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泳げるようになったのは、突き落とされたから。

タケさんの下手なお話にお立ち寄りくださってありがとうございます。

自転車は理屈じゃなく体感だ

自転車に乗れるようになったのは幼いころ、誰に教わったでもなく、いわゆる三角乗りで乗れるようになった。現代のように子供用自転車があった訳ではないから、どこの親父たちも通勤やあるいは商売人なら配達などに使っていたものを拝借してのこと。
一度覚えれば、理屈抜きで乗り回せるもので、生涯忘れることはない。

水泳も同じことが言える。小学三年生の夏。プールの授業でのこと、上級生みたいに泳げたらいいなぁと思うより、むしろ怖かった気がしてた。

プールサイドで他の子たちを眺めていたら、多分、上級生だろう、突き落とされてしまった。今まで泳げなかったから、もうそれは今風に言えばパ二くってしまい、バチャバチャともがくしかなかった。

気付いたらプールのヘリにたどり着きしっかりとつかまっていた。もしこれが恐怖心となってプールの授業はもう嫌だとなっていたら、大人になっても泳げなかったかも知れない。その時、”なんか泳げそうな気がする”と思ったのだろう、自ら飛び込んで練習したら、形はどうあれなんとか泳げるようになった。

メールすらできない同僚

現在のアルバイト先でのこと、どこで聞きかじってきたのか知らないが、ガラケーがもう使えなくなるとばかり、同僚が最近スマホに買い替えてきた。で、彼曰く、「メールなんて必要あんのか?電話して喋った方が早い」とまで、メール不要論を言い放つ。彼は、ネットなんかサッパリ分らんから、このスマホは電話だけだ、と持論を展開する。

時代錯誤も甚だしい。自ら何かを覚えようとしない、学ぶことをしなければ、退化する一方だろうと思ったりしてしまう。

自ら学ぶ姿勢と楽しさを知る

ちなみに、小生の場合、仕事でパソコンは必需品だ。PCなしでは仕事ができなくなる。以前の勤務先では、女性職員がすべて事務処理していたので、PCを使う必要が無かったが、会社の機構改革や業務の分担化や合理化・効率化で各自がPC必携となった。

否が応でもPC操作はやらない訳にはいかない。自分で操作を覚えるしかなかった。教わることもなく、何だかんだカチカチとマウスをいじっているうちに、それとなく操作できるようになった。

自転車にしろ、水泳にしろ、パソコンもしかり、自分で覚えようとしなければ何もできないで終わってしまう。特別なPCスキルがある訳では無いけれど、パソコンは現代社会に欠かせないツールとして、大いに生活の中に溶け込んでいる。そして今、「note」は楽しさを与えてくれることは間違いない。

最後までお付き合いくださってありがとうございました。

今日の一日に感謝。






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