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「無印はユニクロより生成り」

という諺があるけど、フィクションよりもドキュメンタリーの方に自分の意識が向いているなあ。

情報の多い現代に生きることは、多かれ少なかれ誰かの発言に無意識に左右されている。その小さな個人行動の集積が「時代の空気」と呼ばれるモノなんだけど、空気はドキュメンタリーに流れている気がする。言い換えればウソのないものか。

現実の出来事の荒唐無稽さが、小説や演劇を上回っているのを見ると仕方のないことで、脚本なら「わざとらしくてあざと過ぎる」と却下されてしまいそうな状況が国会議事堂の中などで平然と起きている。

今年の自分を振り返ると、萩本欽一さんの芸人としての生き方を描いた映画「We Love Television?」に関わらせてもらったり、山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加したりと、モロにドキュメンタリーに縁のある年だった。

そもそもフィクションとノンフィクションはどちらが先にできたんだろう。ギリシャ神話はフィクションだけど、ラスコーや高松塚はドキュメンタリーだよな。

小説は「ここは2300年の地球である」と書くだけでいいけど、映像は何かを撮っただけでドキュメンたり得るんだろう。

もし、写真という仕事がノンフィクションに近いとすれば、デザインという文学に似たフィクション作法から自分の気持ちがスライドしたのかもなあ。

久しぶりに映画でイザベラ・ロッセリーニを見たけど、当然のごとく年齢を重ねていた。演じている架空の人物以前に、それは女優の加齢が映っているドキュメンタリーでもある。

そんな意味も含めて本日も撮影に行ってきます。おはようございます。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。