの国とのミックスか、住んでいる国はどこなのか、どこの言語が喋れるのか、周りに似た境遇の人がいるのか、兄弟がいるのか、男なのか女なのか。これらの違い全てで、各々の経験は異なってくると思います。

私はというと、お父さんがアメリカ人(白人)で、お母さんが日本人。日本語と英語が喋れて、今は日本に住んでいるけどアメリカにも住んだ経験あり。兄弟は年の離れた弟がいるけど、そんなに親しくない。周りにミックスの人は殆どいない。

この私と、例えばアジア系のミックスの人、アフリカ系のミックスの人、日本にしか住んだことがなく日本語しか喋れない人、外国人の親と繋がりが途切れもう片方のルーツとのコネクションが殆どない人、外国に住んでいて日本の経験が全くない人とは、同じ経験をしているとは言えないでしょう。

アジア系のミックスの人は、私のように外見ですぐにミックスだと悟られないため、私ほど色々と知らない人に質問責めにされることは経験しないと思います。しかし、その裏で自分は違うのに日本人と同視されてしまう苦しみがあると思います。

非白人ミックスや、外国語が喋れないミックスは、所謂「残念ハーフ」と呼ばれて、腹立たしい思いをしていると思います。(私はその言葉が大嫌いなので、根絶させたいと思っています。)

その各々の違いを踏まえて、以下ミックスの方々からいただいたコメント・質問にお答えします。

「同じような経験をしたことがある。 共感する。」

このツイートをして一番多かったのは共感の念でした。自分が一人ではなかったと知ることができて嬉しい反面、まだまだ問題は根深いなと痛感しました。

とくに非東アジア系のミックスの方々は、私のように外見からミックスであることがわかられてしまうため、共感してくださる方が多かったように思います。

もう一つ加えると、所謂”先進国”に住んだことがある方は、そこで人種の扱いの社会的な規範に接しておられるので、「ハーフですか?」と聞かれることの何がいけないのか、より具体的に理解されている方が多かった印象です。(先進国の方が多人種と触れる機会が多いので、人種の扱いにおける規範が共有されている国が多い。)

「自分は気にしないけど、そう思う気持ちはわかる。」

共感の中のサブグループに、「自分は気にしない」という方がいらっしゃいました。

しかしこの「自分は気にしない」というのも、慎重に考えなければいけません。「自分は気にしない」という方々の中には「聞かれすぎて慣れた」という意見が多くみられました。

これは本当に「気にしていない」のでしょうか?慣れてしまう前の自分はどう思っていたのでしょう?
「聞かれすぎて」その質問に感情を湧かなくなったというのは、おそらくその質問があるか無いかでいったら無い方が良いのだけれど、聞かれた際には感情を殺して、定型文を答えるようになり、そのうち感情も湧かなくなったのではないでしょうか。

自己防衛のために感情が湧かなくなったというのは、自分にとって嫌な発言を、する側ではなくされる側の努力で嫌悪感を消したということになります。私は、それはが正しいとはどうしても思いません。
(自己防衛のためにそうしている人を攻めているのではなく、そうさせた社会への疑念です。)

そう思ってらっしゃる方の感情をこれ以上ほじくるつもりはありませんが、一度「慣れる前の自分」に思いを馳せて頂きたいな、と思いました。

「会話の緒になってむしろ便利。」

こう思われる方は、大人の方が多かった印象です。日本社会で働いて数年経っておられる方や、むしろ自分のルーツを使ってお仕事しているような方(モデル業等)。

ミックスであることは、日本では珍しい存在です。それをビジネスチャンスに替えられる機会は多々あるでしょう。
それに、「ハーフですか?」と聞いてくる方々の多くは悪意がありません。それは私もわかっています。

しかし、これによってちやほやされることは、上野動物園のパンダと一緒です。私たちは自分が人間だと言っているのに、どうにも扱いはパンダ。

「かわいいねー!お目目が特徴的!」
「へー、そういうもの食べるんだ!」
「なんだか動きがたまに人間(日本人)っぽい!」

確かに会話の緒になるかもしれないし、それをお金に替えることだってできる。しかし、それを利用することによって、自分がどのような扱いを受けているのかを今一度考えてみてください。パンダであることを受け入れてしまった方は、感情を抱かずにビジネスにどんどん活用することの何がいけないのか、と思うかもしれません。
しかし中にはパンダ扱いと戦っているミックスルーツの人間もいます。それは踏まえておいてください。

ーーー

アイデンティティクライシスについて

話がそれますが、これ以上話を続ける前にアイデンティティクライシスについて少し説明させてください。
ミックスルーツの人間は(日本以外のルーツの人も)必ずと言っていいほどアイデンティティクライシスに陥ります。

アイデンティティクライシスとは、心理学者エリック・エリクソンによって発案されたコンセプトです。彼自身も、母親のユダヤ系ルーツとは対照的な自分のスキャンディナビアンなルックスで悩んだそうです。

自己同一性(アイデンティティの獲得)とは:『自分は何者か』『自分の目指す道は何か』『自分の人生の目的は何か』『自分の存在意義は何か』など、自己を社会のなかに位置づける問いかけに対して、肯定的かつ確信的に回答できること。
ー心理学辞典(1999)

アイデンティティは青年期(心理社会的モラトリアム)にその土台が作られます。青年期(特に青年後期)は、それまでの発達段階でのパーソナリティの形成の総決算の段階であり、社会の中での自分の役割や位置づけについての自覚を見出していかなければならりません(河合隼雄ら、1983)。ミックスルーツであると、この形成期にシングルルーツの子供よりも多くの課題を背負わなければいけません。これが、難解なアイデンティティクライシスに繋がります。

エリクソンの研究に続き、ジェームス・マーシャはこのアイデンティティクライシスの帰着に4つのものがあると提言しました。

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ミックスルーツである人は、”モラトリアム”から抜け出すのが難しいです。それは、シングルルーツの人間よりも考えなければならない項目が多いので当然だと思います。

しかし、中には早期完了型のミックスルーツがいることを、今回のツイートで発見しました。自分のアイデンティティをexploreしていない・しきれていない人たちです。無意識の間に考えの放棄しているかのように感じました。

ミックスルーツであることを、考えれば考えるほど自分が何者なのかがわからなくなってきます。この「考える作業」というのは苦痛が伴うものです。それをせずに、表面上のミックスであることさえ受け入れてしまえば、心理的に楽になります。これをしている人が多いのではないかな、という印象でした。
(決して一個人を診断している訳ではなく、私の個人的な見解です。)

なので、「気にしていない」という方々の中には、この早期完了型の方がいるのではないかな、というのが私の仮説です。

「羨ましがられて嬉しい。」

「羨ましがられて嬉しい」という言葉には、嫌悪感しか抱きませんでした。この言葉を分析しましょう。

”ミックス”であることを羨ましがられるというのは、自分の”血”を羨ましがられているのです。これは、私たちが努力して得たものではなく、ただのDNA的構造です。
どうして多数の血が入っていることが「羨ましい」のか。それは日本社会が抱く西洋コンプレックスからきています。

この世に羨ましがられるべき人種はありません。人種を元に人のバリューを測ることは、ナチスの人種差別主義にも繋がり得る危険な思考です。

ヒトラーはスピーチや文章によって、人種的「純度」および「ゲルマン民族」(彼が言う「支配民族」アーリア人)の優位性という彼の信念を広めました。彼は、いつか世界を制覇するためには人種の純度を保たなければならないと断言しました。ヒトラーにとって理想的な「アーリア人」とは、金髪で目は青く背が高いことでした。
ーThe United States Holocaust Memorial Museum

「金髪」「青い目」「高身長」はまさに、日本で「羨ましがられる」ミックスの特徴ではないでしょうか。

中には、「いやいや、個人の話をした上で羨ましいと思われたのでは。」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、「初対面」の設定であることをお忘れにならないでください。

私の個人的な経験でも、以下のような会話は何度もしたことあります。

「すみません、もしかしてハーフですか?」
「はい。」
「えーすごーい!羨ましい!」

この会話において、相手は私がミックスであること以外に私の情報は知りません。なのに、「羨ましい」という言葉がとっさに出てくるということは、日本人が持つ西洋コンプレックスを表しているのです。

「私はハーフだと羨ましがられるから嬉しい。」という言葉の裏に、どのような危険な思考があるか、今一度考えて欲しいです。

「相手が私に興味を持ってくれているので嬉しい。」

私は人嫌いなので共感できませんが、人に興味を持ってもらえることは一般的に嬉しいことですね。
しかし、我々の人種を聞くことが、本当に個人に対する興味と言えるのでしょうか。

繰り返しますが、これは初対面での会話です。
私の個人的な見解では、「ハーフですか?」等聞くのは、私に興味があるのではなく、不可解な点をクリアにするための質問です。
コーヒーを飲む前に、「これ甘いですか?」と聞いて、安心してから飲むような感覚。

そのあと続く会話は、本当にあなた個人に対する質問でしょうか?
一通りの定型文の説明を終えたあと、その人はあなたのことを深く知れましたか?

あなたの趣味、あなたの興味、休日何をしているか、どんな音楽が好きか、なんの勉強をしているのか、どこで服を買っているのか、映画は好きか、好きな料理は何か。10分以上話しても、これらの会話にはならないんじゃないですか?

ハーフですかの会話のあと、彼らの中に残るのは、ただあなたがミックスであることだけです。

これを「自分に興味を持ってもらっている」と解釈するのは、少し違うように思います。

もちろん、話す相手や状況によって答えは変わってきますので、それは各々自己判断すれば良いと思います。嫌悪感を抱いていないのなら、あえてそこで「嫌な気持ちになれ!」とも思っていません。

もし今まで考える機会がなかったのであれば、私の視点も含めて考えていただけたらなと思います。

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まとめ

ここまでで、自分の主張に的確な答えが無かったミックスの方々、申し訳ありません。

ミックスであるというだけでは、なかなか知り合える機会がありませんが、ネットという空間で少しでも繋がり、一人じゃないんだと知ることができれば嬉しいと思っています。その上で、何かハッシュタグを考えたいのですが、何か良いアイディアはありますか?
#ミックスの主張 とかはどうでしょう。ダサい?笑
とりあえずこれでいきたいと思います!

質問がある方、自分の経験をシェアしたい方、ぜひこのハッシュタグでツイートしていただければと思います。

最後に。

私のカードに対して、「自分はこんな風に思わない。こいつが卑屈だ。」とおっしゃる方が数人いらっしゃいましたが、ご覧になればわかるように共感してくださる方の方が多かったです。
あなたはたまたま自分のルーツに対して悩んだことがないのかも知れない。でもそれはミックスルーツを持つ人間としてはとても珍しいことです。
自分の意見を表明されることは結構ですが、私の人格を否定したり、このように思うことが馬鹿げていると言うことは間違っています。
私のみならず、同じ悩みを抱えているミックスの人から声を奪うことになってしまうからです。

どうかそのようなレトリックを使うことは今後控えてください。

引用先:
Identity Crisis
青年期の自我同一性の達成に関する研究動向-現代日本における同一性形成要因を探る-
ナチスの人種差別主義





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