倒行逆施あるいはアンチテーゼ描画【エドワード・ゴーリー展】

エドワード・ゴーリーという絵本作家を知っているだろうか。

エドワード・ゴーリーはサブカル界隈で妙に人気のあるアメリカの絵本作家である。イニシャルがA~Zの子供が順番に悲惨な死に方をするインモラリストな絵本『ギャシュリークラムのちびっこたち』などは氏の名前を知らない人でも内容を知っているかもしれない。

さて、彼の作品の一番の特徴は不幸、死、離別のような重いテーマに余韻を作らないことではないかと思う。これは批評ではないが、近年の作品は話に説得力を持たせるために登場人物の過去や信条で不幸な境遇に理由付けをすることが多い。

だが、彼の作品はそういった理由付けをしない。幼い無垢な子供から親切な大人までが、至極平等に理由なき理不尽に晒される。

ページを捲る度に『正面から不意に』鈍器で頭を殴られるような衝撃を浴びる、余韻も兆候もない暴力的な展開。そこに惹かれる人が多いのだろう(人間は本質的にマゾなので)。彼の絵が持つダークな世界観も、人気の理由であろうが。

かくいう僕もエドワード・ゴーリーの絵本が好きで、今までに数点読んだことがあった。そのため、先日渋谷区の松濤という場所でやっていたエドワード・ゴーリー展にふらっと行ってきた。

渋谷区の松涛という場所は、もともと芸術的な施設が多い場所だそうだ。確かに、街並みもどこか西洋建築風の場所が多かったように思う。フランス映画で100回見たことあるような形のアパート(?)もあったので、気になった人は街歩きをしに行くといいと思う。

さて、肝心のエドワード・ゴーリー展だが、写真撮影は一切禁止だったため、覚えている限りで展示されていた絵本の内容を極めてざっくりと書いていこうと思う。

・恐るべき赤ん坊

醜い赤子が救いのない目に会う話、大鷲に攫われたりする。
赤ん坊は可愛くて誰からも愛される存在である、という世間の『お約束』を踏みにじるが如く酷い目に会う赤子を描き出した作品。赤子が醜いを通り越して化物みたいな見た目なので大鷲に攫われても不思議と笑えてくる。

・敬虔な幼な子

敬虔な神の使徒である3歳児が、世の中の間違いを指摘していく話。
子供は大人よりも欲がない分真理に近づきやすいという王道な流れながらも、主人公の持つ正義・正しさといったものへの執念が恐ろしい。Twitterとかやらせたら秒で燃えそうな正義マンである。

・不幸な子供

エドワード・ゴーリー版「小公女」と言えるような作品、パリの子供という映画がモデルになっているらしい。(1913年の映画だったため情報なし)無垢な心を持った少女がマジのガチでひどい目に会う話。可哀想すぎて僕は展示場で長い長い溜息を吐いた。

背景を書き込みすぎて、本作を書き終えた後にゴーリーは5年間執筆を休んだらしい。しかし、それも納得ができる出来である。本作はすべてのページに隠れミッキーのごとく奇妙な生物が描かれている。これは少女が悪魔に魅入られていることへの暗示なのだろうか。

・うろんな客

黒いなんJ民が急に家にきて迷惑をかけまくる話。突然来たなんJ民を家に入れる奴が悪い、残当である。原住民もそうやって追い出されたのだ。

この時期の西洋では、突然やってきた来客が富をもたらすといった話が多かったが、そういった話のアンチテーゼだろうか。

・狂瀾怒濤あるいはブラックドール騒動

名前が格好いい、本記事のタイトルもこれをもじった物である。

タイトルからは話の内容が想像できないが、本作はスクランプ・ナイーター・フーグリブー・フィグバッシュという4体のゴミの付喪神みたいなキャラクターが戦い合う、という作品である。

本作の特徴的な部分として、各ページの終わりに「このおはなしが気に入ったなら〇〇へ」といった具合に、自分の感じ方によって物語が変化する点である。

そう、エドワード・ゴーリーはゲームブックも作っていたのだ。

・蟲の神

子供が突然黒い車に連れ去られて巨大な蟲に暴行を働かれる話、ここまでくるとやりすぎて引く。

・具体例のある教訓

意味のない話を作りたい、という主題で作られた絵本。物語は意味のあるものであるべきであるという世間の認識へのアンチテーゼ。この話に意味とかないよ(笑)って言ってもらえると身構えずに読めるからいい。

他にも2.3点あったが、明確に覚えているのが上記である。

以上の作品を見ると、エドワード・ゴーリーが何故国境をまたいだ日本で人気が出たか、少しだけ理解ができる気がする。

彼の作品は『王道・世間の認識を裏切ったもの』が多い。正しい者は不気味に描かれ、幸せになるべき存在が不幸のどん底に叩き落される。そしてこれは世間に『意外な展開・意表を突かれた』と評される。

日本の有名なサブカル作品も近代ではそういった展開になるものが多い、魔法少女まどか☆マギカやがっこうぐらしのような王道と見せかけて王道でない作品などがそうだ。最近でも、アニメのいわゆる『鬱展開』があった際にはSNSがざわついたりする。

近年人気が出ているそういったコンテンツとエドワード・ゴーリーの作品は王道へのアンチテーゼという部分でコンテンツ性が共通している。故にエドワード・ゴーリーの作品は日本のオタクにとって受け入れられたのだ。

ダークで美しい絵柄も合いまって、これからも彼の作品は日本のサブカル愛好者を虜にするのだろう。

文責:暗渠累

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