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#19 積読じゃなくて、置読(おいとく)

私は読書家であると自負している。
というか、まぁまぁ本を読んできた方だと思う。
私は活字を追うのが好きな子供だった。
幼い頃は読めもしないのに辞書を開いて、アリのように小さな文字がびっしりと埋まったページと、薄手でちょっぴりパリッとした紙の感触に、何とも言えない高揚感を覚えたものだ。
分厚い本とびっしり並ぶ文字列は、私をつまらない日常から、どこか知らない非日常へと連れて行ってくれる、魔法の扉だった。
そんな私が読んで来た本は、絵本や漫画など、ジャンルを問わずに数えれば、少なく見積もって一千冊を越えると思う。
まあ、漫画が大半を占めるので、厳密に数えるとその半分以下になってしまうだろうけれど……。

さて、そんな自称読書家の私ですが、ここ数年はまともに本を読んでいません。
大好きだったシリーズも、買ったままただ本棚に並べておくだけ。
そう。まさに、

置読(おいとく)

のまま、数年もの間放置されているのです!
まさにディスプレイ状態。
その本が本棚にあると、何となく絵面が良いから置読(置いておく)。
その本があることで、その本を読む自分=読書家アピールができるから置読(置いておく)。
もはや私は、『読書家』ではなく『読書家を気取りたい人』になってしまっていたのです。
過去に『読書家』であったプライドを捨てきれず、読みもしない本を見栄で置いておく。
本の匂いや手触りに癒されていたあの日々を、今ではとても懐かしく思います。
本を読んでいる間だけ、私はどこか別の世界を旅することができた。
一冊本を読み終えると、長い夏休みをどこか異国で過ごして帰ってきたかのような充足感と満足感があった。
あの日々はいずこ?
今では、一度手放した本を、そうとはすっかり忘れてまた購入し、読んでいる途中で「あれ?この本読んでなかったっけ?」と気付いたり、もっと酷い時には、「お。この本面白そう。チェックしておこう」とメモしておいた本が、段ボール箱の中から出てきたりする始末です。
読んだ内容が、ちっとも頭の中に入ってきてなかったのですね……。

まあ、そんなこんなですが、自称『読書家』という肩書を諦めきれず、今日も今日とて本棚に『積読』を増やす日々。
こんな私の夢は、いつか自宅に小さな図書室を作ること……なのですが、どうなんでしょうね(笑)?


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