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圧倒的情報弱者、大地に立つ


僕は、人間は人間である以上、モノではなく、ヒトであるべきだと考えています。

コップのように
その場から動かない生き方、今に満足した生き方
ではなく、

二足歩行の動物らしく、
不安定になりながらも一歩ずつ前に進み1日1日違う景色を見る生き方
が僕はしたいんです。

生まれた時から25年間、決めつけの強い圧倒的情報弱者だった僕が何故そんなことを考えているのかを前回と同様にルーツを交えながら書いていきたいと思います。

1.できないはやらない、できるしかやらない

僕は、小さい頃から言われたことをうまく出来ずに怒られてばかりの子どもで、好きなことだけをとことんする子どもでした。

幼少期の頃は玩具のウルトラマンと遊ぶことが日課で、ウルトラマンに関する情報は全て吸収するほどでした。
またアクロバティックな動きが好きで、暇さえあれば側転したりその場で回っている変な子でした。

人に言われたことができない僕は、自分のできることだけをするようになっていきました。

小学生になるといろんな子と関わることが増えてくる中、小学校に上がる前に人と関わることをおざなりにしていた僕は、うまく人と仲良くなることができませんでした。

どうやったら人と話せるかな、自分に興味を持ってくれるかなと考えてあみ出したのが悪戯やお笑いの真似事でした。
勉強は全くせずに授業中にふざけていた傍迷惑な子どもでした。

小学生になると、休み時間にいろいろなスポーツに触れる機会が増えていきます。
そんな中、サッカーはうまく球が蹴れない、バスケットボールはドリブルができない、だからできない。唯一楽しいと思えたことは投げること、ドッジボールでした。

小学3年生になると友達が習い事を始め、その影響で野球を始めることになります。野球の投げる、打つはすごく楽しかったのですが、守備がとても下手で苦手でした。
肩が強いという理由でポジションはサードになりました。
守備が下手なのによく球が飛んでくるポジションになったせいで、試合では相手チームの監督やコーチなどに「サード狙え!!」とよく叫ばれていました。学年が上がり、レギュラーになると野球嫌いに拍車がかかりました。

それでも中学校に上がると、まだ僕は野球を続けます。何故かというと、僕には野球しかないと決めつけていたからです。

2. 目標を掲げ進む

高校に進学すると、投げるができるスポーツ、ハンドボールに出会い、ハンドボール部に入部します。

ハンドボール部は入学するけど前年度にインターハイに出場していて、2つ上の先輩もインターハイ出場を目標に掲げて厳しい練習に励んでいました。

2つ上の先輩方が県大会を優勝しインターハイに出場した姿はとても衝撃的で、自分もそうなりたいという衝動に駆られ、レギュラーになるべく自分の強みのシュートをひたすら練習しました。

優勝したらまた違う景色が見える、その景色を見たくてひたすら練習しました。

2年生の時は春の選抜インターハイにレギュラーで出場を果たしました。
1年生の時に観客席で見たインターハイと、自分で舞台に立って見たインターハイの景色は全く別物でした。常に県大会で優勝していたのに、2年生の時は夏の県予選で決勝で敗れ夏のインターハイ出場を逃してしまいすごく悔しい思いをしました。

3年生になってもなかなか大会で勝てず、仲間とぶつかることも増え、苦しい時期が長かったです。それでも前に進み続け、夏の県予選で優勝し、インターハイに出場することができました。

毎年インターハイ出場を決めることができたのは、大きな目標を掲げ進んでいた先人がいたからだと思います。成し遂げた時の感覚を肌で感じることが出来たからこそ、自分もなれる、そうなりたいと思えるようになって辛いことも乗り越えられたんだと思います。

3.知らないが多すぎる大学生活、社会人生活

僕は理学療法士になるために、医療系の大学に進学しました。そこでは、人体の仕組み、理学療法という専門的な分野を重点的に学びました。

大阪で理学療法士として病院で働き始めると、目の前の患者さんをよくするために日々仕事に追われ、仕事終わりも勉強会、休みの日もお金を払い技術向上のために勉強会に参加するという仕事漬けの日々を送っていました。休みもシフト制だったため同期と休みが合わず、退屈な休みでした。

思い描いていた楽しいと都会生活はそこにはなく、

ただ家と職場を往復する生活

になっていました。同じことの繰り返しをするとあっという間に2年経っていました。

3年目なると職場以外の人と関わる機会が多くなりました。いろんな職種の方と触れ合うことで知らないことが沢山あり、自分は小さな世界で生きていたことに気づいたんです。

4.知識のなさが自分を小さくする

僕は25年間、できないことはやらない、するとしたら一つのことを無意識に選択肢過ごしていました。

学生時代は、できることをとことん追求し、高校生活では大きな目標がある中で目標を達成するという経験ができました。

ですが、今になって思うともっといろんなことにチャレンジしたらよかったと思うことが沢山あります。

何故かというと、嫌いでやらなかったサッカーですが、今はフットサルに熱中しています。
できないを乗り越えた先に楽しいがあることを知ったからです。

決めつけが多くなる理由は知識の少なさからきていると思っています。知識がないために、さまざまなシチュエーションができていないんです。


決めつけは可能性を殺します。


もっといろんな知識を集めるべきだと思います
リアルな知識、情報は人が運んできます。ネットを見て家でゴロゴロするのではなく、一歩踏み出していろんな経験をするともっと人生が豊かになると信じています。

大きなことを成し遂げるには1つのことに集中しなければなりません。

ただ、何も知らずに1つのこと(mono)に没頭するのはリスクだと思います。

カチカチの頭を解放し、柔軟な頭でなりたい自分になるために、まず自分を知ることから初めて、いろんなことを学んで行くことがヒトとして生きる第一歩だと思います。

今日もまず一歩踏み出したいと思います。

見ていただきありがとうございました。

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