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『浅草キッド』

自分にとって「ビートたけし」という人は特別だから、『浅草キッド』を観て思うところはたくさんあった。みんな自分だけのたけし像があって、そこには寸分の狂いも許せないから仕方のないことなのだろう。

初めてテレビでツービートを見たときの衝撃、一度だけ出した俺のハガキがオールナイトニッポンで読まれたときの思い出。映画、フライデー、バイク事故、それらをただのファンとして遠くから見ていた。

同じく大のたけしファンである平林監督と一緒に、カンヌ映画祭の会場で北野武監督を見た。赤い階段を照れくさそうに昇って、振り返ると少しだけ手を振った。平林監督は興奮していたが、もうファンではなく、いつかは同じ赤いカーペットの上で監督同士として会いたいんだろうという気持ちも伝わってきた。

劇団ひとりさんがやるビートたけしの真似は松村さんとは違った味わいがある。ファンである種類がふたりで違うのだろうと感じる。どちらも好きだけど。

ある知人がずっと昔から仕事を一緒にしているけど、たけしさんとは無駄話をしたくないと自分で決めていて、必要なことしか話さないそうだ。そういう昔気質で粋な仕事人が集まるのが深見師匠からの系譜なんだろう。俺自身もたけしさんに近しい人に対して一度も「たけしさんってどういう人ですか」とは聞いたことがない。

自分が相手から興味を持たれる存在じゃなければ、(おこがましいけど)対等ではないから話したくない。仕事の場だけならみんな毎日数十人の人と会うわけだけど、それは俺の基準では「会ったこと」にはならない。一番野暮な行為だ。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。