見出し画像

哲学者のビンタ。

「名選手は必ずしも名監督にはならない」というベタすぎる言葉があります。これにはいくつかの側面があって、ひとつは単純に技術が巧い人でも、それを教える技術とは別、という意味です。似たようなことですが、自分が卓越した技能を持っているからこそ「できない人の気持ち」をまるで理解できないとも言えます。

そこで問題になってくるのは、「私には技術があるので他人に教えられるはずだ」と勘違いすることで、これはユユしき問題なのです。まず、超一流の技術を持っている人は、だいたいの場合教えることに興味を持ちません。自分のことだけで忙しいですし、教えてもヘタです。ビンタもするでしょう。

面白がってはいけないんですが、私が好きな話は、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが田舎の小学校で生徒をビンタした話です。哲学界最高の頭脳とも言われた彼は、アカデミックな世界から離れて教師になるのですが「こんなこともわからないのか」と愚鈍な生徒に苛立って、女の子であってもビンタしたりして教職を追われるわけです。愚鈍と言っても、小学生が哲学者と同じように考えられるはずがありません。

人に何かを教えたい人は「丁度いいくらいの技術を持った凡人」がいいのです。ですからそこで「私は人に教えられるほど優秀だ」とアピールする人は論理矛盾を抱えていると言ってもいい。わかりやすく、お金儲けが目的なんです、とか、本業ではメシが食えないんで、と言ってくれるとラクなんですが、そうは言いません。優秀な人なら経済的な心配もないでしょうから、本当に技術を継承したいだけなら無料でやってもいいのです。

結論として何が言いたいかというと、レッスンプロのような人が商売で言っているのをあまり真に受けない方がいいということです。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。