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☆家族が看取った祖母の最期☆


はじめての看取り

私のはじめての看取りは初回の記事でお話した父方の祖母でした。

寝たきり状態になり、どんどん痩せて元気がない祖母を見ながら、私はなんとも言えない恐怖を感じてました。

幼いながら、大人達の様子から何かしら感じ取っていたのかも知れません。

いよいよ最期の夜…。
お正月やお盆でもなかなか会えない叔父や初めて見る親戚…仲良しの従姉妹達が続々と集まります。

2階の従姉の部屋で遊んでいると「降りておいで~おばあちゃんに声かけて」と呼ばれ、祖母の傍に行きました。

1歳上の従姉が泣き出し、どうしたらいいのかわからなくて一緒に泣いていました。

祖母は伯母や母達家族の手で身体を拭かれ、そして肛門、鼻、口、耳と原綿が詰め込まれていきます。

それは身体から分泌物が排出されないために必要な処置ですが、その頃の私は理解できず…

「え!?何してんの?おばあちゃん、可愛そう~」と思いました。

新しい浴衣を着せられ、手を組まされ、顔に白い布を被せられていました。

その姿を見ると、祖母は本当に亡くなってしまったのだと思いました。

伯母達の中に看護師はいませんでしたが、とても手際が良かったように思います。

厚生労働省の死亡場所の推移を見ると、昭和51年迄は在宅死が医療機関での死より上回っていました。

恐らくエンゼルケア(死後の処置)は家族が行っていたと考えられ、伯母達の手際の良さは、エンゼルケアの経験があったものと推測されます。

祖母は私に在宅看護と終末期看護と最期のケアを教えてくれました。

これから、いろんな看護経験をしていくわけですが…祖母は私の看護物語に大きな影響を与えてくれたのです。



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