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予定変更のようで

ある予定を入れていた3日間、関係者に濃厚接触者が出たため延期になった。

ぽかん、と3日空いて、思い出した。

そういえば。

ふと、行きたいな、と思ったけど「あ、ここはもう予定あったんだ」で、やめたこと。

映画。

行きたい、と思ってからタイミングを逃して、でもそろそろ行かないと上映終了しちゃうんじゃないか、という作品。

できればサービスデーに行きたい、でも「あ、ここはもう予定あったんだ」とあきらめてた。

これ、行けるじゃん。

そしてもう1件。

前からチェックしていたカフェ。気になるワークショップがありそれを機に行きたかったけど「あ、ここはもう予定あったんだ」

これも、行ける。

電話をしてみたら、本当は定員に達しているけど1人なら大丈夫かな、と、受け入れてもらうことができた。

映画は、面白かった。

まさかの勘違いで冒頭5分ほど見逃してしまったけど。

翌日、もう1回、見に行ってしまった。

原作や、劇中に取り上げられてる作品の書籍まで買ってしまった。

それくらい、よかった。

そしてワークショップも、初めての場所での初めての体験、そこから得たインスピレーション、すぐすぐではないけれど、次の行動に繋がりそうなヒントがあって。

会場からの帰り道での思わぬ買い物なんかも含め、やっぱり、行って、よかった。

急遽、予定キャンセルになったことでの、3日間。

けれど、その延期の連絡をもらった時「予定が変わって残念」というより、どこかそれをすでに知っていたかのような、静かな感覚があって。

そして、あきらめてたことができるじゃん、と、気づいた時、何というか色んなことはうまく回るようにできているのかな、みたいなことを感じた。

延期になった会は延期になったことで、ちょっと内容や参加メンバーにも変更があって、それも含めてやっぱり最善なんだろうなという気がしている。

きっと世の中に起きていることは、たとえそれが自分にとって予想外の出来事でも、いいようにできている。

だからきっと、何も不安になることなんてない。

先が見えないような気がしても、

怖れる気持ちが湧いてきても、

それすらきっと織り込み済み、

すべては、うまくいっている。

世の中ってきっと、そういう風にできているのだと思う。

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