第2の父、有難う。
今回は『人生で一番感謝を伝えたい人物をテーマ』に深ぼってみたことを書いてみたいと思います。
感謝を伝えたい人を考えると、はじめに家族が出てきましたが、家族、親族はなしで考えてみたいと思います。それでも、感謝したい人は振り返ると沢山いました。価値観を変えてくれた人、一緒に切磋琢磨して目標に向かって進んでいった仲間、何気ない日常を一緒に過ごした友達、数えるとキリがありません。
その中で僕が人生で一番感謝を伝えたい人物は、庄野勝美さんです。
まず、庄野さんがどんな方なのかを簡単に説明したいと思います。
●庄野さんとは
庄野さんは僕の35歳上の方で、父と同じく全国の発電所などあちこち回っている配管業のプロフェッショナルの方です。
見た目は強面で話しかけるのに少し勇気がいるような方で、仕事中は黙々とスピーディに仕事をこなす方でした。
庄野さんには2人の娘さんがいて、そのお孫さんのために仕送りをしながら面倒を見ている方でした。
●出会いのキッカケ
庄野さんと出会ったのは僕が21歳の時でした。
僕は大学2年生の時、プライベートでうまくいっていなかった僕に追い討ちをかけるように、落としてはならない必修科目の単位を落としてしまったんです。
僕は専門分野の大学に行っていたのでほとんどの科目が必修科目で、落とした時点で留年が確定してしまうんです。
よりによって誰も落ちないだろうと言われている科目を落としてしまいました。
さらにその科目は後期の後半にしか講義がないため、たった8回しかないんです。
僕は大学入学する前から留年は許さないと口酸っぱく親に言われていたのにも関わらず、留年してしまいました。もちろん留年分のお金は払わないと言われ自分で稼ぐしかなく状態でした。
仕事で転々としている父が新潟の火力発電所で仕事をしていたので、そこで1年間配管業として働くことになりました。
つなぎを着て、ヘルメット、安全帯を巻いて仕事することになりました。
新潟市の大学にいた僕は、上越市で寮生活をすることになりました。部屋はベッド付きの4畳半程度、大浴場、食堂付きの寮に住むことになりました。
1日の流れは6時に起きて6時半には現場に到着し、7時には朝礼・ラジオ体操、7時半には仕事が始まり、10時に30分休憩を挟み12時まで仕事、13時から15時まで仕事、15時30分まで休憩、17時まで仕事。それが終わったら寮に帰ってテレビを見るか車でどこか出かけて酒飲んで寝る。こんな感じでした。
働いている職人さんは休憩時間、大体パチンコの雑誌を読みながら前日のパチンコの調子の話ばかりで、仕事終わったらパチンコ屋に直行、寮に帰ってきたら酒を飲んで10時には寝る人たちばかりで、一緒に遊べる人は全くいませんでした。
そんな生活を半年ほどしていた時、火力発電所の隣にLNG(天然ガス)の基地を作るから応援に来てほしいとのことで、僕は現場を移動することになりました。
そこにいたのが庄野さんでした。
●庄野さんとの寮生活
現場が変わったので、当然のことながら寮が変わることになりました。
次の寮は、会社が借り上げた2階建てのアパートで隣にプレハブで作られた食堂があるところでした。間取りは2DKで一人で住むには広いなと思っていたら、まさかの共同で一緒になったのが庄野さんでした。
庄野さんは父と一緒の現場で働いたことがあり、よく仕事の話で出てくることはありました。実際会ってみると第一印象は強面で怖い印象で話かけにくいなと感じました。
この時、初めて家族じゃない人を共同で生活する経験をしました。
2DKの部屋は襖で仕切られているだけなので、なるべく物音を立てないようにイヤホンをつけてTSUTSYAで借りたDVDを見ていました。座ってDVDを見ていると、何か気配を感じるので振り返ると襖から庄野さんがずっと僕を呼んでいました。
「飯いくぞ」
庄野さんはラーメン屋に連れて行ってくれました。
それから何度も気配を感じると「飯行くぞ」とご飯に誘ってくれて、焼肉、ラーメン屋に連れて行ってくれたり、鍋をご馳走してくれたり、お風呂に入る時は「バスロマン」をかしてくれたりと僕のことをすごく気遣ってくれました。
仕事に行く時は庄野さんの車で出勤、帰る時ももちろん庄野さんの車でした。
雪が降る日は朝から一緒に雪かきをして出勤。
この生活が僕にとってとてもかけがえのないものでした。
●優しさにふれて
プライベート、学業でまったくうまくいかず、仕事をしていても全く楽しくなかった僕を助けてくれたのが庄野さんでした。
根っからの仕事人間の父は、僕が5歳の時から単身赴任で全国をあちこち回っていて帰ってくるのがお盆とお正月の2回だけ。それも4日程度です。父親と関わることが全くなくほぼ母子家庭のような状態でした。なので、僕は父親はいるけど父親がどんな存在なのか、どういうものなのか全く分からない状態で約20年間育っていきました。
父親ともプライベートの話をほとんどすることなく育ってきてので、学校のことや、いろんなことを聞いて心配してくれた庄野さんと一緒にいて、これがお父さんなのかなと感じるようになったんです。
庄野さんは2人の娘さんがいるのですが、血は繋がっていないんです。娘さんは奥さんの連れ子だったそうで、離婚した今でもずっと世話をしているんです。
この話を聞いた時に実際に血の繋がっていない子を面倒見るなんて僕にできるのかなと正直思ってしまいました。
僕は庄野さんと出会って、庄野さんと過ごした半年で、家族とは血の繋がりだけじゃないんだなと感じさせてもらいました。
庄野さんがいなければ、僕は腐って仕事を途中で投げ出して大学を辞めていたかもしれません。
僕が今、国家試験に合格し大阪で理学療法士として働いて、かけがえのない人たちと出会えているのは庄野さんのおかげと言っても過言ではないです。
庄野さんには感謝してもしきれません。
このnoteを書いてまた庄野さんに会って感謝を直接伝えたいなと思いました。
人を思いやること、優しくすることは誰にでもできる。
そんな人間に僕もなりたいと思いました。
ありがとうございました。
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