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身の上相談的な#39.体調不良が続き、死の恐怖感がよぎる。


人生折り返しで、急速な身体的衰え

50代女性会社員です。どう生きていけばと、悩んでいます。

以前から痛かった膝の手術を2年前に受け、辛いリハビリを経て順調に回復したのですが、喜んだのもつかの間、最近、階段の昇り降りさえ辛い日々を過ごしています。

また、ひと月ほど前、不整脈と思われる発作で救急搬送されたこともあり、毎日、健康不安で憂鬱です。

世の中、もっともっと辛い思いをしている人がたくさんいることは理解しています。
幸い職場にも経済的にも恵まれた環境ではあっても、同年代の元気な同僚の姿を見るにつけ、「なんでわたしだけが」と思うと悲しくなります。

年々、体力の衰えと共に不自由さも増す身体に、何か得体の知れない絶望感のような気持ちが襲い、死の恐怖さえ感じます。

職場ではそれなりの立場で、周りからの相談を受けることもあり、気丈に振る舞うのとは裏腹に自分のことで苦しいのです。

人生もすでに折り返し地点を過ぎ、限られた残りの人生をどう過ごすか、もっと前向きに楽しんで生きなければいけないと、そう思いたいのですが、どうしても健康不安が頭から離れず悩んでいます。

心の持ちようを知りたいです。

@智史BUMBÚ としてはこう思う。

誰でもいつかは死を迎えることを知ってはいるけれども、確かに人は死を怖れていることもまた事実。
たったひとりでというイメージが強すぎて、「なんでわたしだけが」と、周りから見放されてしまう気がしてならないのかも知れない。

特に健康面からくる不安は、他人の理解を得ることは難しい。
ただ、そのマイナス要因にばかり目を向けてしまうと、視野が狭くなり、周りの景色を見落とし、ネガティブスパイラルの悪循環に陥ってしまう、ということを認識する必要がある。

そこで、不安という気持ちを強引にでも向こう側から視るという発想を試みるのもいいかも知れない。

例えばドラマを視ているように、すこぶる元気な自分(強気な自分)を演じ、不安がっている人(弱気な自分)に「その程度なら大したことないんじゃない?」、「いよいよダメになったら、切断したって生きられるよ」みたいに”カツ”を入れる。

また、「なんでわたしだけが」という自分に向けた言葉を、「わたしだから」に変換し、健康不安をむしろ課題として改善方法を見つけ出すなど、楽しんでみるのも前向きな発想になると思う。

「なんでわたしだけが」とは、言ってみれば健康な人への嫉妬でもある。

嫉妬は自分を貶めることにもつながる。
むしろ健康な人に対し「健康で良かったわね」と祝福する気持ちを発揮すると、そういう気持ちは自分に向けたことにもなり、健康へいざなってくれるようになると考えて差し支えない。

残りの人生などと、ネガティブな発想ではなく、「今だからこそ」と、趣味や勉強などに目を向けてみたり、バランスの良い食生活(料理の実践)を心がける等々、好奇心を駆り立て、日々を大切に過ごす方法を工夫して欲しい。

ちなみに@智史BUMBÚも、健康面で不安が全くないとは言えないけれども、健康番組などで知り得たことは可能な限り実践するよう心掛けてもいるし、特にラジオ体操もどきで身体を動かすようにしている。
また、このnoteの投稿を通じて、日々を楽しんでいる。








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