教養と労働

すみません、仕事にのめり込みすぎてなにもできない日々が続きました。

この一点集中型を本当になんとかしたいですね。

真面目であるのはいいことだと言いますが

真面目すぎるというのは窮屈でもありますから

応援するのはいいけど

いつも一緒にいると疲れてしまうんだろうな。

で、いつもフラれるんだろうな。。

さてさて本題

❇︎

最近会社に新入社員が入ってきた。

年々、稼ぎたい欲重視の選考になっていて

たくましくてさっぱりしている人材が多くて感心する。

わたしが新卒のころ、

毎日泣きながらやっていた仕事を平然とこなし飛び越えていく後輩を見て

去年までは嫉妬の渦に飲み込まれ大惨事だったが

今年はわたしはわたし、とほほえましく見ていられるようになった。

わたしは大人になったのだ…!

後輩の出身大学にはばらつきがあるが

学歴がいい子が成績優秀とは限らない。

むしろ学歴など近代の病苦であると言わんばかりの

欲望に忠実な子の方が仕事の覚えが早かったりする。

わたしは勉強が好きだった。

仕事のための勉強ではなく、教養を得るための勉強が好きだった。

教養を得ることは、お金を稼ぐこととは無縁の世界で

清く美しいことと思っていた。

逆にお金を稼ぐことは非常に卑しいものだと思っていた。

お金を稼ぐ、いい男をゲットする等、欲望というものから逃れたくて、理性でがんじがらめにして修行していた。

だからこんなにあっけらかんとしている人たちを見ると

本心で言えば本当にびっくりする。

今は逆に、あっけらかんとする修行の最中だ。


なぜ、教養の深さと仕事の成績は必ずしも比例しないのだろう。

そもそも金銭を得るために教養があるわけではないからだ。

仕事にはいつも時間とお金の制限がある。

例えば建築家が家を建てるとき、100%理想の住居を作ることは自費の作品とかでない限り無理だ。

(例え話苦手なんだけど伝わるかな笑)

ある程度見て見ぬふりして採算合わせて作る。

お金を取るために無駄な設備をつけるかもしれない。

要するに、うまく妥協できる人間が資本主義において重宝されるのだ。

教養は、資本主義を理解してうまく使わないとむしろマイナスに働くこともある。

相手が納得しお金を出すことが正義だから

頭でっかちじゃだめってことね。

おわり






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