見出し画像

イスラエルとパレスチナの紛争(2021年5月22日)

なぜイスラエルとパレスチナの紛争が続いているのか。
実は役所に勤めていた頃に外務省に出向して、パレスチナのお隣のヨルダンという国を日本政府の代表として担当したことがあります。
イスラエルとパレスチナの中東和平に関与していたので、その背景から100年前に遡って、根源が何なのかをご説明をしたいと思います。

起源は第一次世界大戦に遡ります。
当時のイギリスの三枚舌外交が原因の一つになっていると言われていますし、私もそう思います。
どういうことなのか、ご説明をします。

第一次世界大戦は1914年から始まっていますけれども、三国協商(イギリス・フランス・ロシア)と三国同盟(ドイツ・イタリア・オーストリア・オスマン帝国)が争っていました。

当時のオスマン帝国という、今のトルコを中心とした非常に大きなイスラムの国家があったわけですけれども、このオスマン帝国とドイツは協定を結んで第一次世界大戦を戦うことになりました。
また、三国協商(イギリス・フランス・ロシア)は戦争に勝つために、いろいろな外交的な努力をしました。

その一つが「フサイン・マクマホン協定」です。
フサイン(フサイン・イブン・アリー)さんというのは、オスマン帝国からのアラブ人独立運動指導者。
マクマホン(ヘンリー・マクマホン)さんというのは、エジプト・スーダン駐在イギリス高等弁務官。外交官のような人です。
イギリスの第一次世界大戦の戦闘に協力してくれれば、「戦争が終わった後にアラブ人居住地の独立を約束します」「アラブ人の国家を作ってあげます」という約束を取り付けて第一次世界大戦に勝とうとしました。

その一方で翌年の1916年には悪名高い「サイクス・ピコ協定」があります。
イギリス中東専門家のマーク・サイクス、フランス外交官のフランソワ・ジョルジュ・ピコにロシアも加わって、三国協商(イギリス・フランス・ロシア)で秘密協定が結ばれます。
第一次世界大戦が終わったら、オスマン帝国(オスマントルコ)の中東のエリアについて三カ国で分割しましょう、ということを決めたわけです。
オスマン帝国(オスマントルコ)に協力してくれたら「アラブ人の独立国家を認めます」と言っておきながら、戦勝国三カ国で分けましょうって言ってるので矛盾が生じています。

さらに1917年に「バルフォア宣言」が表明されます。
イギリス外務大臣のアーサー・バルフォアが、大金持ちのロスチャイルド家に対して資金協力を求めて、協力してくれた代わりに「ユダヤ人の国家を当該地に建設してあげます」と約束したんです。

「サイクス・ピコ協定」で三国協商(イギリス・フランス・ロシア)は、勝ったら自分たちが分割統治しようということでやっていたのに、アラブ人には「アラブ人国家を作ります」、ユダヤ人には「ユダヤ人国家を作ります」とそれぞれ約束して戦争に対する協力を得ていたことが、今日のイスラエルとパレスチナ紛争の根源になっています。

アラブ人にもユダヤ人にも国家建設を約束するんですけれども、どっちもできないわけです。
そして第一次世界大戦が終わって、今度は第二次世界大戦が始まり、第二次世界大戦が終わったら、アメリカが中心となって世界のいろんな秩序を決めていくことになります。
1948年に今のイスラエルがユダヤ人によって建設をされますが、アラブ人は当然反発します。
そこで起こったのが第一次中東戦争で、今日までの武力的な対立の火種の根幹にあるということです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?