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この春、わたしが手放したもの。

クラスで目立つタイプと内に秘めるタイプ。

その間に立って「仲良く」を取り持つことがコミュニケーションが得意なわたしの役割だと思っていた。

「みんな仲良し」が正義だと思っていたから。
人をきらうことは良くないことだと思っていたから。


だってみんな仲良しがみんなハッピーでしょ?


でもそんなわたしは自分で自分のことを見えない糸でぐるぐる縛ってしまっていた。そしてそれを押し付けていたのかもしれない。


目立つタイプの「みんなクラス仲良しだよね、楽しいよね学校。」って雰囲気にも。内に秘めるタイプの「本当は思ってるけど、みんなには言わないでおこう。」の雰囲気にも。うーーんって思ったりしてて。


でもそんな感情は無視してとりあえず、仲良くすることに舵をきったのです。

今思えば、〇〇なタイプなんて分けないで各々のいいところを見つめて、そんで自分と波長の会う人との時間を思いっきり楽しんだらよかったのにね。


そんな「みんな仲良し」でいなければいけないという考えをやっと、手放せてきたように思う。意識し始めてから1年以上が経ったけど。


みんな仲良しはたしかにハッピーだ。

でもその「みんな」は元々大切にしていることが近い人でいいんだと思うんだ、今は。

性質が合わない人と共にいることはそれだけでしんどいから。お互いのためにもハッピーでいられる人と共に過ごすのがいいね。


この春、わたしは「みんな仲良しの正義」を手放しました。


この日記は、オンラインコミュニティ.colonyの部活「 #まいにち日記部 」の3月の共通テーマ「私が手放したもの」に沿って執筆したものです。

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森あんじゅ AnjuMori
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