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余命1週間、僕がすること

「もしも余命1週間なら、あなたは何をしますか?」


この問いの答えを書いていきたいと思います。
僕が5体満足で動けることが前提です。


僕は残りの一週間はセミが羽化して全力で動き出すみたいに、思い残すことのない時間を過ごします。

僕が残り一週間ですることは

家を出て即座に自然豊かなところに移動する。
毎朝瞑想
毎日動画投稿
ライブ配信
大切な人に手を握ってもらいながら死ぬ

1.毎朝瞑想、自然豊かなところに移動する。

僕は余命が残り一週間しかないと分かったなら毎日朝起きた時に心を整えます。それも、自然に囲まれた静かなところで。

僕は一時期公園の遊具で寝ていたくらい外で寝ることが好きです。
外で横になった時の解放感がたまらなく好きなんです。
自分を縛っている様々なことから解き放たれるのが自然の中だと気づいたんです。

残りの一週間は海、森が目の前に広がるところを転々とします。話しながら車を運転したり、助手席でまったり外の景色を見ながら。
行くところは伊勢志摩の海が広がる高級ホテル、熊本の秘境にある旅館、洞爺湖が見渡せるホテル。行くところがたくさんです。
家から持って行くのは連絡を取るための携帯、動画配信のためのパソコン、生きるための財布、お気に入りの服だけです。

僕は死ぬまでの一週間を最高に穏やかに生きたいです。
でも、いざ残り一週間しかないと分かったら頭の中でいろいろ考えてしまうんじゃないかなと思います。
なので、朝起きたらまず心を整える時間を確実に確保して最高の朝にします。


2.動画投稿

瞑想をしたらすぐ僕は動画を撮影してYoutubeに投稿します。

内容は
残りの1週間をどう過ごしたのか、何をしたのか、
何を感じたのか、何が起きたのかを編集なしの赤裸々動画

にします。

朝起きて瞑想するところはもちろん、1日のスケジュールの発表から始まります。
自己紹介をして、今までに至った経緯を話して何気なく一週間を過ごす。ホテルからホテルまでの移動中の景色を撮ったり、美味しいご飯を食べているところを撮ったり。
この時は一番自分の事だけを考えて生きることができていると思うので、思ってることをノンブレーキでしゃべり続ける動画にします。

また、感謝の気持ちを込めて大事な人、友達の他己紹介をして、好きなところを話しながら感謝の気持ちを伝えたいと思います。


なぜ赤裸々動画を投稿しようと思ったかというと理由は大きく2つあります。

1つ目は
命の終わりが目の前にある人間の生き様を見て、少しでも誰かの人生観に影響を与えられたらと思ったからです。生きることに向き合う人が増えてくれたら嬉しいなと思ったからです。

この時の僕は悔いのない人生を生きているのか、悔いのある生き方をしているか分かりません。
ただこの僕が過ごした動画の一週間は何気ない一週間とは全く異なるものになると思います。
僕のために来てくれた友達だったり、大事な人、僕の言葉、表情、感情が日頃見えるものとは全く違うモノになるんじゃないかなと思うんです。

2つ目は
少しでも僕のことを誰かに知ってもらいたいと思ったからです。
僕がこの世からいなくなるだけでは寂しいので、少しでも僕のことを知ってくれる人がいてくれたなら嬉しいなと思うんです。
また、僕に関わってくれた人がどれだけ素敵な人かを知ってもらいたいからです。僕の周りにいる人が一定の人にしか知られず一生を終えるなんて勿体無いと思ったからです。
なので、形になって残るもの、誰かに見てもらえるものを残したいと思いました。


3.ライブ配信

3日目の夜、焚き火をしながら投稿した動画を見てくれた人、ふと配信を見てくれた人に向けてライブ配信をします(何人見てくれるかわかりませんが笑)。

内容は主に質問コーナーです。
見てくれてる人のどんな質問でも答えようと思います。

余命4日の人間が何を考えているのか、どんな生き様だったのかなど、いろんなことに答えていきたいと思います。

ライブ配信をしようと思った理由は、余命4日の人間に質問するという体験はなかなかできないことだと思いますし、質問を受けることで、僕の自己内省にも繋がり自分だけでは気づけなかった感情や、出来事を思い出せるかもしれないと思ったからです。ライブ配信をすることで、お互いWIN-WINになれるかなと思ったんです。


4.大切な人に手を握ってもらいながら死ぬ

最後の日を迎える時、それはどこかのだだっ広い人通りの少ない庭にある二人掛けのベンチ。
大切な人と僕は左手を繋ぎながら感謝の気持ちを伝えて右肩に頭を乗せながら息を引き取ります。

僕は、最後の最後まで大事な人の体温、感触を感じていたいし、最後は一番安らげるところにいたいと思っています。

この一週間、いろんなところを転々としましたが、いつも大切な人がそばにいてくれました。僕が助手席に座っている時に運転してくれていました。我が儘な旅にずっとついてきてくれました。

最期まで一緒にいてくれた人と同じ時間を過ごすことが僕の幸せだなと改めて思ったんです。


最後に

余命一週間になったら何をするかを考えた時に、何をしている時も僕の隣には大事な人がいました。一人で何かをするという事が浮かんでこなかったんです。

noteを書いて改めて、僕は本当に自然が好きなんだなということ、大事な人といる時間を大切にしたいんだなということ、誰かに影響を与えたいと思っているんだなと気づきました。

また、このままでは死ねないなとも思いました。僕にはまだ大事な人がいないからです。このままでは余命を宣告されても思った通りに死に切れません。

何を大事にして生きているかに蓋をしたまま生きていると、いつかきっとその蓋はズレて中身が見えてしまう。
その時に手遅れにならないように今この価値観に気づけてよかったです。

大事な人との時間を大切にしたいと思っているのに、現状では難しいからと目を背けている自分がいました。
現状を見るのではなく、自分が大切にしたいモノに正直になり生きていくことが何よりも大切なんだなと思いました。

問うべきは「自分は本当は何がしたいのか。」「何を大切にしたいのか。」

ありがとうございました。



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