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だってもう春だから。

嫌われるのがこわい。

だから好意を見せてくれる人に、すり寄ってしまう自分がいる。

でも好意を寄せたその人が、私の思うように反応してくれないと、いじけるような、時には怒りを覚えてしまうような自分もいる。

昔より気にならなくなったし、それに心を奪われることはなくなったものの、そんな質は今でも顔を出す。

そしてそんな自分が面倒くさくなる。

もっとサラっといきたい。

人の挙動をいちいち気にせずいきたい。

でもこれ自分の質なんだから仕方ないんだろうな、とも思う。

「人のこと気にしすぎる」みたいな質、あまりいいことないようにも思うけど、でもこの、繊細にあれこれぐるぐる考えてしまう自分だからこそ、気づけることもあるんだろうな。

そう、「人に嫌われるのがこわい」ということで思い出すのは、過去にあったある人との出来事。

当時、私の仕事を手伝ってもらったりアシスタント的なことをお願いしていた人がいた。メンタル的に落ちていると聞いて、私は相手をどうにか元気づけたいと思い自分の仕事に巻き込んだ。一緒に何かすることで、回復の力になれたらと思っていたのだ。

最初はきっと、相手もその思いに対して頑張ってくれたと思う。楽しいと感じることもあっただろう。でもそれがいつしか、負担になっていたのだろうな。無理してくれてるところもあったのかもしれないな。私はそれに全く、気づくことができなかったけれど。

同じ方向を見て、同じような思いで、一緒にやっているつもりだった。でも、相手からネガティブな言葉が出るようになった時、私は元気を出して欲しくて「そんなこと言わないで」というような言葉を使ったのは覚えている。でもその言葉が、相手にとっては「私の言うことが聞けないの」くらいの意味に聞こえていたと、後に知ることになった。

本当は黙って去ろうとしていた相手と、ひょんなことから最後に話し合う機会があり、お互い本音で話せたことで相手の気持ちを知ることができた。もしその時、相手が何も言わずに去って連絡も取れない状態になったとしたら、私はきっとパニックになったと思う。だから、本当に話ができて良かった、と思うと同時に、あまりの互いの思いの乖離みたいなものに、心底驚いたし、かなりの衝撃だった。そしてやっぱり、傷ついた。

当時は相手が「悪者」と思っていた。こっちは、相手のメンタルの不調をどうにか改善したいと、一生懸命だったのに。すごい誤解だと。ひどい。あんまりだ。悲しい。悔しい。そして怒りも湧いていた。

でも、ある時、そこから考えを転じてみた。

「でも相手からしたら、私の方が悪者なのかもしれない」

と。

イメージしてみた。イメージするだけで、はらわたが煮え繰り返るというか、本当にこうギリギリと歯噛みするかのような、悔しい気持ちが湧き起こった。涙も出たかもしれない。

でも、その強い感情の一方、

「でもきっとそういうことなんだろう」

と、気づきはじめている自分もいた。

消化するのに時間はかかったけれど、人と衝突する時、どちらか片一方だけの問題ということは、ないと思うから。

この出来事があってから、人との関係性においてどこか警戒心のようなものが芽生えた。

好意的に接してくれる人、気が合う、仲がいいと言える相手にも、どこかで「実は無理させてるんじゃないのかな」と思う自分がいる。

嫌われてはいないだろうけど、実は嫌々ながらつき合ってくれてたらどうしよう、とか、迷惑に思われていたら、とか。

多分もう、考えてもしょうがないようなこと。

相手が実はどう思っているのかなんて、考えても絶対、わからない。

そもそも、相手の了承を得てつき合ってもらったことに対して、実は相手には迷惑だったとしたら、きっとそれは私の問題ではなく相手の問題でもあるだろう。断る、ノーと言う、受け入れるばかりでなく主張する、そういったことに向き合う。

と、ここまで書いて、気がついた。

「相手がどう思っているのか」

それがこわいからと先回りして、相手に不快な思いをさせないようにと画策することって、実は相手の成長みたいなものを勝手に奪ってるのかもしれないな、と。

私が「自分が嫌われたくないから」と、心を引っ込めて、あたりさわりのないようなことだけやって、ぶつかるかもしれないことを避けることは、確かに一見平穏に見える。「何か起こることを恐れて、何もしようとしない」。

けど、そこからの先が、見えない。
その先の、一歩踏み込んだ、人との関係性というものが。

「顔色を伺う」。

それは、確かに私にとっての強力な処世術であった。

先回りして傷つかないように。
自分なりの防御術。

鎧だ。

その鎧。

もう外して、大丈夫なのかな。

いやもうきっと、ずっと、大丈夫になっていたんだ。

その恐怖心からくる鎧はもう、とっくに要らなかった。

自己防衛という考え方から離れてみよう。

防衛とかではなく、どうありたいかに目を向ける時。


新しい方向性に、目を向ける時。

だってもう春だから。

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