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はじめての神戸

 沖縄の母・兄と叔母が親戚の結婚式に参列するため神戸へ行くことを知り、私も神戸へ行くことにした。長野県から沖縄へ行くのはなかなか大変だが、神戸に行くのはそれよりは時間面でも金銭面でも楽だからふだんめったに会えない親兄弟と交流するのにいいチャンスだと思ったのだ。長野県松本市には小さな鄙びた空港があり、おもにFDAという航空会社がごく限られた地域への運航を担っている。直通便があるのは北海道2か所、神戸、福岡であとは8月限定で大阪便があるぐらいである(2023年時点)。信州まつもと空港には一応売店があるが、軽食としてはおにぎりやサンドイッチなどのチルド品が置いておらず僅かな種類のお菓子や袋入りのパン、カップ麺ぐらいしかないことに注意したほうがいい。なかで食事できる飲食店は2階にひとつだけあったと思う。

信州まつもと空港

 松本神戸間の運行時間は45~50分ぐらいで、羽田から那覇に行く時と比べるとかなり短く感じる。離陸してシートベルト着用ランプが消え、小容量の紙パック入り緑茶とちょっとした菓子が配られてさてkindleで本でも読もうと思ったらすぐ着陸態勢のアナウンスだ。最近遠出をするときは武田百合子の『犬が星見た』という旅行記を少しずつ読んでいる。この人の紀行文は普段見ない観光地や景色に殊更に大はしゃぎするでもなく斜にかまえるでもなく自然体で、普通見過ごしてしまうようなことに注目してひとり静かにおもしろがっている感じが心地いい。また、自分の心情を具体的に書きたてないのにその場の雰囲気や気持ちをうまく表現するという特徴がある。たとえばちょっと感じの悪いツアーガイド見習いに遭遇した時「とても態度が悪くて私はこんなふうにイライラした」などとは書かず「彼女は終始やる気無さそうに、自分の髪型やハイヒールの具合を気にして舌打ちばかりしている。(中略)散策中何かの拍子に彼女のヒールが石畳の隙間にはさまって身動きが取れなくなった。イヒヒ。メインの男性ガイドはそんな彼女を気遣ってなにかと話しかけている。」といった調子の書き方をするのだ。いい気味だとかざまあみろとか書かずに、イヒヒの3文字で済ませる。おもしろいと思う。

 神戸空港はもちろん信州まつもと空港よりは広くて都会的だが、羽田空港ほどの広大さはない。ひととおり見渡せばどこにどの施設があるか把握しやすく、うろうろ迷って歩き回らずに済むのが便利だという印象だった。ここからポートライナーに乗れば17分程度で中心街である三ノ宮に着く。

ポートライナーからの眺め。途中、スーパーコンピューター富岳で知られる計算科学研究センターや大規模な病院の横を通る。
景色がいい。


母たちが宿泊している大きなホテルのロビーで兄と待ち合わせる。自分はここの宿泊客ではないから客室へは上がらないほうがいいだろうかと言ったが兄は無頓着に「大丈夫だろ」と言いエレベーターに向かって歩き出すので、あとについて行くことにした。客室に入ると母と叔母がおのおのベッドに寝そべり足を組んだままおしゃべりをしており、久々に会う私を見ても「あんた相変わらず肥ってるねえ」「派手な服!大阪のおばちゃんかと思ったさ」などとぞんざいな調子で、起き上がるそぶりもない。沖縄の70代のばあさんにデリカシーを期待してはいけない。無事合流できたので、近くの港を散策し遊覧船に乗ることにした。なにかのイベントがあるようで広場には出店が並びたいへんにぎわっていたが、なにしろ暑い。その日の天気予報によると気温は32℃とかだったはずだ。たまに吹く風も湿り気を帯びた熱風なのでたまらない。遊覧船には2種類あり、私たちはダイヤモンドプリンセス号?とかいう洋風なほうを選んだ。ちなみにもうひとつの船は日本っぽさと中国っぽさを混ぜ合わせたような外観で、なんとかかんとか丸という漢字ばかりを並べた名前だった。周遊コースと所要時間が微妙に違うらしい。母と叔母は冷房のきいた室内席に腰をおちつけて船内の売店で注文した冷たいウーロン茶をすすっては「グラス一杯のウーロン茶で250円は高い」「冷たすぎて歯にしみる」「揺れるからやはり船はいやだ」などとケチをつけており、さほど景色に感心する様子もない。彼女らよりは好奇心を持ち合わせている兄と私はデッキに出てあたりを見回してみたり、景色の感想を述べたり写真を撮ったりしたがそれにしても日差しが強烈で暑すぎるので早々に退散した。兄はもっと大判のタオルを持って来るのだったとこぼしながら小さなタオルハンカチでしきりに汗を拭いていた。

今回乗った船は遠くに見える赤い橋の下をくぐるのが売り。海側から見た神戸の街。夜景もキレイらしい。


遊覧船からおりたあとは六甲山のロープウェーに向かった。少しのぼったところにハーブ園があるようだ。建物から建物へと屋外を少し歩くだけで暑い、まだ歩くのかと母・叔母がぶうぶう言うので、兄と私は彼女らをなだめすかすのに苦労した。ハーブ園は広くてのんびり散策すると楽しそうだったが、母が「もういいだろう」としきりに立ち去りたがっている。さっさと街なかのデパートへ行き、冷房の効いた中でショッピングをしたいのにちがいない。まぁ実際日差しも強いし蒸し暑く、外を歩き回るにはつらい日だった。真夏以外のすごしやすい気候の折に再訪できたらいいなと思う。帰りのロープウェーに乗りながら下を眺めていると、花壇前で結婚衣装を着て前撮りをしているらしい一行や、山の中腹あたりにしつらえてあるハンモックに無理をして寝そべってみている観光客がちらほらと見えてご苦労様ですという気分になった。

山も海も街並みも楽しめる。酷暑の中ハーブ園の手入れをしている人たちには頭が下がる。

タクシーに乗って大丸に着いたとたん、母と叔母は上機嫌になり1Fのハンカチや日傘などが並べてある売り場を物色しだした。兄はエスカレーター近くのスペースに本物のガジュマルが植えてあるのに注目してしきりに観察していた。最近植物の栽培に凝っているようだ。そのあと地下の食料品売り場にも行ったが、母と叔母はその日いちばん生き生きとしていた。彼女らは買い物が一番好きで、買い物となれば長時間うろうろしても苦にならないようだ。私は逆に人ごみが苦手なのと、一日中日差しを浴びて歩いた疲れがその時どっと出て頭がぼーっとしてきた。母と叔母には心ゆくまで売り場をまわってもらうことにして、兄と私は551の肉まんと焼売を買うべく行列に並んだ。「あの二人、外じゃあんなにぶつくさ言ってたのに、ここに来たとたんめっちゃ元気になったね。たしかに涼しいけど。どんな観光地より楽しそうじゃない?」と言うと、兄は仔細らしい表情でうなずきながら「ほんとに自分の好きなことをするときは多少ムリをしても平気なものだからな」と応えた。「私は人がざわざわしている場所は疲れるからすぐ帰りたくなるんだけど、よく長居できるなーと思っちゃうよ」と、今度は私が愚痴っぽくなってきたのに対し兄は「確かに買い物って疲れるよな。俺はドンキとか好きだけど行くとなんか疲れるしな」と同調した。夕刻の値引きシールが貼られだした刺身類をしきりに気にする叔母に、兄がこれからみんなで食事をするのだしホテルに戻るまでだいぶ時間がかかることを思い出させ、魚がわるくなってしまうから今回はあきらめるように説いていた。叔母はさも心残りだという顔をしていたが、さすがに納得したようだった。上階のレストランでみんなで食事をし、私はみんなからお土産やらこづかいやらを貰って別れ、自分だけが泊まる安宿に向かった。翌日の復路も極めてスムーズに各種交通機関を乗り継いで午前中には帰宅したのだが、その日の夜兄に連絡してみたところ沖縄組はてんやわんやだったらしい。まずホテル泊最後の夜中に叔母が寝ぼけて、トイレに行くつもりが廊下に出てしまい、もちろんカードキーは身につけていないのでオートロックで締め出されしばらくウロウロするはめになったこと、那覇空港に着いた時点でホテルの金庫に家と車の鍵を忘れてきてしまったことに気づき大慌てになったことを聞かされた。さいわい留守番の家族がいたので送迎とスペアキーでその場はなんとかなり、忘れてきた鍵類は着払いで送ってもらえることになったらしい。知らなかったけど、こういう時ってホテル側からは「忘れ物をしてますよ」という連絡はしてこないものらしい。防犯のためなんでしょうね。のちのち笑い話になる程度のトラブルですんでよかったね、と言っておいた。
 神戸は都会と港と山がぎゅっとコンパクトにまとまっていて眺めが良いし、電車とかも使いやすいしあちこち出かけて遊ぶのにいいところだなぁと思った。余談だけど今年話題になった『近畿地方のある場所について』というホラー創作が好きで、これに出てくる或る山って六甲山じゃね?みたいな話をネット上で見かけていたのであの話の舞台だ!みたいなことを独りで思ってちょっとテンションあげてました。まぁ、『黒い家』を読んだ直後にわくわくしながら京都に行った時もだけど、不気味な場所なんて実際にはそうそうみつからないですけどね……。あの話の舞台になった地域だ~!と思うだけで少し楽しかったです。


前日に持たせてもらった551の肉まんと焼売を神戸空港で食べた。美味しいがにおいが強いので梱包と持ち運びに注意。
神戸空港の眺め。
泊まったところの最寄駅。
みんなで会った夜、ほんとは中華街にでも行こうかと話していたのだが暑すぎて参ってしまい、もうデパートで食べればよくない?となり私は冷たい梅おろしうどんを食べた。やたらおいしく感じた。



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