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【ニンジャ読書感想文】ゼロ・トレラント・サンスイを読んで

 ひと言でいえば、私の内に潜むニンジャが開眼した。
 ニンジャスレイヤーに出会い、驚愕したのはつい先月のことである。私はいまだ下忍にも至らぬ訓練生だが、今夏、加熱したこの気持ちを記録してみたいと思う。

※いつもと違う書き口ですが、これは『ニンジャスレイヤー』へのリスペクトを表現しています。微熱をおびた、例えば塩野七生さんのようなイメージを思い浮かべていただければ幸いです。

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 数あるエピソードから選んだのは始まりの物語。第1部ネオサイタマ炎上編「Zero Tolerant Sansui。直訳すれば「寛容度ゼロの山水」、意訳するとしたら「厳しい自然の掟」だろうか? 私のソウルはそう告げたが、果たして実態はどうか。

 日本政府を裏から支配するメガコーポ群。コーポの実行部隊に所属していたミニットマンだが、尻尾切りに遭いその部隊は壊滅した。辛くも生き残った彼は、戦友イクエイションとともにニンジャスレイヤーと対峙。しかしここで最後の仲間とさえ別れる破目になる。
 彼に去来する突然の永別……戦友イクエイションはもういないけれど、ニンジャに涙は似合わない。ウェットな感情を振り払ったミニットマンは、仇であるニンジャスレイヤーを追う。

 私は標的を追うミニットマン=サンに目を奪われた。圧巻は彼の匍匐前進姿だ。雑踏の中をチーター級の速度で匍匐(かけ)ぬける! 力士の張り手のように響く強い絵づら。
 時速100km・秒速28mという隠密追跡。しかし階段は降りられない。かわいい。高低差というか段差に弱いのであろうか? 上りもダメなのかが気になった。
 恐らくは幼少期、下り階段で肘や腹を激しく打ち付けた経験が忘れられないのだろう。あるいは成人後、首や腰をやったのかもしれない。メガコーポの厳しい掟の中でストレスにさらされた結果であるなら、誰も彼を責める事はできまい。

 いや待て、鍛え抜かれたニンジャにそのような失態や感傷はありえないはずだ。とすれば段差の件は、匍匐能力に対する代償ととらえるべきだろうか。
───何かを得る者は何かを失う。
 この考えは英語圏に根強い、と思う。むしろ欠損すればこそ新たに獲得するという思想。
 脳内シナプスがいっしゅんで結びつき、ストーリーテリングに対する期待値が増していく。甘美な誘惑に抗えない……

 私が心惹かれたのは、第1話にして「追跡者から見たニンジャスレイヤー=サン」という客観視ビギニングだ。
 いかにしてミニットマンは、仇としてのニンジャスレイヤーを追い詰めるのか。尾行と戦いの果て、無念にも彼は復讐の志半ばで斃れる。だがその執念は次の刺客へと引き継がれ、緊張の糸は途切れない。トライ&エラー。チェック&テスト。死闘の予感は持ちこされる。
 アメリカ人の筆者コンビ(ブラッドレー・ボンド=サン&フィリップ・ニンジャ・モーゼズ=サン)が、鋭い観察眼で日本の山水を見つめる様子がうかがえた。行間から滲み出る異文化への好奇心とリスペクト。それは愛か、あるいは───

 ここから始まるニンジャ物語を、少しずつ味わっていきたい。未知の発見を繰り返し私は成長を遂げるだろう。その事を楽しみにして、今夜は自由帳を閉じたいと思う。

 Good night, guys.


[note43]im1_ミニットマンサン


【ゼロ・トレラント・サンスイ】面白かったです! オススメです!


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