居宅サービスから通所サービス、そして入所サービスへ (4)

居宅サービスなんだかお手伝いさんなんだか良くわからない数か月を過ごしていたら、明後日の方角から「デイサービスで働いてみないか?」と言うお話が来た。ディって何だ?とか思いながら、話を聞きに行くと「体操を中心に認知予防を重点的にする介護施設」だと聞いた。朝迎えに行って夕方送り届け、昼食とおやつを出し、入浴サービスをする施設と聞いて、良く意味がわからなかった、って言うかどんなニーズでそうなる?って思ってた。

その頃から、本気で『介護』とは利用者の為ではなく、家族の為にするものなのだろうと感じていた。その手段のひとつが日中の数時間、家族の手から介護を預かるんだなぁ、と考えていた。また、私の目的である実務時間を貯めるにはやはり居宅サービスだけだと効率が悪いので、日々毎日時間を貯める働き方をしないとダメなんだろうと正社員で働くことにした。正社員と言われていたけど契約社員だわね、あの働き方は。そこで初めて世の中の介護士のお給料って介護保険から国が出していると言う事実を知って、愕然とした。

それまでの私は実費サービスだったので、介護職としては時給換算で高いお金を貰っていたと思う。それが、介護施設の職員となった途端に、全国一律どいつもこいつも基本給一緒!みたいなお給料になった。世の中の人はどうやってこれで生活をしているんだろう、結婚している人とか大丈夫なのか?子供を育てられるのか?とこの国の問題が見えたような気がした。そして知るのである。資格手当と言うものがあると言うことを。ここでも介護福祉士やケアマネの資格を取るとその資格によって加算がある。でもね、実際の所その差額たるや目くそ鼻くそで笑う額だったりする。私が働いていたデイでは送迎をする人としない人では差があったが、月末に300円とか500円増えるだけだった。

介護職って、医者とかと違って命をどうこうする仕事では無いけれども、それでも、相当なリスクを負わされていると私は思っている。それなのに、あの額はいったい何なんだと思う。そりゃ、誰もなりたくないわ。挙げ句の果てにサービス残業多いし。

2013年の10月から時間の有るときは実費サービスのヘルパーをやりつつ、ディサービスで働くことになった。家から自転車で10分程度で行ける施設だったので通勤も自転車。歩いても20分も掛からずに行ける場所だった。土地勘もあるので、送迎にもたいして困らないことはあったけど、時間に追われて一部だけ一通の道を横切って違反切符も切られた。

私のいたデイは前述の通り体操を午前・午後行うデイだった。私達3台の車が車で利用者をそれぞれ迎えに行き、残ったヘルパーとナースで到着した人からその日のバイタルを計り、お茶を出し、全員が揃った所でお風呂組と体操に1人、そしてもう1人がお昼の用意を始めるというキツキツのシフトだった。体操はデイサービスの母体がどこかの体育大学と一緒に作った体操とか言うものだが、それだけでは時間が余ってしまうので軽いストレッチとか色々考えながらやらなければならなかった。

お風呂も体操も必ずやりたくない、放っておけと騒ぎ、噛む・蹴る・引っ掻くをする人も中にはいた。私は「嫌なんだから放っておいてあげれば良いのに」と思うのだが、家族にしてみればケアプランに組み込まれていて、加算もされているものなので、ちゃんとやらせてくれと言う。それに、何もしないで自分の席で寝てしまうと昼夜逆転が酷くなるので、とにかく起こしておいてくれと言うのが大抵の家族の希望だった。お風呂に入らせるために時には2人掛かりでの説得・対応も人手を奪う結果となって、午後になっても入浴が終わらないことが多々あった。

午後は午後で、昼食の後、嚥下の体操、何とかの体操をした後、ヘルパーが交代でレクリエーションをしなければならなかった。これは本当に嫌だった。だって、70,80,90歳を超えた人にとって何がレクリエーションなんだか私には良くわからなかった。レクリエーションの本とかを見て研究しろとか言われたけど、果たして自分が70,80,90になったときに塗り絵とかしたいかね・・・と思ったのである。だから私のレクリエーションはいつも破壊活動みたいなものばかりだった。

オムツとかトイレットペーパーとか配送されるときに入ってくる大きな段ボールを組み立てて、巨大なロボットみたいな人形みたいな物体を作り、置き場をある程度不安定にして、リハビリに使うバランスボールの大・中・小を使って点数競争にしていた。私の巨大な物体は「サラヤちゃん」と言った。消毒液とか衛生商品のメーカーの名前で箱に大きくサラヤと書いてあったから。 このサラヤちゃん、私がデイにいた2年6ヵ月の間、本当に活躍してくれた。

ディサービスの利用者は自立の方が多い。自分で杖をついたりシルバーカーやウォーカーを使って歩く人も、スタスタ歩き回る人もいた。全員、どこかなんかすっとぼけているんだけど、「自分はイケテいる!」とほぼ全員が思っていた。だからこそ、童話を歌うのではなく彼等が若い頃に流行った歌を歌ったりしてあげたんだけどね。大正終りあたりから昭和20年ぐらいの歌って結構覚えた。 でも、時代は変わり、老人も変わる。奴等はザ・ピーナッツだとかグループ・サウンズなのに、未だに訳のわからん歌でお茶を濁そうとしているディって良くないと思った。

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