全部正解。
自分の中での正解に近づこうと思って生きてきた。
「正解」って、自分が気持ちよく生きるための、知恵とか考え方とか、身のこなし方、対処の仕方というのか。
で、年を重ねるごとに、その対処みたいなものが、うまくできるようになって。
だから過去を振り返った時「あの時のあれは違ってたな」と、苦く思い出すようなこともあった。
でも、今は思う。
狡さからやったことも、
怖れからやったことも、
誤った選択に見えたことも、
考えなしだったように思えることも、
失敗したと悔やんだことも、
どれも間違いとかではなかったんじゃないか
全部正解だったんじゃないかって。
その時の行動によって、確かに遠回りしたかもしれない
その時の行為で、人に嫌な思いさせたかもしれない
その時の選択で、損をしてしまったかもしれない
もっといい方法があったのではと、つい頭は考えてしまう
だけど、
その遠回りのようなことから、
人に嫌な思いをさせたことから、
損をしたように思えることから、
得られたものが
意識・無意識に関わらず
必ず、ある。
これは絶対、そう思う。
どうも「最短距離」で行くことが、ベストのように思ってしまう。
ストレートに、直線で、何の障害もなく辿り着くことが。
でも人生、何の坂もなく曲がり道もなく、寄り道することも何もなく、何を感じることもなく、ただただ平坦な道をただただ、ただただ、真っ直ぐ歩くだけのようなものだったら
なんて無味乾燥なんだろう。
それは本当に人生なんだろうか?
味わいたい私たちは
喜びとか何かいい感じのこととか、それだけやってたい訳じゃない
怒りも悲しみも落胆も
復活も希望も再生も
何でもかんでも味わいたいのだ
見てみたいんだ。
欲張り。
それがきっと人間なんだろう。
快ばかりじゃなく、不快すらも。
早くこの状況から脱したいと思う一方、それを体験すべき何かがあると知る。
時が来れば展開する。
焦っても、何をしても、全てはタイミングでしか動かない。
だから
辛いな、と、感じながらも
変だな、と、思いながらも
私たちは日々それを体験している。
味わっている。
堪能しているんだ。
そして味わい尽くしたら、次に行くだけ。
人生きっとそういうこと。
だから人生に正解不正解はない。
全部が全部、正解でしかないんだ。
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