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発展途上国のボランティアについて考えたこと

夕飯のテレビが、発展途上国で暮らす子供たち映し出していた。番組の内容は村の学校設立のための募金を募るものだった。


可哀想な立場として映し出されている子供たち。でも、その瞳はなぜかキラキラしていて、とても美しかった。

母が「ものはないかもしれないけど求める気持ちが溢れ出ている。懸命に生きている。裕福で飽和しているよりも、心が生き生きしているんだろうね。」と言った。なるほどそうかもしれない。

よく行われる発展途上国でのボランティア活動。それは、現地の人々を「救いに行く」というイメージだった。

でも実際は、現地の人々に「救われる」部分も大きいのではないだろうか。

必要とされて、それに答えること。「ない」とこから生み出すこと。なとなど…
人間はそういったことを本能的に求めている気がする。
そして、現地の人々のその「キラキラ」としたなにか人間の本質的なパワーみたいなものを受け取っているのかもしれない。

わたしが現在学んでいる、食や農のことを日本の子どもたちだけでなく、発展途上国の子どもたちに伝えて、面白さを感じてもらえたら、楽しさを感じてもらえたら、学びの機会を提供できたら、私も学びを得て、面白さ、楽しさを感じることができるのだろうなと思った。

そう、つまり与えている思っている時、同時に人は何かを無意識に受け取っている。逆も然りということなのだなと感じた。

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