ほぼもう一人の私
ある日、田辺さんとぼる塾の話をしていて「最初の頃より漫才が上手くなった。」という話題になりました。
「あんりちゃんはもともと上手だったけどはるちゃんすごく上手くなったよね。」
「はるちゃん上手くなった!楽しくできるようになった!って言ってたわ。」
「田辺さんもこの半年くらいで今までの中で最高のまあねを何度も更新したよね。」
「まあねー。」
私はその時、田辺さんの漫才の練習方法を思い出しました。
「そう言えば田辺さん昔お母さんと漫才の練習してたよね。」
「してたわ!懐かしいわね!」
それはまだ私達が猫塾というコンビだった頃の話です。(ぼる塾はあんりちゃんとはるちゃんのコンビ「しんぼる」と田辺さんと私のコンビ「猫塾」が合体してできたカルテットです。)
「え、田辺さん、お母さんと漫才の練習してるの?」
養成所からの帰り道、田辺さんに言われて私は衝撃を受けました。田辺さんは「そうよ。」と(何を驚いてるの?)という顔で返してきました。
「え、どうやって練習してるの?」
「酒寄さんの所を母親に言ってもらってるの。」
私は今日ネタ見せの授業でやったネタの内容を思い出しました。
「田辺さん、お母さんに『あんたの顔がハンバーグ』とか言わせてるってこと?」
「そうなるね。」
「いや、お母さんに言わせるような台詞じゃないよ!お母さんどんな気持ちで自分の娘に『あんたの顔がハンバーグ』って言ってるの。」
「でもうちの母親なかなか酒寄さんのように言ってくれなくてさ、『酒寄さんはそんな言い方しないよ!』って怒ったら喧嘩になったわ。」
私は「そりゃ怒るよ。お母さん可哀想だから1人で練習しなよ。」と言いました。すると田辺さんはこう返してきました。
「私本当に物覚えが悪いし、漫才も下手だから、ぶつぶつ暗記するだけだと駄目なのよ。家でもちゃんと漫才の形でネタの練習したいの。酒寄さんに迷惑かけたくないし、早く漫才が上手になりたいの。」
田辺さんは真剣な顔でした。
「田辺さん・・・。」
「母親も嫌々ながらも協力はしてくれるし。」
「あ、やっぱり嫌嫌だよね。」
私も漫才は下手なので、田辺さんと「いっぱい舞台に立って漫才うまくなろうね!」と決意を新たに気合を入れました。
そして私達は養成所を卒業し、芸人として舞台に立つようになりました。あの日の決意から数年後。
「え、田辺さんまだお母さんと練習してるの?」
無限大ホールからの帰り道、田辺さんに言われて私は再び衝撃を受けました。田辺さんは「そうよ。」と当然の様に答えました。
「今日のネタも?」
「ええ。母親との練習の時いつも言えなかった所が本番はちゃんと言えて良かったわ。」
今日のネタは「田辺さんがいい女であることをさりげなくアピールするために田辺さんが高校の同級生と月1やっている女子会に私が参加させられる」という漫才でした。
「お母さんどんな気持ちで練習してくれたんだろう。自分の娘を褒める台詞が『冬、風よけになります』だよ。」
「『確かに』って言ってたわよ。」
私が「田辺さんもう流石に1人で練習できるよ。」と言うと田辺さんは、
「最近母親が漫才上手くなってきたの。」
と言ってきました。私が「どう言うこと?」と聞くと、
「母親が『田辺さんが雪だるまだよ。』って言って、私が『バカ!』って怒鳴るでしょ。練習の時に母親が
『あんた酷いこと言われてから【バカ!】って言うタイミングが早すぎる。言われて内容を理解するのにもう少し時間がかかるはずだよ。酒寄さんならきっとそう言うよ。』
って言ってきたの!!」
田辺さんは「他にもね、テレビ見ながらぶつぶつ言ってるから何かと思ったら『ごめん、田辺さんはギャップがある女ってことだよ』って酒寄さんの台詞練習したりしてたわ」とお母さんの話を続けました。私はどんなことにも見えないところで頑張ってくれている人がいるんだなと思いました。
そして現在。
「そんなこともあったわねー。」
「猫塾の時は本当に田辺さんのお母さんが練習付き合ってくれたから私達ちゃんと漫才の形になって披露できていたのかもね。」
「あら、ぼる塾になっても最初の頃は母親と練習してたわよ。」
私は三度、衝撃を受けることになりました。私が「ぼる塾の漫才はトリオだよ?」と言うと、
「母親にはあんりとはるちゃんの所言ってもらってた。」
「お母さんの負担半端ないじゃん。」
「まあね。母親、何年も酒寄さんをやっていたからいきなりあんりとはるちゃんになるのはすごく苦戦していたわ。」
「もうお母さんの練習じゃん。」
こうなると田辺さんがなんで母親との練習を辞めたのかが気になりました。聞いてみたら
「ぼる塾の仕事が増えて私が帰ってくるのが夜遅くになったから、もう母親寝てて練習できなくなったの。」
ぼる塾の仕事が増えて一番良かったのは田辺さんのお母さんかもしれないと思いました。
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