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そこにない何かを魅せる踊り

(2017年3月&2018年1月の以前のブログ記事に加筆修正した再掲です)

アビナヤとは

私がこよなく愛する南インド古典舞踊バラタナティアム

力強いステップ、複雑なリズム、鬼気迫るかけ声、そんな純粋舞踊の部分も好きなのですが、なによりも心惹かれるのが、もうひとつの構成要素「アビナヤ」といわれる演技・パントマイム・感情表現の部分です。

喜び、怒り、笑いなどの感情を表情やしぐさで表現しながら、演奏される曲の歌詞と身体表現で物語をつむぎます。私は歌詞の意味が分からないので、上演前の演目の解説などから概要しか理解できないのですが、それでも、踊り手の表現がスッと心に入ってくることがあります。

シータ姫の深い愛

心に残る舞台はいくつもありますが、そのひとつを紹介します。

この数年追っかけをしている若手のダクシナ・ヴァイディヤナタン(Dakshina Vaidyanathan)さんの、2016年1月、チェンナイのKrishna Gana SabhaとBrahma Gana Sabhaという劇場で行われた演目です。2回、観ちゃいました(ちなみに彼女は今年ついに、一番格式が高いといわれる劇場ミュージック・アカデミー The Music Academyの舞台にソロで立ちました。素晴らしかった!)。

それはインド2大叙事詩のひとつ「ラーマーヤナ」の一節でした。「ラーマーヤナ」はざっくりいうと、ラーマ王子とその妻シータ姫、シータ姫をさらう魔王ラーヴァナ、ラーマ王子を助ける猿神ハヌマーンなど魅力的な登場人物と示唆に富んだエピソードが、インドのみならず東南アジア一円にも広く親しまれている壮大な物語です。

そのなかで、シータ姫と結婚してまだ日が浅いラーマ王子が、策略により森に追放され14年間すごさねばならない、というくだりがあります。

ダクシナさんの演目は、「森の生活は厳しいものだ、おまえは王宮に残れ」というラーマ王子に、「いいえ、私はあなたの妻。どこであろうとご一緒にまいります」というシータ姫の心情をひとつひとつアビナヤで表現していくものでした。時間にして10分程度でしょうか。

残れといわれ、最初は嘆き、そして怒り、ラーマ王子に抗議するシータ姫。少し落ち着いて、一緒に連れていくように冷静にラーマ王子を説得するシータ姫。そして最後は、頭から妃の飾りを下ろし、ネックレスや腕輪などの装飾品も外し、ラーマ王子の手をとって、さあ行きましょう、と促します。

ラーマ王子に手をひかれながら、王子と一歩一歩合わせる足どり。途中、ふと王宮をふり返るシータ姫は、「いいえ、もうあそこには戻らない。きらびやかな生活などすこしも惜しくはない、王子以外になにもいらない」と首をふり、笑みを浮かべて森へと去っていきます。

ないものを魅せる

バラタナティアムのステージには、通常、舞台装置はなにもありません。このときもダクシナさんは身ひとつでステージにいました。

それでも、王宮があり、宝飾品があり、愛しいラーマ王子がいて、手に手を取り合って森へと歩いていく、その様子がはっきりと見えました。怒って泣いて最後はラーマ王子の説得に成功して、これから不便な森の生活になるというのに、これ以上ないくらい幸福な妻の微笑みを浮かべていたシータ姫があまりにも愛おしくて、2回観て2回とも号泣しました(笑)

アビナヤはただなんとなくする演技ではなく、表情にしても、目や眉の動きまで細かい技術がたくさん使われるものです。とてもとても私が生涯で習得することは不可能なのですが、せめて、このような魔術をできるだけたくさん観たいなあと思います。いろいろ困ったこともあるインドなのに、こういう瞬間を見られると、ほかのことはもうどうでもいいといいますか、結局、惚れた弱みといいますか。

インドにいると、日本では考えられないような事態がいとも簡単に起きるので、「えっ!」とか「ちょっと待て!」とか「ゆるさん!」とか「ギャーッ!」とか「きゃーっ♡」とか「うわーっ!」とか、さまざまな感情がモロに顔に出る私です。日本人はアビナヤが不得手といわれるけれど、インドに行ったらきっと上手になります。

ダクシナさんの動画あまりいいのがないのだけどお母さんのラーマさんがアビナヤについて語っている動画を貼っておこう。

バラタナティアムは動画で観るもんじゃありません、ライブで観ないとぜんぜん良さがわからない。

ダクシナさんとの出会い

実をいうと、彼女のために毎年チェンナイに行かなくてはならなくなってしまったのです。

初めて見たのは2013年のこと。正確には踊りではなく、お母さんのラーマさんの公演でひときわ目立っていた彼女を見かけました。そのころはラーマさんを追いかけ始めたころで、とにかく最前列で食い入るように見入っていたわけですが、どの劇場に行っても、首筋に蝶のタトゥーが入った美しい人がいまして。

大きく背中が空いたアナールカリー(ワンピース型のインド服)を着ていると、遠くからでもすぐに彼女と分かります。タトゥーもよく似合っていたし、なんて見目麗しく女神のように美しい人なんだろうと思って眺めていたら、どのタイミングだったか、ラーマさんのお嬢さんであることが分かりました。

翌年の2014年、ラーマさんはマレーシアのバラタナティアムダンサーとのコラボで、『Brahma Kalpa - The Eternal Universe』というダンスドラマを上演しまして。シンガポール公演に弾丸日程で駆けつけた際、初めてダクシナさんの踊りを観ました。

このときはまだ、ラーマさんとマレーシアの権威のダンスグループの一員という感じでしたが、私はここで彼女に恋に落ちました。古典の要素を入れた創作ともいえる分野で、エライもんを観てしまったと思いました。

チェンナイに呼ばれて

明けて2015年のチェンナイのダンスシーズンはラーマさんと母娘デュオで『DWITA』という演目を上演。違う劇場で2回観ました。

顔立ちも体格もよく似ている親子で、しかも師弟ですから、双子のようにシンクロする動きがみごとでした。この親子をずっと追いかけたい! ともうそればかり。

思えばダクシナさんのダンサーとしての独り立ちのために数年がかりでプロモーションをしていたんですよね。この流派はバラタナティアムの一門には珍しく北インドのデリーを拠点にしていて、衣装やジュエリーが南インドの感覚よりも控えめなんです。

色味も渋いし、ジュエリーは吟味し尽くしたという感じで、ゴテゴテ飾り立てない。そしてそれがピタリと似合うのがまた素晴らしい。

2016年のシーズンは、いよいよ権威ある劇場でソロ公演をすると聞きつけ、もちろん駆けつけましたよ。権威あるとはいっても、学校の講堂レベルの質素としかいいようのない小さなステージでした。が、そこでダイナミックに繰り広げられるVarnam(バラタナティアム公演で一番重要とされるメインの演目)を観て、もしかしたらお母さんよりも彼女のほうが好きかもしれない、という予感がしました。

シータ姫のアビナヤ演目を観て号泣したのもこの年のことでした。私の古典への理解が足りなかったせいもあって(いまも足りないけど)、それまで古典舞踊のアビナヤで泣いたことがなかったので、かなり衝撃的な舞台でした。

1月のチェンナイのダンスシーズンはあちこちの劇場でソロ公演が花盛りで、その中で頭ひとつ出るには、実力ももちろんですが、流派のグルの力、スポンサーの力、批評家の力、いろいろな力関係が渦巻いています。全然詳しくはないけれど、毎年来ていると「すっごい面倒くさそうな世界」というのは嫌というほどわかります。

ミュージック・アカデミーの大舞台

翌2017年はついに、もっとも権威あるミュージック・アカデミーの午前公演デビュー。ここの午前公演は、ミュージック・アカデミーいち推しの若手ダンサーが舞台に上がるもので、ここで成功することで一流への道が待っている、という大舞台です。

いよいよダクシナさんがここで踊るのかと思うと、数年しか追っていない私も感慨深かったです。そういえばこの時のステージでは勢いあまってバランスを崩し、転倒しかけた一幕があって、観ているほうは自分でもわかるくらい生唾を飲み込む音がしました。

が、ナットゥワンガム(楽団の総指揮)を務める師匠のラーマさんを見ると眉ひとつ動かさずに演奏を続けていました。どんな失敗があってもステージが止まらないのは当たり前なのだけど、魔物がいると囁かれるミュージック・アカデミーの舞台でまったくの平静でいられる、その、それまで積み上げてきた想像もできないような鍛錬の歴史に、泣きました。

この年はほかの大御所ダンサーの公演のときにも欠かさず客席にいるダクシナさんと何度もすれ違い、東インドの古典舞踊オリッシーの巨匠Sujataさんのときは、ずっといい香りが後ろから漂ってくるなあと思っていたら、なんと真後ろにラーマさんダクシナさん親子がいたことに終わってから気づいて、"Hi!"なんて気さくに声までかけてもらって、ひっくり返るかと思いました。

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その後、結婚もされて、幸せいっぱいな様子がFacebookで報告されていて、遠い親戚のおばちゃん気分で目を細めて眺めていました。

そして今年2018年。ミュージック・アカデミーの午前公演2年目。もともと安定感のある踊り手ですが、この数年で一番、安定感が際立っていたと思いました。おそろしく正確でストイックなヌリッタ(型の連続で構成する純粋舞踊)をこれでもか、これでもかと過酷なまでに繰り広げ、それでいてどこまでも力強く、優美で、まさに女神。

(比べるのも愚かではありますが)一応自分も同じ踊りを習っている身からすると、どのへんでどうしんどいか分かります。むしろそんな部分こそいっとう輝いていて、ほんとうに見惚れます。

個人的な好みでは、バラタナティアムの踊り手はあまり細すぎないほうがよいです。ある程度のボリュームがある身体が自在に動き、跳ね、伸びる、というところに、直線的で男性的ともいわれるバラタナティアムらしいダイナミックさがあると思います。

ダクシナさんはまさにそんな踊り手。顔が小さく、手足が長く、体幹がたっぷりしていて、どんな体勢でもびくともせず、よくしなり、よく動く。全身が神がかっている。

そういえば、日本の古典舞踊の踊り手はブラウスに染みる脇汗を気にする人も多いのだけど、ダクシナさんを観てからまったくもってくだらないと思うようになりました。一曲目で染み出した脇汗が、二曲目には肩に広がり、三曲目あたりに30分以上あるメイン演目Varnamがあるので、その間に衣装がすべて汗に染まるんですよ。

汗を含んですっかり色が変わったシルクの衣装は照明を浴びて光り輝いて、それはそれは美しいのです。動くたびに飛び散る汗もキラキラして、いやあ、ほんと、綺麗。あの汗を浴びたい。あれ、だんだん変態じみてきました。ははは。でも、脇汗を気にするなら気合いで全部変色させるくらい発汗しないといけませんね。たいへん下世話な余談ですが。

まあとにかく、そんな彼女を観たくて、毎年のチェンナイ通いが欠かせなくなってしまった次第です。

美しいものを愛でる、そういう楽しみがなくて、なにこの人生。



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