新しいブラが欲しくなるとき、新しいカレが欲しくなるとき。
わたしは今、とっても胸がときめいている。
明日の仕事が手につかないリスクを背負いながら
はちきれそうな気持ちでいっぱいになって眠れずにブログを書いている。
わたしは恋をしているのかもしれない。
しかもこの恋は中学生以来のピュアなもので
普段の抑えきれない肉欲を解放するための相手ではなく
精神的な繋がりを持ちたいと思う相手なのだ。
ひと目見て、この人のことが好きだと思った。
恋というのは、落ちるものなのだと、初めて知ったかもしれない。
それほど他人を受け入れる状態に今までなったことがなく、
実験的な生活を重ねるうち、徐々に人に心を開けるようになり
恋に落ちることもできるようになった。
自分でも、とても成長を感じている。
いつも心を開いた状態でいるというのは難しい。
昔、演劇をやっていたのだが、
あまりに頭でっかちで舞台を降板させられたことがあるわたしにとって
心を開くことができないというは自分でも改善したい部分として長らく抱えていた問題であり
演劇というものに魅力を感じる所以でもあった。
人を精神的に受け入れることができないのならば、肉体的に開くところから始めようと思い立ち
無感動のSEXに明け暮れ、愛のあるSEXが欲しくなり、ついに精神的なSEXを求めるようになった。
つまり、ただ直接的にやれば満足できるわけじゃなくなったのだ。
焦らしが一番興奮する。
関係性の進展が遅ければ遅いほどドキドキして、高まる。
ゆっくり、お互いを理解して、繋がりたい。
それはとても贅沢で官能的なことだと思う。
精神的なつながりが欲しいというのはとどのつまり、原点回帰だ。
昔はできていたことが、少し理知的になってできなくなり、
また元の野原に戻ってきたのだ。
今、心がとてもわくわくしている。
恋愛が芸術において様々な言い回しで繰り返し言及されるのは
まさに心を開いた状態、
客観的に自分を見ることができなくなるような興奮を体現できるからなのかもしれない。
とにかく今、どう転ぶか分からない恋愛事情を流暢に話せるのは
あっけらかんとする訓練によるもので
わたしはとても嬉しい。
おわり
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