模擬試験の闇3

大手予備校が主催する模擬試験の「闇」の3回目。今回は採点法、とりわけ減点法と呼ばれているものについて述べたい。

最初に断っておくが、ここで述べるのは筆者の知る範囲でのことだから、英語の試験の採点法に限る。英語の試験での採点法の主流は「減点法」と呼ばれる。10点の問題があるとして、間違っていると、その間違いの種類に応じて10点から減点していく。わが予備校では次のようになっている。

文法の誤り:2点減点  語彙の誤り:1点減点

減点法の恐ろしい点は2つある。1つは点がすぐになくなるところ。某大手予備校の模擬試験では10点の問題に対して減点項目が20点分あったりする。仮に生徒が、全体の50%くらい「できた」と思っていても、20点のうちの10点分が「できた」にすぎないから10点は減点されてしまう。配点が10点なら0点になる。80%の出来であれば、総減点のうちの16点分はクリアしていることになるから減点は4点で、最終得点は6点となる。実にエゲツナイ採点法だが、このくらいすると生徒は次第に完成度の高い答案を書けるようになるので、受験生に喝を入れるという意味では、こういう採点法もアリかもしれない。ただ、これは生徒にとって恐ろしい採点法だというだけで、闇でもなんでもない。

減点法の恐ろしい点の第2は、生徒の実力が正確に反映しにくいという点だ。たとえば、同じ箇所に2つの文法の誤りが重複していたらどうだろうか? 減点は2なのか、4なのか。

例を挙げよう。

a. He buy three books yesterday.「彼は昨日、本を3冊買った」

標準英語なら He bought three books yesterday. とするところなので、この答案には次の2つの問題点があることになる。(1) 動詞時制を無視している。buy ⇨ bought とするのが正しい。 (2) 主語と動詞が呼応していない。主語は He(三人称)だから、もし、この答案のように現在時制で書くなら buy ⇨ buys となるはず。

このように答案aは動詞 buy の部分に二重の誤りが発生している。多くの予備校の模擬試験では「同じ箇所について重複減点をしない」という原則がある。つまり1つの誤りでも、2つの誤りでも、誤り箇所が同じなら減点は同じ2点になる。その論でいくと、aは【-2】点ということになる。

しかし、もしbのように、2つの誤りが異なる箇所に見られるなら、評価は【-4】点となる。

b. He buys three book yesterday.(buys ⇨ bought、book ⇨ books)

標準英語を物差しにする限り、aもbもどっちもどっちで、意味の誤解は生じそうもない。それなのに評価が異なることに私は不条理を感じるのだが、いかがだろうか?

あるいは、次のようなケースではどうなるのだろうか?( [      ] は誤り箇所を示す。)

「彼は日本とアメリカの2つの価値観のズレを埋めるべく懸命に努力しました」を次のように英訳した答案があったらどうだろうか?

a. He tried very hard to [fill in] the gap between the two values of Japan and [America].(文法の誤りなし、語彙選択の誤り:fill in ⇨ bridge、America ⇨ the States)

b. He [make] tremendous endeavor to bridge the gap between [two] different cultural [system] of values of Japan and the States.(文法の誤り:make ⇨ made、two ⇨ the two、system ⇨ systems)

減点法では答案aの圧勝である。答案aは【-2】となり、答案bは【-6】となる。しかし、bの生徒はずいぶん高度な語彙を使いこなしている。この部分だけで判断するのは危険が伴うが、bを書いた生徒はかなり英語の経験値が高い可能性がある。本当にaの生徒の実力のほうが、bの生徒の実力を圧倒しているのだろうか?

最近はライティング問題は基本的に「お題」をもらって、そのお題について100語程度のパラグラフを書くというパラグラフ・ライティング問題が主流である。業界ではこれを「自由英作文」と呼んでいる。自由英作文で減点法はありえない。これは大学教員の間では暗黙の了解だったが、これを明言した人がいる。日本の英語教育学会におけるテスト法の大御所、根岸雅史である。(参考図書:根岸雅史『テストが導く英語教育改革』(三省堂)

英語教育の専門誌が設けた大学入試に関する座談会で、根岸は次のように語っている。

根岸:そうですね。高校側とか受験産業界が出している「大学側の採点方法予測」なんていうものがあって、端的に言うと、減点法で採点しているのじゃないかというので、生徒もそれを信じているというようなことがあります。でも、自由英作文では、減点法なんてあり得ないですね。減点法でやると、たくさん書いた人のほうが点数が低いというようなおかしいことになってしまう。

『英語教育』2010年8月号(大修館書店)

根岸の言う通り、受験産業界には「減点法」神話が根強くはびこっている。この根強さは減点法という考え方が日本人の思考様式に合っているということも背景にあるのだろう。たとえば、道路交通法違反の行政点数は加点方式であるにも関わらず、減点法であると思っている日本人が多いことにも、そうした思考様式が表れているように感じる。

いまや日本の英語教育の現場では「減点法」という言葉は日常的になっているが、そもそもは駿台予備学校の伊藤和夫(1927-1997)の著書がはじまりなのではないかと思う。伊藤和夫は英文和訳の問題について受験生が自己採点ができるように採点基準付きの問題集を1983年からシリーズで出版した。

伊藤和夫『英文和訳演習 中級編』(駿台文庫)

この「採点基準つき」というアイデアに類書も追随したが、すべて本家の前では影が霞んだ。それほど伊藤和夫の知的影響力は大きかったのである。このシリーズは1984年に上級編、1989年に入門編が上梓された。1995年上梓の基礎編をもってこのシリーズは完結となり、その2年後に彼は逝去した。

『中級編』が出版されて最初の10年は、このシリーズはかなり売れたのではないかと思う。まことに稀有なことだが、この35年ほども前に出版された受験参考書は未だに市場に出回っている。ただ、手抜きのないストイックな論理的解説が受験生の学力事情には合わなくなっていき、受験生からの支持は失っていった。今では東大や京大を目指す受験生くらいしか、その名前を知らないかもしれない。しかし、日本の英語教育史にその名を残すほどの影響力のあった人物である。高校教員や予備校講師からの支持は厚い。彼の著作はプロからは然るべき評価を未だに受けているように思う。

このシリーズの全盛期とも言える1990年前後に18歳だった受験生は今では50歳前後。教員ならどこの学校でも中核を担う存在になっている。こうして、どこの学校でも「減点法」ということばが、伊藤チルドレンによって発せられることになっているのだ。

昨年、某大手予備校が新規に立ち上げた『自由英作文』の講座がある。コロナ禍の中、この講座も映像授業になったので、授業をチラリと見せてもらった。そうしたら「自由英作文の採点は減点法ですから‥‥」と、その予備校の大御所と思われる担当講師が豪語していたのでビックリしてしまった。

いやはやまことに困ったことだ。せめて受験生たちには賢明であって欲しい。

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