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違う種類

もちろん人にはひとりひとり独自の質もあるけど「属性」に依るものもあると思う。国民性・県民性、家庭環境などから、もたらされる質というもの。

そのどこらへんの影響なのか知らないけど「最初の一歩を踏み出すのが苦手」という質がある。最初の一声をあげるのが苦手というか。

やったことないことは怖いし、勇気がいる。恥ずかしい。人見知り気味でもある。でも踏み出してしまえば案外大したことなかったりするんだよ、でもでもその踏み出す一歩が難しいんだよなぁ。ぐるぐる、ぐるぐる。

そしてまさに先日、この質を思い起こさせるような出来事があった。

あるトークの場面、声をあげようかと躊躇していたら、先に声をあげた人がいた。はじめて声をあげるとのことで、そうは思えないくらい落ち着いていて話も上手い。聴きながらタイミングを図るうちに話題も変わり、また別の発言者が登場し、そうこうしてる間に私の出る幕はなく終了してしまった。

ああ、発言、できなかった。

実際に発言をした人に対して、すごいな、という気持ちが湧いてくる。

「私はできないのに、どうしてあんな風に躊躇なく発言できるんだろう?」って。

でも、そしたら、頭に浮かんだのが

「種類が違う」

という言葉だった。

そう!

あの発言者と私では、種類が違うのだ。

昔の自分だったら、この状況に対して絶対自分を責めた。

ぐずぐずしてるから、チャンスを逃すんだよ。考えてばかりじゃなく行動しないと意味ないじゃん!と。

そして発言者はすごい人で、私はダメな人とジャッジして

「私も頑張らなきゃ!」

と自分の得意でもないことを、できるようにならなきゃと躍起になったと思う。

もちろん、やりたきゃやればいい。

でもそんな誰かと比べて躍起になって、自分を責めるとか改善するとか、もうそんなの終わってるなと思う。

人はみんな種類が違う。

得手不得手も、
思考も嗜好も、
色んな人がいて色々な質がある。

だから比べて同じようにしようって意味ない。

できること、できないこと、人それぞれなんだから。

「ああ私とは種類が違うな」

以上、終わり。

それでいいのだ。

こんな風に考えられるようになると、心が楽になるような。

それでいいのだ。


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