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「期待」したんだと思う。

「期待」をすることで、真実がぼやけてしまうことがあるなあと思う。

例えば、最近久々に会ったCさん。
私はこの人と気が合うと思っていた。
だから会うのが楽しみだった。

でも、いざ会うとなぜかそこまで楽しいと思えず、かなり疲れて、帰ってからもぐったりしていた。

「なんでCさんのこと好きなはずなのに、こんなに疲れて、楽しいと思わなかったんだろう。」

しばらくわからなかったけど、
思い返すとCさんの言葉を受けて、「え?」「今の発言ちょっと嫌かも」と違和感を感じていた瞬間があったように思う。

たぶん、私はCさんと気が合うと思っていたので、
「あの人は私のことをわかってくれる人」
「私の話を聞いて、私のこと受け止めてほしい」
と思っていたのだと思う。

期待していた。

この期待が前提としてあったので、「え?」「今の発言ちょっと嫌かも」という違和感をちゃんとキャッチすることができなかった。

この人は、私のことわかってくれるはず
この人は私のことを受け止めてくれるはず
この人に私のことを知ってほしい

この影に、違和感が隠れてしまった。

違和感があってもいい。
前は気が合うと思っていたけど、今は違ってもいい。
嫌ってもいいし、実は苦手でもいい。

私はCさんに勝手に自分の願望を求めていた。
でも実はCさんがそれに当てはまらないことを認められなかった。

それに気付けなかったからか、その日から体調も崩れてしまった。

「期待」はその人に対して、自分の願望を勝手に抱いているだけ。
願望で相手を見ているので、本当の相手をちゃんと知れなくなる。
それに、思っていたのと違うと、ガッカリが大きくなる。

自分が望んでいるものを、相手に求めるのは違う。

その人は、その人でしかない。

私をどうにかしてくれるわけではない。



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