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多様な考え・捉え方「悩んでるうちが花」【生き方のコツ】


思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

マザー・テレサの名言 第2集

無知の知

自分が知らない状態を恐れてすべてを知ろうと質問攻めになることも少なくないだろう。その都度思った不安を解消していく程度で良く、多くを一度に知ろうと思っても点ばかりが増えていって、後で線を引く際にどこにつながるのか余計混乱することもしばしばある。たとえば、技術的・専門的な話と人とのコミュニケーションという非専門的な話を一緒にして考えないことが重要で、これらを総括して覚えるというより、まず現段階でできる部分を認知して、必要なのに不足している部分を補っていくというのが賢明な考え方なのだ。

―――メタ認知

メタ認知(メタにんち): 認知を認知すること。人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識すること。それをおこなう能力をメタ認知能力という。メタ認知能力(メタにんちのうりょく: Metacognitive Ability) [編集]現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力を言う。 自分の認知行動を正しく知る上で必要な心理的能力。 Knowledge Monitoring Ability Knowing about knowing.(知っているということを知っている)、 Cognition about congnition.(認知していることを認知している)、Understanding what I understand.(私は理解しているということを理解している)現代において、メタ認知能力の育成は、教育、とくに学校教育において特定の教科教育を越えた重要な課題のひとつとなっている。<メタ認知能力を測る9項目>以下の質問に「はい」と答える数が多いほど、メタ認知能力が高いことになる[要出典]。自分が用いる方法がどのような問題解決のときに、最も効果的なのかを知っている
1.どのようなやり方が有効か、十分考えてから課題に取り組む
2.問題の中の重要な部分に意識的に注意を向けている
3.自分がどの程度よく理解できているかについてうまく判断できる
4.問題が解けたとき、自分がどういう方法を用いたかわかっている
5.問題に取り組んでいるときに、うまくいっているかどうか、定期的に自分でチェックしている
6.勉強するときは、その目的に合わせてやり方を変える
7.勉強したり課題を行うときには、計画を立てる
8.考えが混乱したときには、立ち止まり、もとに戻って考えてみる

メタ認知 - Wikipedia

アインシュタインが残した言葉ですけれど、「人間の価値はその人がどれくらい自分自身から解放されているかによって決まる」ということを言ってまして。 これは要するに、生まれたばかりの子どもというのは、自我に没入しているというか、自分の世界なわけですよね。徐々に他者から自分を客観的に見るという視点が出てくるわけですけれど、それにわれわれが言うメタ認知というのが、一番前頭葉を使うわけですよ。 たとえば自分がやるべき仕事はなにである、とかね。自分にとって、自分が見えている世界がどうだ、というだけじゃなくて、それが、他の人から見てどうなのかとか、他の国から見てどうなのか、他の文化から見てどうなのかということを常に問いかけるというのが、ぼくは一番、前頭葉を創造的な意味で使う行為なんだろうと思うんですよね。

メタ認知が、一番前頭葉を使う

実は心理学では、「知性的である」ことの重要な要素として、「メタ認知ができること」が挙げられています。
またアメリカの心理学者であるジェームスも、「コミュニケーションにおいて何より大切なのは、メタ認知の視点を持つことである」としています。
ではメタ認知とは、いったい何なのでしょうか?
カンタンに言えば、「認知をしている自分を、客観的に認知すること」。
たとえば!
ダジャレを連発する人がいたとします。
これが周囲に寒く感じるのは、本人が、「それが面白いと信じて疑わない」から。
言ってみれば、「自分を客観的に見ることができない」からですね。
こういう人は、あまり知性的には見えません。
同時に周囲も困ってしまいます。
すなわち、
「自分は面白いと思うけど、ハタから聞いて、これって面白いのかな…?」
「突然、ダジャレを言う自分って、みんなからどう思われるんだろう」
というように、冷静に自分と周囲の状態を見つめられることが、大切だというわけです。
まぁ、そんなメタ認知ができる人なら、そもそも「ダジャレを言ってもウケない」ということが分かるので、最初から言わないと思うんですけども。
◆ 自分で自分にツッこもう。
ただこれ、ギャグでなくても、会話全般について言えます。
とにかく口説く!
とにかくセールストーク!
勢いは確かに大切ですが、ひたすら同じことばかり繰り返していては、相手もウンザリしてしまうはず。
あなたが「いくら言っても伝わらない」と言うのなら、それが原因です。
自分の主張だけに夢中になり、「自分がどんな状態にあるか」を考える余裕がないわけです。
そんな場合は、とにかく「メタ認知」。
一歩うしろから、全体像を眺めることが大切です。
では、具体的にはどうすればいいのでしょうか?
それこそが、「セルフツッコミ」なのです。
◆ 客観的に、見てみよう。
たとえば、誰かにはじめて声をかけた場合。
「あの、すみません! ちょっとお時間ありますか? あなたと話したいんですが、少しだけいいでしょうか? 僕の名前は…」
というように連続で話されては、相手も不安になり、心を閉ざします。
それよりは、「一歩さがった客観的な視点」を告げること。
 「あの、すみません! ちょっとお時間ありますか?」
⇒「自分でも、いきなり声をかけてしまって、悪いなと思うんですけど…」
こう告げると、相手は少し安心します。
そしてもし可能であれば、さらにその上でのダメ押しをすること。
⇒「ただ、それでもどうしても話したくって」
こう言えば、相手は少し安心した分、ダイレクトにこの言葉が入ります。
この「主張」⇒「客観的な視点(セルフツッコミ)」⇒「ダメ押し」という言い方は、すべてに応用できます。
 「僕は君を幸せにする!」(主張)
⇒「…って、根拠ないのにこんな断言してる自分が微妙だけども」(ツッコミ)
⇒「でも、今の本音の気持ちなんだ」(ダメ押し)
 「つきあってください!」(主張)
⇒「…って、●回目のデートで言うのは早いかもしれないけど」(ツッコミ)
⇒「でも、本気なんです」(ダメ押し)
 「ぜひ弊社の商品を試していただけませんでしょうか?」(主張)
⇒「突然こんな話をして、申し訳ないと思っているんですが…」(ツッコミ)
⇒「ただ、本当にオススメなんです」(ダメ押し)
相手の反応が悪いかも…と思ったら、とにかく一歩ひいて、セルフツッコミ。
こう話すだけで、相手はあなたの言葉に余裕を感じます。
一つ覚えで同じことを繰り返すより、知性的に見えるかもしれません。
◆ 近いけど違います。
ちなみにセルフツッコミと言っても、微妙なギャグがスベったあとに、
「…って、違うか!」
と言うのは、まったくもって知性的ではないので注意してください。
というか、相手をさらにイラッとさせる効果があります。
気をつけましょう。
他にも、
「…なーんちゃって!」
もダメです。
いずれにしても、ギャグがウケなかったときは、ヘタにセルフツッコミをすると、より致命傷になります。
それよりは、
「…意味不明すぎました。すみませんでした」
などのように、完全に謝って、自分を落とした方がマシだと思います。
参考にしてください。
ここはお笑いタレント養成学校か。

頭がいいと思わせたいなら、セルフツッコミをすること。 | 〓 心理学ステーション 〓 世界一セクシーに心理学を学べるサイト

―――貧すれば鈍する

「努力はしないが、ばかにはされたくない」という歪んだプライドを、無教養と貧困とともに親から受け継ぐ。

トランプの強い支持層である白人労働者階級「ヒルビリー」を鮮やかに描くメモワール Hillbilly Elegy | 洋書ファンクラブ

貧乏人たちの共通点
貧乏人は他人に厳しい
貧乏人はとにかく人に親切でない。この程度の親切ならと思えるようなこともしない。金銭的な面だけじゃなくて、「世話になっている人に対してこの程度の手間なのに」と驚くようなことすら断ったり。
これはおそらく、親切にして得られる信用の費用対効果を計算できず、自分のメンツを重視するからだと思う。とあるニートにお願いを断られたこと(だいたいニート個人の作業として30分もかからないこと)で、私は落胆し、数万円くらいのバイトを紹介するのをやめたことがある。数万円は親に小遣いをもらっているニートにしてはたいしたことがない数字かもしれないが、それでも30分くらいの手間で、数万円のバイトを紹介してもらえるなら、悪くない投資のはずだが。
貧乏人は無駄遣いをする
貧乏人はとにかく無駄遣いをする。100円で買えるものが150円で売っていても、かまわずに払う。お金持っていないのにいいのか、と私が思うようなことでも、無駄なものに考えなしにお金を払う
貧乏人はお金を使わない
貧乏人はお金を使わない。無駄遣いはするが、お金は使わない。
うまくいえないが、お金を使う勘所を意識していないのではないか。自分のところに貯めておくべきお金でギャンブルをし、堅実な貯金で将来的に自分にお金がはいることに気が回らない。
いわゆる投資もそうだが、若い人やこれからの人を支援したりすることには徹底して時間とお金を惜しむ。そのことでよりお金が回ることを知らないからだ。
貧乏人は周りを大切にしない
貧乏人は周りを大切にしない。無駄遣いばかりする代わりに、友人に贈り物はしないし、私のような社会人に居酒屋でちょっと多めに払ったりは決してしない。
これは、その行為を無駄遣いだと思ってるのかな、と思ってたのだけど、そこまで合理的ではない。ただ周りの好きな人間を大切にしなくてもかまわないという気持ちのようだ。
貧乏人は勉強しない
貧乏人は勉強をしない。とにかく本を読まない。講演を聴かない。人から教えてもらわない。
勉強したことが無駄にならないことをわかっていないからかもしれない。
貧乏人は聴くより語る
貧乏人は聴くより語る。人にたいして自慢話をしたりはしょっちゅうだ。そして人の話を聞こうとしない。
人の話を聴くメリットより、自分の話をするメリットのほうがでかいと思っているわけだ。ペラペラ自分の話ばっかりする貧乏人は多い。
貧乏人は挑戦しない
貧乏人は挑戦をしない。やったことないことや、苦手なことをあえてやってみようとしない。たとえば、ゲームセンターなんかにいかない人たちだが、たまたまいったら流行っているゲームをやってみようなどということはない。普通の人が面倒になって見てるだけだったりするのに加わるだけで、積極的に挑戦をしようと思わないことが多い。
失敗するリスクの低さと、経験のリターンの大きさを知らないのだろう。
貧乏人は短期的にポジティブ、長期的にネガティブである
貧乏人は短期的にポジティブ、長期的にネガティブである。よく貧乏人はネガティブな人が多いと言われるが、実際には、そうでもない。短期的には楽観的だったり不安に思わなかったりすることが多い。避けられる失敗をなるべく避けようとする気持ちが少ない。
一方で、将来的に自分がどうなるか、などに関しては驚くほどネガティブである。長期的に悲観になっても無駄だということを知らない。逆に、短期的に「まあいいか」と楽観的になると、のちのち悪いことが起きるのを知らないので、目の前のことに対しては真剣に考えない。

貧乏人に大量に触れて初めて気づいた8の共通点

人が不幸を回避できない理由の何割かは無知ゆえの失敗だとか、準備不足による失敗が多いように思える。その不幸も結果、糧として消化できるのであればそもそも不幸というのは間違いだが、する必要のない苦労を自ら背負って堕ちていく人が多いようにも感じる。後悔は未来に対して何かと糧や教訓になるが、不安は利己的なものであって自らを苦しめるだけのものと言える。そのような状態では頭もまともに働かないし、そのことに捉われて冷静な思考ができなくなってしまう。衣食足りて礼節を知るでもある。

下記tweetの事例は目も当てられない程悲惨だが、多少手間をかけてもしっかりと行うことはこういう面において重要なのだ。

人々は科学的思考をするようになるどころか、簡単に情報を与えてくれるネットによって、自分たちの無知に気づけない状況を強めていると見る。

後藤貴子の米国ハイテク事情

―――詳細を知ることで出てくる問題を鑑みずにあれこれと横やりを入れられるイライラ

世の中の問題や個人の価値観については「何で?」が通用しないものが多い。個人的に思う感情や主義・志向では問題解決の突破には至らず、思考的には確かにそうだが現実的な問題としては免れないリスクが想定される場合などは、一概に安全な解決を促進させるものではないと気付いてしまうのだ。

―――知ることによって超えられない壁を知る

学んでない人は、学ぶ姿勢がない。学んだ人は我慢がきく。これは、本当に本当。答えが出ない時間を受け入れられる。学んでいない人は、答えがすぐに出ないといらつく。

使いやすさを考えてみる。(アクティブシニア・シルバー層の現場から): 老人はキレやすいの?

―――中途半端な知見から広く広まる誤解

―――無知を知覚するところから

インタビューで、「餌を見ることができないで飢死するカエル」の話が何度か出てくる。これは以前、ケイ氏がスピーチの中で使った例えで、私たち無知な人間の象徴だ。カエルは動くハエしか餌として認識できないため、死んだハエを目の前に置いても気付かないのだそうだ。逆にボール紙などで作った疑似餌を動かすと飛びつくが、疑似餌だから食べられない。 ケイ氏の話はこう続く。私たちも実はこのカエルと同レベルで、気付かない物事が多い。そしてそれを普通だと思い込み、すぐに二者択一的な考えをする。しかしまず自分が気付いていないということに気付いてみよ。すると、ほかに方法はないか考えるという科学的思考が始められるようになる。世の中の人が皆そのような理性を身につければ、科学は進歩し、短絡的な善悪判断による紛争もなくなるかもしれない。

後藤貴子の米国ハイテク事情

―――集団の中に身を置いて生きる以上、己が許されてここにいる存在であることを忘れてはいけない

―――無知によってかえって助かるケースも

若い頃、ひどく疲れてカウンセラーに話を聞いてもらった。そのときに言われたことは、「あなたは愚かです。それがとても良かった」という意味のことだった。
「あなたは愚かでした。あなたは教えられたことを完全に学習しませんでした。お利口な子は、そんなふうに教えられたら、それを内面化する。でもあなたは理解が遅かったので、あなたという個人をうしなわずに済みました」
「あなたが教えられた内容を完全に内面化していたら、あなたはたぶん生きていません」
「あなたは彼らの言うことが理解できなかった。あなたは成長が遅くて、だから愚かだった。あるいは身を守るために愚かであることを選択した。どちらかは私にはわからない」
「ともかく、それがあなたを救った。あなたは可哀想なくらい強くて、ひどく愚かだったので、死ななかった。それはとても幸運なことです。わかりますか?あなたは死んでいてもちっともおかしくなかった」
「あなたが成長過程で受けたきたものは、暴力です。ごはんを食べさせてもらったとあなたは言う。ごはんは美味しかったとあなたは言う。ごはん食べたかったから、とあなたは言う」
「ごはんを食べさせないことばかりが暴力なんじゃない。ごはんを餌にするのも暴力です。殴ることばかりが暴力なんじゃない。殴られないから幸せだと思わせるのも暴力です。あなたはもう大人で、ずいぶん賢くなったから、本当はそのことを知っているはずです」
「あなたが疲れているのは、ずっととても緊張していて、生き残る方法を探していたからです。今、仕事が終わったらただ寝ていたいのは、当たり前なんです。布団から出なくても死なないことがわかったから、寝ているんです。好きなだけ寝なくてはいけないんです」
「あなたは何もない部屋に住んで床に鍋を置いてごはんを食べるべきではない。あなたはそんなにお金のかからない暮らしをすべきではない。あなたは彼らにお金を送ってはいけない」
「あなたは今、養育費を返していると言います。それがどれだけ異常なことだかわからないのですか?わかっているはずです。いいですか、育つことは借金をすることではないんです。生きることは負債ではないんです。誕生は罪ではないんです。成長したら負債が増えるなんて大嘘です」
「昼も夜も働いて、親に金を送って、嬉しいですか。嬉しいでしょうね。でもやめたいからこういうところに来たんでしょう。自分がおかしいと思って来たんでしょう?」
「でもね、おかしいのは、あなたではないんです。あなたはただ極端に愚かでいただけです。生きるためにね。おかしいのは彼らです。私は何度でも言う。子どもが育つことは、負債を負うことではない」

20090610012526

先入観

ハイコンテクストとは、言葉の説明が少なく、前提認識の共有性を求められるもので、対してローコンテクストとは言語による具体的な説明を前提に行うコミュニケーションだ。広い視野では、先入観による「当たり前」「なぜ?」はどこでも通用するわけではないのだ。

前提・バイアス

人間が書く文章や意見には少なからずバイアスがかかっている。司会でもなんでも一見フラットで平等な形式で進めていても、自身の感情や思考によって話が進められることは少なくない。それは自分ではなく他の人が見たときにどう感じるかと言うことであり、その感じ方にも自身が感じ得る印象に引っ張られ、全体像がそのように曇ったように映ることもまた少なくない。

下記リンク先の内容はそれを象徴した考え方だ。こちらが「こうしたい」という前提を持っていても、それは自身が見ている・思いつく範疇であり、同様に他社がそれを受けた際に感じる印象のコントロールまでは責任が持てないということだ。同様の経験・感じ方まで含め、自身の意見を意のままにコントロールすることは不可能であり、誰が受けても同じように感じるようデザインするのがデザイナーなのだ。

―――前提の欠陥に気付かずに定説とする

日本人が好きな格言に「自分がやられて嫌なことをヒトにするな」みたいなのがある。もっともらしく聞こえるけど、これは「自分が嫌なことと他人が嫌なことは同じである」を前提とした甘えだ。

www.さとなお.com(さなメモ): 人はわかりあえっこないからこそ、たまたまわかりあえたときに強い「共感」が起こる

―――バイアスがかかったポジショントークに納得させられる

―――多数決の穴

単に大勢の意見が及第点として正しい意見であるというのはいただけない。選挙のシステムにおいても多数決の原則があり、少数派意見の尊重を謳っても実際問題は投票数の多い党に入ってしまう。まず前提が、皆が正直に公平公正な意見を出すものと言う信用を土台に成り立っているため、そこが誤っていればすべてが崩壊する。一般にワイドショーにおいて意見には肩書というラベルが貼られており、民衆は得体の知れない問題・意見に対して、ラベルのブランド力を信用した上で自分の考えを選択している状態であるため、中身よりもラベルを見ていること、わかりやすい自分へのメリットで判断する傾向がある事を考慮する必要がある。

民主主義では、基本的に投票という「多数決」が重視されるわけだが、多数決が有効に働くためには、事前に人それぞれの正しさや価値観や信念をぶつけあって議論し尽くしている必要がある。そうしてはじめて投票という多数決は、「おさまるところにおさまる」ように機能する。だが、みんなが「正しさ」や「こうあるべき」などの「自分の考えを決めるための価値観」を持っていなければ、多数決は有効には働かない。結局のところ、みんながなんとなく多数決に参加するわけだから、クチのうまい雄弁な政治家、すなわち「もっともらしく話をするだけの扇動政治家」の意見ばかりが採用されるようになっていく。つまり、民主主義は、その場のノリで物事や権力者が決まる無責任な衆愚政治へと成り下がってしまうのである。

「考え方は人それぞれ」が堕落を生む理由を、人気哲学作家がソクラテスで解説 | ニュースな本 | ダイヤモンド・オンライン

―――前提から外れるものの存在の認知

プログラミングでもよくある部分だろうが、正確な値が出ない場合には下記tweetのような例外が存在する場合がある。

―――前提を踏まえた上で想定されるリスクの改善

―――事前理解が印象を左右する

基本的に仲が深まっていない最初の段階では、相手の表面的な言動からその人に対する印象を抱きやすいし、これまでの経験や傾向から早とちりして判断してその人にレッテルを貼ることも少なくはないだろう。それに伴って相手の真意を伺うこともなくバッシングすると言うのがSNS炎上の火災現場でも見受けられる。ただ、前提の認識を持って見ていれば相手に対する理解や自分に感じる不安についても分析がしやすい。

また、他人にうまく言葉で説明できないもどかしさや言いづらさ、そういったものを総括して暴力で解決してしまう例は少なくない。これによって相手に察してもらって機嫌を取ってもらう。本人の自覚の有無に関係なく、相手にとってこのような恐怖で支配するやり方は共感は得られず、好印象ではない。

つまり、「察してもらう」ことで楽をしていた分のコミュニケーションコストって、丸々相手の心理的安全性を食いつぶす形でまかなっていた、ってことだったんですよね。安心できる筈の場所が、「察する」為にコストを割いた結果、安心できる場所ではなくなってしまった。

「不機嫌で人を支配しようとする人」の気持ちがわかった話 | Books&Apps

―――ネガポ変換しているだけで実質変わらない言動

人が時間をかけるのは、要領が悪いから
自分が時間をかけるのは、丹念にやっているから
人がやらないのは、怠慢だから
自分がやらないのは、忙しいから
言われていないことを人がやるのは、でしゃばりだから
言われていないことを自分がやるのは、積極的だから
人がルールを守らないのは、恥知らずだから
自分がルールを守らないのは、個性的だから
人が上司に受けがいいのは、おべっか使いだから
自分が上司に受けがいいのは、協力的だから
人が出世したのは、運がよかったから
自分が出世したのは、頑張ったから
『「人を動かす人」になるために知っておくべきこと』(ジョン・C・マクスウェル著、三笠書房)

あなた、そんなに凄いの?――自己奉仕バイアス|カイゼン!思考力|ダイヤモンド・オンライン 

―――同じ世界に生きながら、それぞれ見ている景色の映り方が違う

下記Tweetは女性の社会的地位向上を目指すための訴求動画として男性クリエイターが作成した映像作品であり、金賞を受賞した作品である。

このTweetが昨今のフェミニズムやミソジニーやそれらを取り巻く層からの考えで議論を呼んでいる。映像のみで言葉はなく、いかようにも解釈できる余地を残した作品であるため、視聴者が独自に解釈することで議論が行われるのを作者は想定した上で公開したのだと思われる。ただ作者自身にも皮肉にも似た意見が呈されていて大喜利のような展開となっている。

男女という大きい括りでないにしろ、上司と部下のようなポジションにおけるハラスメント問題においても言えることである。えせ同和行為のように、弱い立場として権威を与えることでパワーバランスが均一になるかと思えば一方的な要件によって過激化することもリスクとして考えられるのが難点で、かといって強い立場の言い分を飲むことでより一層立場を強めて依然として弱い者に対する態度が改められない(又は強める)という恐れがある。平等中立の立場ではなく、どちらかのポジショントークとして正当性を主張する意見が多く、依然としてどこかに悪者を作り上げて非難する構造であることには変わりはない。

アート作品は問いを投げかけるものであるため、それによって閲覧者が独自に解釈して議論を行うのはもっともらしい反応である。その一方で、コンセプトとして明確に主張したい意図があり、不特定多数に理解を示したい場合は投げかけるものは問いではなく一つの解であり、その目論見が外れてしまった場合の代償の大きさである。その場合、強い立場がより一層立場を強めて依然として弱い者に対する態度が改められない(又は強める)という恐れがある。

上記Togetterにおいて妊婦体験と称して男性に7キロの重りを付けるといった体験を行ったようだが、男性側は容易に受け入れて余裕を見せた態度を取り、企画倒れとなってしまったようだ。これに関しては完全に企画主宰側の落ち度である。女性側の苦労に理解を示すために男性に提示する企画であるため、この際「実際はタダの重りには命の重さも含まれている」や「重いだけでなく自身の体調管理も含めて困難である」などといった留意点は、何の苦労もわかっていない男性側には無意味である。むしろそのような男性をターゲットにして行う企画であるからこその本末転倒である。これを本格的に行うには、個人の体感のみならず、周囲への配慮や自身の生活管理、体調の変化など、苦しいと感じるファクターをできる限り再現した上で生活環境から一定の期間を設けなければならないはずだ。
これが、同じ景色を見ていてもどこに焦点があっているのか、見ることで何を得ているのか、それらの要因に個人の私情や主義主張が重なった色眼鏡によって見ているため、同じものには映らないということである。

―――流されない自分の軸を持つ

印象・解釈

「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛んだらニュースになる」
英国の「新聞王」と呼ばれたアルフレッド・ハームズワース氏の言葉と言われている。

なか卯「親子丼40円値下げ」戦略が超したたかな訳 利益を吐き出すことになっても宣伝効果は甚大だ(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

―――人は見た目9割、ぱっと目に映るものの印象で大方が決まってしまう構造の欠陥

マッチポンプが最も評価される、それが日本式だもの。
トラブルを起こして、必死になって対処するのが一番評価される。
いっぱいバグを仕込んで、後から残業してデバッグ
 → 朝から晩までまじめに仕事をする熱心な奴
へんてこ仕様にして他人から相談されまくる
 → いつも他人から相談される、頼りになる奴
感染症に罹ったのに、出社して病原体を撒き散らす
 → 病気に負けずに働く気概のある奴
この素晴らしき、体育会系の世界。

モリブデン-99 が足りない - スラッシュドット・ジャパン

―――歪んだ認知

カラーバス効果と言われる言葉が用いられることが多いが、一つの出来事に興味を持つとそればかりが見えてしまうという現象が多々ある。

文章の中に自身にとってネガティブな印象を受ける要因が含まれる場合、自己防衛として反射的にその内容を自分の都合の良いように解釈してしまうきらいがある。これが批判となり、内容を冷静に確認できない状態に陥ってしまう。

―――悪い印象に引っ張られる

黙っている美人は「人見知り」とか「控え目」と言われるが、しゃべらないブスは「陰気」とか「つまらない」呼ばわりされることはよくある。

“完璧妻”檀れいを語る及川光博に感じた、女をジャッジする男の“ちんこ”基準

世の中のもてはやされている人と言うのは、ほぼファンとアンチの両方がいて攻防している場合が多い。下記のtweetを見て欲しい。批判意見の解説・内訳としてはごもっともの考えのように見える。

ただ実際の2chのスレッド上では下記のように、発言者が馬鹿にされているのだ。自分がファン側・アンチ側に身を置いた際、自身の考えが全く左右されないというのは難しいだろう。それほどマジョリティに判断を委ねて他人の目を伺って牽制しているというのがわかる。

―――印象だけで180度変わる評価

落札者は「非常に悪い 」と出品者を評価しました。
【コメント】:取引はスムースでしたし商品自体には何も問題ありませんでしたが、 何と言いますか、ケースとサイドパネルの間に明らかに陰毛と思われるものが挟まってました。 きちんと発送前に確認していただきたかったです。
(5月 19日 7時 32分)
【 返答 】:それは本当ですか?大変申し訳ありませんでした。こんなことで許してもらえるか 分かりませんが、私は20代前半の女性です。証拠にメールの方に私の画像を送りました。
(5月 21日 5時 51分)
落札者は「非常に良い 」と出品者を評価しました。
【コメント】:家宝にさせていただきます。 (5月 23日 1時 56分)

No.2181 オークション - コピペ運動会

―――他者から見た際の印象・捉え方

座って水割り作るだけで誰っともしゃべらないホステス。息をのむような美人というわけでもない。こいつがなんで客もってんだ?営業中は不思議でならないんですけど、後で聞くとこっそり口説かれてたりする。黙ってれば黙ってるで、従順な女に見えるらしく、男のひとからすると口説きやすいんですよねぇ。ホステスは口説かれチャンスに乗っかって「おしゃべりが下手で営業も下手だから同伴も全然できないんです」とか弱いアピールをぽつり。男ってば頼られると嬉しいもんだから、じゃあ今度同伴でもみたいな話になっちゃう。これですよ、これ!一見会話上手で場を盛り上げているようで、上っ面の会話しかしてないホステスを差し置いての、男心にグッと踏み込むアプローチ。お見事!

お悩み相談:元旦那とまた恋をするのって、女が下がりますか? | GQ JAPAN

手塚治虫『人間関係が希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』
宮崎駿『ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ』
富野由悠季『オタクは日常会話が出来ない。アニメ作るならアニメ見るな』
藤子・F・不二雄『よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか
「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です。
人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。
自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。
それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。
家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか?
近所のスーパーで買ってきた肉、野菜、チーズ、牛乳・・・
どの家の冷蔵庫も然して変わりません。
多くの『人並に人生を送った漫画家達』は「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。
思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。
しかし、退屈で鬱積した人生を送ってきた漫画家は違う。
人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。
必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。 漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。
全てはそこから始まる。
その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。
つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。
ここから可能性は無限に広がるのです。私はそういう人が描いた漫画を支持したい。
卒なくこなす「人間優等生」よりも、殻に閉じこもってる落ちこぼれの漫画を読みたい。』

ブログちゃんねる:人生経験が浅い人は創作に向いていない?

―――自分の立場をわきまえることでうまく受け入れてもらう

「こんな僕が結婚式でどんなトークをするべきかって悩んだんですけど。出て行っただけでもうクスクスきて、『結婚という永遠の愛を誓う式のスピーチとして、もっともふさわしい男、渡部です』でドッカーン(笑)。『結婚生活で一番大事なことがあります。絶対に嘘をつかないこと。奥さんを傷つけないこと。約束は守ること』でドッカンドッカン。『夫婦生活に大事なものは』とか言ったときに、『おまえが言うな』の空気になりました。これか、と思いましたね。僕がお役に立てる場所は意外とこんなところにもあったかと。必要としていただけるのであれば、結婚式の司会も、どんどんやっていきたいですね」

「トイレ行ってきていいですか」も言えなかった――活動再開から1年、渡部建50歳の生きる道(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

―――誰もが見知らぬ他人に不幸であってほしいという幻想を抱いている

―――捉え方による印象の違い

下記のTweetで言及しているTiktokの内容及びコメントについて、どう捉えるかで天と地と程の差が出てくるだろう。

内容として、回転ずしで誰も取らないような形の乱れたすしネタを率先して取る旦那さんについて挙げられたTikTok動画だが、それに対して「そんな旦那さんに選ばれたんですね」といったコメントがされている。
コメント主の真意は定かではないが、二通りの解釈として「そういった心の優しい旦那さんに選ばれたんですね」または「ということはあなたは旦那さんに誰も取らないような人と認識されたということですよね」といった趣旨のコメントにも読み取ることができる。人にはネガティビティバイアスがあるため、後者で捉えた人がTweet下のコメント欄で溢れているが、ある意味どちらか定かでないにも関わらず後者で捉えてしまう人も自らが指摘したコメント主同様にひねくれていると言っても過言ではない(コメント主が前者の意図でコメントした可能性も十分あるため確定的ではない)。

―――見方を変えるだけで悪にも善にも見える

―――心のすれ違いから巻き起こす不和

相手をdisるつもりでも圧をかけたりマウントを取るわけでもなく、話のフックとして持ちかけただけの話題が相手に誤解して受け取られた場合にお互い不和が生じる。というのは、攻撃されたと判断した相手が逆にこちらへ意趣返しをし、こちらもそれに応えることで負のスパイラルに陥るのだ。
ドラマの『隋唐演義』はそのような内容となっており、『美しき隣人』では他意のない何気ない一言が相手の琴線に触れたことを発端として巻き起こった物語となっている。

―――「見た目9割」真意は残りの1割に

恐らく人は外見から中身を想定したり期待して接する場合が多いだろうし、その分中身の部分とのギャップに一喜一憂して印象が左右されることも少なくないだろう。
無難な評価を求める故に量産型と言われるファッションが横行したり、奇抜なもの・風変わりな人を見て、常識から外れているとして叩いたり馬鹿にしたりすることもあるだろうが、結局自分らしく振舞って素直に生きて上手くいっている人は羨ましいのだ。
外見は書類審査のようなもので、そこで不採用になれば内面を知る面接にまずたどり着けないということだろう。
さらに難しいのは、外見も内面も良くてある程度気さくに接することが出来る仲になったとしても、そこから自分を上手くさらけ出していくことが出来ないということだ。この場合、多くは違和感を抱かれるだろうが、無難な関係が深まった段階でそうなると、かえってギャップで拒絶感も高まるだろう。

赤子がいきなりアメリカンエスプレッソを飲んだら吐き出して嫌いになるだろうが、大人になれば好物の一つになる可能性はある。大人になってから食べて好きになった食べ物はあるだろうし、苦手だった酒にしても高級な酒を飲むことで価値観が変わり、飲めるように変わるだろう。上記Tweetを考えると、見せるタイミングや状況が重要であると思うし、時折チラリズムを組み込んで落差を無くすことが重要だろう。ギャップは良いようにも悪いようにも転ぶので、その辺の説得力をなんとかして違和感を無くすことが重要だろう。結局、もっともらしい答えはわからないのだ。

人は見た目で判断される。
それを確信した。
中学生くらいから、自分のことをものすっごいブサイクだと思っていた。
肌は汚いし、目は小さいし、全体がのっぺりして、丸顔で太って見えるし、髪の毛はゴワゴワ。
理由はいろいろある。
実妹が某モデルにそっくりの美人で、ずっと比較されていたこと。
罰ゲームとして、嘘告白されたこと。
化粧が濃いだけなブスでビッチな同級生に、好きな人を奪われたこと二回。
自分の中ではスキンケアやメイクも努力していたつもりだけど、いいことなんて一つもなかった。
コンプレックスが根強すぎて、ふとした瞬間に、なんで自分はこんなにブスなんだと一晩中泣いていた事もしばしば。
彼氏と付き合っても、自分のことはブスだと思っていた。
彼氏は事実、私の性格が好きで付き合っていると言ってくれている。
そんな私だけど、無事就活が終わったので、バーテンダーとして働き始めた。
夜の商売ということで化粧を濃くしろと言われた。
つけまつげをしたら、まぁ一応ギャルっぽくはなったけど、当然のっぺりのまま。
化粧カウンターでBAさんに化粧してもらってものっぺりなのだ。
と、上の流れを簡単にアハハハなんて笑いながら話してたら、常連の水商売のお姉さんが、
「いや、●●ちゃんの顔はすごい化ける」
と、真剣な顔で言い出し、その場で手持ちのメイク道具で化粧を始めた。
アイプチをして、今までにない太さでアイラインを引いて、濃い色のアイシャドウを厚めに塗って、眉の形を変えた。
私の顔は、別人の顔になった。
まぁそれでも土台が土台だから、改善って程度だろwwwと思うようにして、調子に乗らないようにしてた。
けど、化粧変えてから、明らかに周りの反応が変わった。
客に口説かれまくる。
一ヶ月程度の間に、五回ナンパされる。
美容室に行くと、お客さん美人ですねぇと言われる。
久々に会った友人に、なんか大人っぽい!と絶賛される。
キャバクラやクラブの勧誘されるようになった。
内定先企業の広報素材にされた。
小さい頃から、美人に生まれていたらリア充生活で人生薔薇色なんだろうなーと妄想していた。
うまく化粧をすると、元が童顔で暗い髪色なのも相まって、清楚系美人になった。
だけど化粧美人になれた今、人間が嫌いになった。
リア充も、今までガリ勉扱いでpgrしてたくせに、馴れ馴れしく話しかけてきやがって。
特に男が嫌いになっていく。
なんであいつら体裁とプライドとセックスのことしか考えてないんだ。
相手が可愛いと、あからさまに優しくなる。
女が二人いると、比較して可愛い方をちやほやと褒めまくる。
そんなわけで、大学卒業したら、化粧は元に戻すつもり。
顔でもてはやされても、くっだらねぇーとしか思えないしね。
顔で得るものは、益より損のほうが多い。
今まで顔の分、性格と頭と根性を磨いてきたけど、その評価の方が気持ちがいい。
で、信頼感がどんどん増しているのが彼氏だ。
化粧が上手くなってから「可愛くなったね」と言ってくれるけど、今も変わらず、性格が一番好きだと言ってくれている。
人間は、見た目で判断される。
だけど、今までコツコツと築いてきた能力の方が、大事だって事に気づいた。

人は見た目で判断される。

―――一度立ち止まって考える

価値観

人は、相手の行動を見てその人を判断する。そして、イラッとしたり、「この人と合わない」「この人、うっとうしい」と、思ったりする。 わたしも、同じだった。 でも、これからは、「行動の裏には、その人の価値観がある」 ということを知っていなければ、人間関係がうまくいかないことをわかっていたほうがいい。 逆にそのことをわかっていると、ごきげんでいられる。 そのことを私に教えてくれたのが、講師仲間でふだんは商社で働くサラリーマン、アンディ中村さんだった。 企業の人たちと話していると、よくこんな話題になる。「最近の若い子たちは、メール一本で『会社を辞めます』って言うんだよなあ。かんべんしてほしいよ」「なんでもメールで済まそうとしてほしくないよなあ」 わたしも、「そのとおり」だと思って同感していた。 でも、アンディ中村さんは違った。「彼らは、悪気も何もないよ。それが当たり前だと思っているよ」「どうして?」「だって、彼らは、就職活動で必死でエントリーシート書いて、企業の会社説明会に行って、がんばってアプローチしても、メール1本で落とされる経験をしているんだから。メール1本で休んだり、会社を辞めることが悪いことだと思うはずないじゃないですか」 目からウロコだった。 原因は、わたしたちオトナが作っていた。 そんな視点で見ると、いろいろ納得していなかったことが、納得できるようになっていた。 たとえば、近所にステキな飲食店ができていて、若手メンバーに、「あんなところにあんな店ができているよ」 と、盛り上げるつもりで言ったにもかかわらず、「でも、大谷さん、そこ、食べログで2.8ですよ」 と、言われて、ムカッときたことがあった。 アンディ中村さんの言葉を聞いて以降、若手メンバーが、なぜそんなことを言うかも理解できるようになった。 平成生まれのメンバーは、生まれた時からパソコンも携帯もあった。比較検討が当たり前だった。 そして、彼らの価値観には、「大谷さんは、盛り上がっているけれど、その店に行ってみたら、従業員の態度が悪いかもしれないし、美味しくないかもしれない。行ってから、大谷さんの不機嫌な顔を見るの嫌だよなあ」 という感情が働いていた。 それが理解できると、コミュニケーションのとり方も変わってくる。「ねえ、あそこの店、美味しいかどうかわからないし、従業員の態度が悪いかどうかもわからないけれど、冒険してみょうよ」 という誘い方になる。 そんな話をしていたら、ある幼稚園の先生が言った。「そのとおりよ。それがわかっていなければ、間違って、子どもを叱ることになるんですよ」「どういうこと?」 思わず聞き返した。 彼女が言うには、「幼稚園の子どもたちが、トイレを流さないの。だから『トイレを流しなさい』と、怒っていたのよ。でも、子どもたちは、キョトンとしているの。そして、ある子どもが言ったの。『どうして流れないの?』って」 その時、彼女は、初めて気づいたらしい。「この子たちのマンションのトイレは、自動的に流れるんだ」ということを。 実際、彼女のマンションのトイレも自動で流れていた。「なのに、わたし、気づいてなかったんだよね。子どもたちにとっては、その世界しか知らないということを。反省だわ」 今は、トイレの流し方を子どもたちに教えているらしい。 わかっているようで、わかっていない人の価値観。 これからは、楽しく「人の価値観」も研究していきたい。

子どもがトイレを流さないのは「自動」が当たり前だから? - ライブドアニュース

―――外国人から見た日本人の嫌なところ

楽をしている人をみたら、自分も楽しようかなと思うのがアメリカ人。 楽をしている人をみたら、あいつにも苦労させたいと思うのが日本人。

アメリカ「職場は楽しくあらねばならない、暇なときはゲームして遊ぶ」 日本「そんなの無理」:ハムスター速報 - ライブドアブログ

外国人です。日本に住んで4年になりました。
来たばかりのころは日本人は優しくて魅力的な国だと思いましたが、長くすんでいるといやな所にも気がつきました。
いい人もたくさんいるけれど、みなさんに知ってほしくて書きます。
1.マナーに異常に厳しいが、融通が利かずユーモアがない(ジョークやいたずらをしないけど、靴を並べないと怒る)
2.自分の気持ちに素直じゃない。損得で行動する(いつも本当の気持ちで行動しない)
3.自分が成功しないんじゃなくて、他人が成功するのが悔しい(成功している人の悪口をいう。でも悪いことや失敗している人の悪口はいわない)
4.ブランド物など他人と比べる、相対的な方法でしか幸せを計れない(私の国では考えられないくらいみんなブランドものを持っている!)
5.差別はないけど、いい人でも仲間はずれにしたりいじめたりする(みんなだれかのことが嫌いなのかな。怒っている。)
6.おいしい食べ物でも文句を言う(なんで?おいしいのにといつも思っている。日本人はとにかく文句をいうが何もしない!)
7.感情表現が変(愛してるというと軽いといわれるがほんとなのに。私や私の外国人の友達もよく軽いといわれる)
8.性別の特徴をみとめない(男は強くて、女は弱い。そういうことをいうと怒る。でも女は男より綺麗でしょ?)
9.英語が話せない(日本人は小学校から勉強している?私は日本語が2年ではなせる)
10.みんな元気になるのは学校や仕事が終わってから(みんないやなのになぜやる?)

日本人のいやな特徴

―――価値観を植え付ける

上記引用tweetその通りだが、子供は親を大人として、正しい鑑として見ているので親の言うことは正しいと信じてしまう傾向は強い。生活を握られているから当然だし、一番身近で親しみのある大人から言われるのであれば、当然信じてしまうだろう。どんなに理不尽で酷い虐待を受けた子供も親に対して気に入られようと、最後まで「ごめんなさい」と自責に駆られていることが多い。

―――作り上げられた価値観を土台に生きる不安定さ

―――答えはいそがされてる どう否定しますか

理解のプロセスとして例えると、自転車が乗れなかった頃の記憶や乗れるようになったプロセスを覚えているか?子供の頃苦手だった食べ物が現在の好物のひとつになっていないか?というようなものと似ていて、時間を要するのだ。赤子にアメリカンエスプレッソを飲ませても吐き出すのは当然だが、大きくなってから好んで飲む飲み物になっている可能性は0では無い。

「意見が出ない」のは、まずは、人々の思考を「駆り立てる問い(Driving Question):良質の問いかけ」が、ないからではないだろうか?。 そして、「意見を出したとしても」、きちんと、それを「受けとめる勇気」をもっているだろうか。どんな意見がでたとしても、「積極的に耳を傾ける姿勢」をもっているだろうか?
「ネガティブな意見しかでない」のは、「物事の多様性」に気づくようなファシリテーションがうまくいっていないからではないだろうか?立場や考えの違いに気づくことこそが大切であるという価値観が、そもそも、うまくメンバーに共有されているだろうか?
「なかなかまとまらない」のは本当に「ダメなこと」なのか? 「無理矢理意見をまとめ、全員を落としどころにハメようとすること」を、急ぎすぎていないだろうか?多様な意見が、中空に存在し、それぞれの脳裏に少しは刺さっている状態。そういう理解状況だって、理解にとっては必要な状況ではないだろうか?

「どうせ、自分の授業や会議では、メンバーは意見なんか出さないよ」と嘆くときに、ちょっぴり考えてみたいこと:「良質の問いかけ」と「受けとめる勇気」

理解のプロセスを踏んで、その人に興味関心が行き渡った状態からまた一つ気をつけたい部分がある。それは、その人の考えに納得してその人に興味を持ったというプロセスがあり、決してその人に興味があるからその人の考えは納得出来る(正しい、間違っていない)ではないということだ。ここを間違って、新たな意見が投げ出された際に、どう考えても納得し難いがなんとか自分もその"意見"に近づこうと屁理屈で仮設の階段を作って意見にしがみつこうとする。元がおかしければ意見もろとも崩壊してそのまま地面へと堕ちていくのだ。つまり、双方が己の意見や考えに確固たる信念や考えを失っている状態になるのだ。誤った言論は雪玉で大勢が転がして大きくなった時に雪崩となって己を飲み込む。

悪い考え方や誤った価値観は、得てして理由付けのプロセスがしっかりしていない場合が多い。たとえば、現時点で賛同しがたい当人の意見が上空にあるとして、自分はその下にいる。それは記事で言う見出しを見た時から始まる。その考えを理解するプロセスには、まずそこから読み取れる限りの出ている情報を得て、その当人の過去の意見や考えから志向を伺う。それを確認することで、現在までを予測する。これを行うことで理解への階段が築かれ、考え方や価値観に手が届く距離に近づく。そこで一理あると思うか、わからなくは無いが賛同しえないとなる。あるいは、この意見は賛同できないが、過去の意見には納得できるし賛同もできるという状態になっているかだ。

一方で、下記Tweetのように「それを一般的な世界観」として認識してしまうと、その誤解を解くために一時的に誤っているであろう相手の領域に踏み込んでアクションを起こす必要性が想起される。他人と対話をする際に、対等な位置になるため、よく子供と話す際は同じ目線になるように腰を下ろして話すというものがあるが、この場合暴力がそれに該当している。

―――自分の軸を壊さないために他人の意見の良し悪しには気を付ける

―――気づきが自分の価値観や信念を変えていく

思い込み

出典:つらいことがあったらまず「事実」と「解釈」を切り分けよう | nanapi[ナナピ]

―――幼い頃に影響を受けた刷り込みが価値観を固定し雁字搦めになり、幅を狭める

―――「こんなんじゃダメだ」と自分が満足いかなくともなるようになってしまうのが人生

―――高学歴・高収入が勝ち組=幸せではなく、等身大に身を置いてしっくりくる充実した生活を幸せと呼ぶ

―――「これが正解」みたいな生き方は無く、世間というフィルター越しに見ても絶対的に悪いということはない

学生時代のアルバイトで仕事や人生に知て役立つ経験を得たエピソードがいくつかある。ある人はアニメが好きで制作会社に入ったものの低収入、残業は何時間にも及ぶ過酷な現場で辞めて日雇いの派遣会社に登録して日がな紹介される仕事をこつこつ行うことで生きている人。ある人はもともとエンジニアでめんどくさくなって辞め、百貨店とその他の複数のバイトを掛け持つことで生計を立て、子供数人と奥さんを支えている30歳の旦那さん。また扶養家族になるであろうおばあちゃんが派遣でいろんな仕事を行うことで日々を楽しんでいたり、ある価値観に囚われてしまえばみじめかもしれないが、生活面においては気楽になったという人がほとんどだ。結局、生きやすいか?面子を保てるか?が極となったやじろべえでしかなく、どちらに転んだにしろ、どちらかに転べたのであれば成功を下回ることは無い。

新人が入ってきた。47歳。警備業界では珍しくはない。 定年を迎えて、入ってくる新人も多いからだ。まぁ、新人は立たせておくのが一番いい。 無線を持たせて何か分からないことがあったら、連絡して来いと言って、ビルの外で 立哨させておいた。折りしも、外は小雪がちらついていた。 長時間ただ立っていると、色々なことを考える。夕飯は何を喰おうか? 今度の休みは何をするか?今までの人生。これからの将来。色々なことが頭を過ぎる。 契約先の人がヒョイと顔を出して、 「外に立っている新人さん、泣いているよ。具合が悪いじゃないの?」と言ってきた。 「何だ?」と思って見に行くと、本当に立ちながら泣いている。 通行人は泣きながら立っている警備員を呆れながら通り過ぎて行く人、怪訝な顔をする人、 笑う人、反応は様々だった。 「どうした?」と声を掛けると、やや間があってようやく振り絞るような声で一言。 「つらいです。」 よくよく話を聞くと、立っている間に今までの人生を振り返り、 何で俺はここまで堕ちてしまったのか?何で今、こんな所で罰ゲームのようなことを やっていなければならないのか? そんなことを考えていたら、涙が溢れて止まらなくなってしまったそうだ。 結局、彼はやめた。

47歳の新人が入ってきた : 2chコピペ保存道場

―――酸っぱい葡萄理論でできなかった・しなかった過去を正しいと思い込み自我を保ちたい

―――平等を目指すはずがかえってあらぬ誤解を危惧する羽目に

―――周囲も自身も暗示にかかっている

別途記事「なぜ人はマウントを取るのか?」でも触れているが、マウントを取る人・人に無能レッテル貼る人は自信がなくメンタルの弱い人間である。自分より格下を生み出すことで自身が批判の的になることを避け、自分はまだマシだと安心しているに過ぎない。しかし、次第にエスカレートし、本当に自分が有能であると錯覚し、無能レッテルを張った者に対して心底呆れ嫌うようになり、周囲の認識も次第に当人に”無能”の烙印を押すようになる。一方で、当人も周囲の反応を受けて自分は無能であると錯覚し、本当にそのようになってしまうのだ。

周囲の反応もマウントを取る人間に対して恐れを抱いているため、同様にして当人に無能レッテルを貼る。このような連鎖反応により、真面目で優秀な人間が無能レッテルを貼られて廃人となって職場を去り、残った人間及びマウント体質が組織体質となった職場が出来上がる。ずっとその職場に残っている新卒組が中堅管理職になった場合、多様性がマウント体質のみとなることで、新たに入る新卒が組織体制に対する疑問や悩みを周囲に相談しても諭されるだけであり、残ればマウント体質。去れば廃人となって自信喪失のまま退職というケースが常態化する。特に体制の整っていない中小企業やスタートアップメンバーで構成された新規ベンチャー企業などはこの傾向が見受けられる。

思考停止

―――落とさずに放っておいた汚れはこびり付いて二度と落ちない

人間関係のトラブルを起こす人は同じマニュアルを読んでいるんじゃないかと思うくらい、去年から何度も同じパターンのトラブルを見続けている。 思い込みの激しさというか、客観的事実よりも主観的被害者意識の高さ。 自分と他人の考え方は違うという当たり前のことの通じなさ。 自分の考え、あるいは自分の存在そのものに対する高い承認欲求。 当事者同士の話し合いを拒絶。

人間関係のトラブルを起こす人は同じ… by stepbros | ShortNote

周囲に乗せられてお山の大将になった者は、多様性を持った新参者を拒み、自己の偏見を世の真理として強要し、イエスマンだけを集めて囲うことが多い。取り巻きもおこぼれをあやかりたい人間で構成され、カルトのような組織が出来上がる。
発端としては、自分のコンプレックスを「これが正しい」と正当化し、それに自身が納得するために周囲に強要し、囲うことでこれが成り立つ。年を得て組織から外れたお山の大将は、会社組織の役職・立場やローカルルールを常識であると錯覚し、コンビニ店員や周囲の赤の他人にも同様の行いをすることで、世間とのズレを感じながらも決してそれを認められず孤立化して何も残らないのだ。自身が媚びへつらってきた上司は先立ち、自分の背後には今まで無下にして来た部下が押し寄せていることに気付くべきなのだ。

このような思考停止状態は、不安により勇気が出ずに行動できなかった者が、当人が容易に考え付く不安要素である批判や失敗を行動する者に対して投げかけるケースが多い。不安の先にある成功の選択肢を先取りして羨み、行動する者・出る杭に対して打ち込むことで「行動したらこんな風にみじめに散っていくんだ」と自身に納得させる、酸っぱい葡萄の自己正当化に過ぎない。平たく言うと、経験してもいない出来事に対して学習性無力感を感じているのだ。

―――パワハラ上司の「俺が苦しんだんだからお前も苦しめ」の別解についての考察

先輩社員がパワハラまがいの行為で適切な指示を出していないことは、過去に自分がそのようにして育ったということ以外にも、昔の頃の自分と後輩社員を重ねて過去のそのような日々を懐かしんで行っている可能性も高い。インパクトのあった日々だからこそ、今の刺激の無くなってしまった会社に刺激を求めてあの頃を現在に再現することで満足しているのだ。その証拠に、その先輩社員は昔から付き合っていた上司や部下とべったりくっついていて、上司の前では後輩のような顔をしている場合が多い。
これは憶測だが、昔の時代はネットが発達していない分、規制も少なく、ネガティブな意見に触れる機会も少なかった。故に今以上に自分たちのテリトリーで何も不安に思うことなく心から楽しむことが出来たし、今のようにインターネットに幸せそうな自分をアピールして自分が恵まれている実感をする必要もなかったのだ。ネットによる情報源がなく情報過多でないため、正解もわからず、誹謗中傷を恐れて周囲の目を気にしたりもせず、自分や仲間を信じて素直に生きていくことが出来ただろう。そのため、昔のように刺激がなくネガティブな話題ばかり目立つようになった昨今では、回顧的に今の未来のある若者を数十年前の当時の若者(若い頃の自分たち)に重ねて若さを羨んでいたり、必要以上に自分が正しいと信じて疑わなかったり、ジェネレーションギャップを想定せずに当時の感覚で接してしまうということだ。そのような先輩社員は過去の自慢話をすることが多いが、自分はこのように育った、当時はこうだったという話が多い。つまりそれは、過去の楽しさや刺激に懐古的になり今のどんどんオッサンになっていく自分に耐えられず過去を引きずって現在にそれを見出そうという悲しみの表れなのだ。もうあの頃の自分は現在には通用しないのだという悲しみを背負ったシーラカンスのような存在と言える。

―――"偉い立場"は社会的役割を超えて私生活にも影響が出てくる

以前、バーテンダー修行をしていたバーで、ある団体さんがみんな「おい。ウイスキーの水割り、遅いぞ。早く持ってきなさい」とか「こっちのお皿あいてるぞ。下げなさい」とかって感じの注文をすることがありました。 服装はスーツの人もいれば上下ジャージの人もいます。ガラが悪い印象はなく知的な感じもします。すると先輩のバーテンダーから「あの人たち、教師なんだよ。あの命令言葉、いちいち気にしなくて良いから」と教えてもらいました。 そうなんです。教師という仕事は毎日ずっと「○○しなさい」と言い続けているから、ついつい酒場でも「若い雰囲気の僕たち」に、そういう言葉遣いをしてしまうんです。

男は「お金」「セックス」「権力」に簡単に転ぶ|ワイングラスのむこう側|林伸次|cakes(ケイクス)

―――自分が偉いんだという状況に胡坐をかき、自身は何も変わらず受け身

下記Tweetはツリー状になっているので全文読んで欲しい。内容は震災被害で皆被害者である状況の中、自分だけが被害者であるかのように自分以外の人間に対してこき使うそぶりや自身の感情の整理が付かないのを他人を当てつけにして非難する人たちの様子が描かれている。
震災という状況下によらず、現代社会はいかなる場面で自分だけが、あるいは自分の方が苦労していると感じる人が多い。全体の流れではなく受け手としての個人である自身に焦点があってしまうことにも要因がある。

―――自分の中に正解のアクションを持ち合わせているでもなく感覚だけで安易に他人の言動に物申す

失言と言わないまでも、好意的なアプローチとして他意なく放った言動が奇しくも悪いニュアンスで読み取れてしまう場合、発言者も聞き手も周囲も気まずくなるが、「そういうつもりで言ったのではないんだろうけど…」と全体的にはその辺のニュアンスは汲み取れたり考慮するものだろう。だが、そのような状況や考慮なしに安易に意図して嫌悪感を向けて意趣返しを行うことも中にはあるのだろう。ここまでは理解できるが、嫌悪感を抱いた代償の当てつけに文句を言い、状況や相手の意図は加味せず、かつ「どうすればよかったのか?」の問いに対する答えさえ相手に押し付け、自分は一切悪くないの主張が行えるのは、潜在的に上下関係のような明確な立場が生まれてしまっているような気がする。

―――思考のエレベーター

上記の別解にもなるが、立場が変わると同じ世界でも見えてる物事が180度変わる場合がある。たとえば、自分も新人だった頃を忘れている先輩社員は自分がかつて言われて嫌だったことをそのまま後輩社員に言ってしまっている場合がある。その訳が、自分もそういわれてここまで来たのだという信じ込みもあるだろうが、自分がある程度仕事のイロハがわかって責任のある立場になったことで周囲の見え方が変わったということにある。山は遠くから見れば高いが、ふもとから登っている時には悪路や危険といった困難がある。しかし、山頂についてしまえば疲れは体感しているものの、山頂から見える雲海の美しさや周囲の山々の光景に見とれ、それまで歩いてきた過酷な未知のことを忘れてしまっている(見えなくなっている)状況だろう。同一の人であっても、自分の置かれた立場などで考え方が大きく変わってしまうのだ。

思考のエレベーター

―――大衆になじむことが真理だと信じ込み、抑圧した感情が爆発した際の反動が被害を起こす。

中学の頃の遠足の帰りにカメラマンのオッサンと乗り合わせ「真面目なやつよりふざけたやつの方が人から好かれるんだ。たとえば、女子のスカートをめくったとして、真面目なやつからは『何やってんだあのバカ』と言われ、女子からは嫌われる。でも、男子からは被害を受けずにラッキースケベ見れたと賞賛される」という話を聞いた。
ある意味自分が子供だったから、今よりネット文化が発達していなかったから聞けた話なのかもしれないが、続けて「やっぱり大人になって『あの頃は散々な目にあった、スカートめくりはもう懲りた』ってなるけど、真面目なやつは『あの頃あんなことできなかったな…』って大人になってから暴走するかもしれない。テレビニュースの殺人とかの犯罪を犯したやつは真面目そうな大人しそうな奴ばかりって報道されるじゃない?」とも言っていて、確かにうなずける話だった。

「多くの加害者家族の方は、非常に常識的な人なんですよ。私より全然、真面目だなと思ったりして。逆に言うと、ちょっと常識にこだわりすぎる。世の中にある、ある種の多数派についていくタイプというか。たぶん、普通の生き方をしていれば不幸にはならないっていう思い込みがあると思うんですよ。みんながやっているところについていったら、悪いことはないだろうという。でも私は逆に、そこに落とし穴があるような気がしています」

(3ページ目)「加害者家族の多くが『サザエさん』みたいな家なんですよ」“普通の家庭”から無差別殺傷犯が生まれる“日本社会特有の理由” | 文春オンライン

よく巷で騒がれる意見の一つに「ゲーム禁止の家庭で育った子供が勉強で伸び悩んで吹っ切れた時、反動でゲーム廃人になる」というものがある。一種のカリギュラ効果に似ていて「押すな」と言われると押したくなるのと同様に、禁止されるとより一層その考えが頭から離れなくなるのだに見えてしまうのだ。

―――どっちつかずの意見・思想を大衆の流れに委ねる

誰かがテレビにてニュースによくある街の声を要らないと言っていたが、バイアスをかけずに、何のフィルターも通していない情報を得るのは極めて難しい。どうしても負の側面に意識が持ってかれがちだが、経験上ネガティブな思惑に従っていて報われたと感じることは少なく、ネガティブになると自信やバイタリティを失って委縮する。その不幸を免罪符に成り立つ社会は嫌だし、他人が自分を理解するのも他人を理解するのも無理な話で、どこかしらフィルターが入る。自己を保つためには、得た情報を自分の中で解釈し、自分で判断が下せるぐらいに冷静で安定していることが大事だろう。

―――個人的な偏見・感情を屁理屈で正当化し、証明書のように扱う

―――一方的な思い込みの範疇から抜け出せずに他の可能性を探れない

下記Tweetについて、ネタとして書いているのか、叶わぬ片思いを成就させたいことへの素直になれない裏返しなのか、一方的でストーカー気質さえ垣間見れる。

―――時代背景に合わせって思考はアップデートされる

―――フレキシブルな思考を

本当にアタマのいいひとは、ブレます。自分の知識や常識の賞味期限を確認し、なんかおかしいなと気づいたら、自分のアタマ以外のところにある客観的情報を入手した上で考えを修正します。つねに絶対正しいひとなんていないのだから、ブレるのが当然です。ブレなきゃおかしい。正しくブレるためにクリティカルシンキングが役立つのですが

役立つけれど難しいクリティカルシンキング反社会学講座ブログ

多様な考え方

のび太が「世界中の心が一つになれば、平和になると思うよ」と言ったとき、しずちゃんが「大ぜいが同じこと考えるなんて、気持ち悪いわ」と返した場面は胸に刺さります。

チョコレートの日 - 藤子不二雄ファンはここにいる/koikesanの日記

あのな、個性を大事にするっててめーの個性の話じゃねーんだよ。俺とお前は違う人。出来ることも向いてることも考え方も違います。それを認めましょうってのが個性を大事にするってことだろ? てめーの生き方の話なんかしてねーっての

日本人の同質性はもっと叩かれるべき

―――複数の視点をもってすれば解釈違いの事実が複数存在することになる

―――人間皆、謙虚に見えてもプライドを内に秘めている

日本人の自尊感情が低く見えるのは、同調圧力が高い学校や会社で、自慢すると叩かれることが身に染みているからなのでしょう。しかしその一方で、内心ではきわめて高い自尊心をもっている(まわりを見下し、バカにしている)らしいこともわかりました。そうなると、日本人の自殺が多いのは、高い自尊心を社会が抑圧しているからかもしれません。
顕在的自尊心(外面)と潜在的自尊心(内面)は、ある程度独立していることがわかっています。だとすれば、「自尊心が高い/低い」という単純な二分法ではなく、「自信満々に見えるけど、虚勢を張ってるだけで実際はコンプレックスが強い」や、「一見、謙虚で腰が低そうに見えながら、実際はプライドが高くて扱いづらい」タイプがあるはずです。

日本人の自尊心はじつは高かった? 週刊プレイボーイ連載(474) – 橘玲 公式BLOG

隣の芝生は実際どんなに荒れていようが青く見えるものだ。儲かっていない借金まみれのネットワークビジネスの会員が、見栄のためにローンを組んでブランド品の身に付けたり高い車に乗っているのを人に見せたりしているが、実際はレンタカーなどといったケースがあった。後述するが、ないものねだりで羨ましく見えるだけで、実際は自分と同等または自分の方が恵まれているケースも多い。

また、資産を持っている人がどんどん儲けるように、気持ちにも余裕がある勝ち組の人はどんどん成長していく悲しい事実がある。
一見楽しそうであったり過去の楽しさを引きずっている人は、その人自身のポテンシャルとしては満たされているはずなのに過去との相対比較から現状に満足できずにネガティブに感じる人は多い。それは若さや時間といったものを人と比べ、羨んでいるないものねだりに過ぎないケースが多い。
二兎を追う者は一兎をも得ずという言葉があるが、実際は追いかけていれば自然とどちらか一兎に決まるものでそれがどちらになるかと言うのが問題だ。その片一方の兎を他者は羨み、自分の選択が正しいと信じたいがためにアピールに働きかけるのだ。

―――捉えようによってはいくらでも解釈できる

―――人間、素直になるのは難しい

多様性

世の中で多数の人がやっていることをやらないと、“なぜ?”と聞かれます。大企業を辞めると“なぜ?”、籍を入れないというと“なぜ?”、結婚5年目で子どもがいなくて“なぜ?”と問われる人も多いでしょう。 この“なぜ?”は、厳密に言えば「なぜ他の人がやっていることを、あなたはやらないの?」という質問です。 ですが、質問している人はたいてい思考停止状態なので、そういう質問だと認識していません。“なぜ、あなたはフリーターなの?”という質問の裏返しとして、“なぜ、あなたは定職についているの?”という質問も成り立ちうることを、質問者は意識していないのです。

多様な生き方を尊重する社会へ

―――狭いコミュニティー内での生活を世の中の一般だと錯覚してしまう

―――多様なチャネルを持つ・常にアンテナを張る

井の中の蛙やお山の大将では広い世界を深く理解できないまま過ごしてしまう。今理解できるでないにしろ、多くの経験をしておくことが後になって理解を深めるスパイスとなることが多い。

リクエストされていないのですが、ちょっと回答したい内容だったので。
実は僕、4浪して大学入っています。
普通多浪って、あんま一生懸命やっていないやつがなるんですが、僕の場合滅茶苦茶頑張ったのに4浪でした(笑)絶対受かるって確信した4浪の年末まで、正月の三が日くらいしか休みませんでした。
大学に入ったら、この4年分の青春を取り戻すって毎日思ってました。
どうしても時間がかかる人もいます。
周りから、気にするなって言われても、あなたは浪人していないでしょ?って気分にもなってると思います。
なので、浪人の先輩として登場しようと思ったわけです。
他の方もおっしゃってますけど、本当に全然問題ないです。僕の知人に5〜6浪はザラにいるし、10浪もいるし、大学で助教してたときは年上の大学1年生(0歳の子供までいたし)もいました。
一個だけ気になるのが、勉強一筋ってフレーズです。興味が一個に集中しちゃうのって良くなくて、問題が起こったときに解決方法を見つけられにくくなっちゃいます。
可愛い女の子を好きになったり、美味しいご飯を食べたり、いい映画を見たり、山に登ったり、自転車漕いだりしたほうが良いです。
何かに一筋って、一見良さそうに見えるんですけど、効率が悪いんですよね。
人生を楽しむ為に僕らは生まれてきました。楽しみの中に勉強が加わると上達がめっちゃ早くなります。
中々、マインドが切り替えられないと思いますが、気楽に頑張って下さい。

僕は浪人してしまいました。今まで友達も彼女もいなく、勉強一筋で生きてきました。しかし、努力しても及ばず受験に失敗しました。就職さえできれば新しい環境で、友達だってできたかもしれません。これから先もお先真っ暗です。でも、親がいるので死ねません。僕は今どうしたらよいのでしょうか?

―――多様な考えの中で衝突する考え

―――そのダブルスタンダードは矛盾か?解釈違いか?

―――多くの個人の共感にはバイアス・自己フィルターがかかっている

―――善悪で語れない世の中

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、「ヒトラーがドイツでやったことはすべて合法だったことを忘れるな」と言った。「合法」だから「善」とは限らないし、よって現状では「違法」であっても「悪」とは限らないのだ。

ポール・クルーグマン「ひどい賃金のひどい仕事でも無職よりマシ」 - Zopeジャンキー日記

―――正論は言った相手が救われなければ嫌われる

正論が嫌われる理由の一つとして、図星を突かれることで今まで守りにしていたプライドが崩れることで、それを言われた相手は今まで渡ってきた橋が壊されて先に進めないような状態になることから身を守るためだと言える。そこでいきなり価値観の違いが露呈しても相手の意見には素直には賛同できないのは、それをできる・できていた人以外にわかっててできないと自覚している人の間に大きな壁があるからだ。同じことを言うにしても言い方のニュアンス次第で大分印象も変わるため、本質を突かれることではなく、それを批判的なニュアンスとして受け止めて攻撃から身を守る体制になっているだけに過ぎないのだ。

―――独創性の根底にある嫉妬、出る杭は打たれる風潮

前述の思考停止にも似た話だが、新たな出来事というのは前例がないため参照すべき出典が少なく、判断がしづらいことによって憚られる。そのため新規性のあるものは不安要因が多く、どうしても粗探しに意識が向いてしまう。ましてや既存コンテンツの応用ではない場合は、とっかかりとなる要素も含まないため、興味を抱きにくく、関心の無さから否定的な文面から意見が入るケースが予測される。一方で、内情はわからないものの感覚的に凄そうだという印象を受ければ、何か粗があるだろうと疑う心理が働き、どうしてもその成果を信じられないものなのだ。

正しい”日本人”の作り方
①ある人(A)が、ある”もの”を作りたいと考える
 Aはそれが完成すると、他人の反応が見たくなり、それを一般に公開することにした
  ↓
②しかし、レヴェルの低いAの作品は思うような評価を得られない
 「それは既に発表されたアイディアだ、なにも新しいことはない、稚拙な表現だ」などと
 様々な酷評を受ける
  ↓
③それを受けて、Aは悔しくなり、多大な努力と労力をかけて、
 それに独創性、オリジナリティーを加え、より完成度の高い新たな作品を発表する
  ↓
④(非日本)Aの努力を理解し、Aの努力に敬意を表して、その作品に対して惜しみない賛美を送る
  →Aは努力が報われたことを喜び、新たな分野を開拓するため、次の作品に取りかかる
   別の分野の①へと戻る
 (日本) 十分すぎるレヴェルの内容であっても、決して褒めようとはしない
      普通に考えればどうでもいいような粗を探し出しそれを糾弾する(出る杭を打つ)
  ↓
⑤それを受けて、Aは悔しくなり、さらなる改良を加えていく
  ↓
⑥Aがどんなに改良を重ねていっても、周りの人はどんなに細かい粗も決して見逃さず
 すかさずそれを指摘し、非難する
  ↓
 (⑤と⑥のループ ~中略~ )
  ↓
⑦途中、Aはもう諦めようと思ったりもするが
 周りを見渡してみると同じような人が同じように努力をしていることに気がつく
 「自分だけではない、ライバルに負けたくない」と必死に努力をする
  ↓
⑧Aの作品はだんだん、マニアックになっていく
 同時に、A自身もそれがだんだん面白くなっていく
  ↓
⑨それを繰り返すうち、それがある飽和点に達すると
 (”出た杭”の範囲を超え、それを超越するようになると)
 Aはやっとそれから解放され、賞賛を受けることになる
  ↓
⑩Aはこの時点でやっと自分の努力が認められ、報われたことを知る
・日本でない国では、④の時点で①に戻るので、多種多様なアイディアが生まれることとなる。
・一方、日本では、⑩の時点になるまで達成感を得られないので、多様性よりもその分野の専門性を窮めることになる。そして、そこまで達した人は「職人」となる。
また、それを志向する者が増えるとそれは「道」となる。
このようにして、日本でない国の人たちは、日本人の作ったものを目の当たりにすると非常に驚嘆することになる。彼らは純粋にその作品の凄さに気付き、強い賞賛を送るが、しかし、同時に、それはマニアックであり、独創性が乏しく汎用性が少ないものでもあることも知る。
そして、彼らはそれを生み出している原動力が、この社会に横たわる伝統的な強い「妬み」と「嫉妬」であることを知らない。

Browser.js 正しい”日本人”の作り方(”出る杭を打つ”の効用)

上記は前例がないことをそのまま推進していく中である程度の評価を受けてようやく認められた例だが、新規となる穴場を開拓したということは羨ましがられることであり、それを否定するということはその才能を持たない自分と比較して優れた相手を否定しなくては自我が保てないという日本人の精神の脆弱さにも起因する。
また、個人的な見解として、嫉妬と憧れ、尊敬のニュアンスの違いには三段階の下記のフェーズが考えられる。上記事例にも似ているが、手の届かないかつこちらが理解できる範疇で物事を革新していく様が評価の対象になるのだろう。

嫉妬:
自分と同じ立場かそれより下の相手に、自分より優れた点(経済面、交友関係、能力 )があった際に、それを羨んで思う感情。多くの場合、自身に危機感を感じている場合が多く(自分は不幸なのでは、自分は努力してこなかったのでは、過去の取り戻せない行いを悔いる危機感など)、自身の身を案じて防衛反応として相手にマウントを取ったり、露骨に悪い扱いをしたり嫌がらせをする。たとえば、新卒入社で高学歴で優秀な部下がついた時に、その上司となる存在の人が危惧する点は、その部下に仕事が出来ないと舐められたり、その部下と比較されて上司からお前は仕事できないと嫌味を言われる恐怖であり、自身の今まで築いてきた立場を揺るがされる恐怖だ。ここで、上司は不安からマウントを取ったり重箱の隅をつついて責め立てたりすることがあるが、ここで挑発に乗ってマウント返しや喧嘩に勃発すると最悪の展開となる。エスカレート化して部下または上司の側はメンタルを病んでしまう。
憧れ:
嫉妬のケースの状態に品性や正当性が付加されたもの。上司がマウントを取ってきても下手に出て、誠実・謙虚で素直に懇切丁寧で正しい扱いができる部下はこの対象になる。下手に出られて頼られて嫌な気分になる人間はほぼ皆無(中にはその行動すら計算高い策略的で何か企んでる腹黒野郎だとして怪訝に思われる場合も考えられる)。これを繰り返していくうちに、マウントをとる上司にも部下が可愛く映ってきて、次第にマウントを摂る自身が惨めに思えるようになりマウントをやめ、素直になっていく。この場合、上司から部下からバカにされるという懸念点がひとつ消える事も起因する。
尊敬:
マウント上司が媚びへつらう重役であることが多いが、部下がこの評価を得るには、上司が危惧する部下にバカにされる、上司から比較されてイヤミを言われるといった懸念事項をとっぱらおうと運動を起こすことが最善に近い。なぜならその行動を起こす自身にもリスクが危ぶまれるのにそれを起こす勇気に驚き、さらに自分が不安に思っていた呪縛から開放されることから嫉妬の思考から開放されるからだ。ある意味そういう人は同じ思想を持っている似たもの同士である場合が多い。
ただ、それでも嫉妬する人がいたとしたら、行動は起こさなかったにしろ同じ思想を持っていて「俺も同じこと考えついてたけどお前に先越された。俺も同じ考えだったのにお前だけチヤホヤされて」といった場合であり、逆に言えばそこまで似たもの同士であり喧嘩するほど仲が良いといった関係に等しい。

認識

アインシュタインは、世間的には無能だった。
学校の成績は悪く、大学受験に失敗し、制度を利用してチューリッヒ工科大学に無試験入学したが、大学の講義にはついていけないと分かっていたので、講義には出なかった。
大学を出ても、研究職に就くことが出来ず、特許庁の事務員になった。
彼もまた、独立した個人という感覚が希薄だったのだ。
それで、自分と他人、自分と外物、そして、外物と外物の区別が明確でなかった。
それが、彼の全ての性質を見事に言い表せる。
彼は、洗濯石鹸と髭剃り用石鹸の区別をせず、洗濯石鹸で髭を剃った。
そして彼は、(慣性系における)全ての基本的物理法則は全く同じと見なし、特殊相対性原理を発見した。
さらに、重力と加速度は同じで、時間と空間は同じと気付き、一般相対性原理を発見した。
アメリカに渡った(亡命した)アインシュタインの収入は多かった。
アメリカ最高の研究機関プリンストン高等研究所では、アインシュタインを研究員に迎えるために2万ドルの年棒を用意した。1933年のことである。(アインシュタイン自身は年棒千ドルを要求した)
だが、自他の区別の無いアインシュタインは、誰とでも収入を大らかに分かち合った。要求されれば誰にでも金を与えた。彼にとっては自然なことだった。
アインシュタインを高名な学者だと知らず、数学の先生だと思っていた女子中学生が数学の宿題を手伝うよう頼んだら、彼は当然のことのように協力した。その女子中学生の母親が卒倒しかけて謝罪に来たが、アインシュタインには謝られる理由が分からなかった。彼に地位や年齢の違いという概念はないのだ。

無能を喜び気楽であれ : ITスペシャリストが語る芸術

―――誤った認識か?疑いの目を向けているのか?少数派の認識

CMで一時期問題となった「米を洗剤で洗う人がいる」や「切り身の状態で魚が泳いでいる」といった誤認識があるが、ガリレオによって天動説が唱えられて以降の21世紀でも地動説を唱える人がいるようだ。

地球平面説を信じているのはアメリカの成人の2%、およそ600万人である。これだけ見れば、地球平面説は物語戦争で大敗北を喫していると思われるかもしれない。だが見方を変えれば、地球平面説は大健闘している。科学的にはまったく破綻しているにもかかわらず、150年以上も生き永らえているからだ。

アメリカで600万人が「地球平面説」を信じる理由 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

―――誤認が広まればそれを常識と見なして簡単には変えられない

ガリレオの「それでも地球は回っている」と同様に、宗教的観点もあって天動説が主流であった時代に地動説を唱えるのは革命的出来事だっただろう。習慣的に閉鎖的組織に属してそこでの通念が定説となれば狭い村社会ではそれが常識となる。それは社内でもネット上でも変わらず、一部のコミュニティで見受けられる事象ではある。

こういった場合、自分の意見を主張するより「なぜそう思っているのか?」という相手への疑問を元に原因を突き止め、相手の不信感や心配事について釈明していくのが正攻法となる。

営業の仕事してて悟ったのは、 細かいことを言っても相手は聞いてないってこと 結論から言って相手からの質問に答えるだけの方がよい 

カオスちゃんねる : 「頭が良い人は誰にでも分かるように説明する」みたいな風潮何なの?お前がバカだから理解出来ないだけ

―――特殊な共通認識

下記に「ネギはキューピー人形の味がする」という認識の引用を見てゾッとした。幼少期にキューピーの人形を誤飲した際の記憶なのか、著者も何となく理解ができるしそのイメージがある。しかもただの人形ではなくキューピー人形であるところもミソだ。確かに、その方がわかりやすいし、人形の流通性の関係もあって強く印象に残っているのだろう。

プルースト効果と言って、匂いによってその当時の記憶が思い起こされるという嗅覚の特性があるようだが、味覚は嗅覚で記憶されているという話もある。また幼少期の方が味覚に関してはより敏感であるようだ。

―――人には人の人生

新卒で入った会社の常識を社会だと錯覚するように、自分が今まで生きてきた人生の蓄積が一般として錯覚して相手にも同様の認識を持つものだと思い込む。それを許せないというよりも今まで自分が普遍的だと思っていた事象が違った場合のショック、アレルギー反応なのだ。

下記はペースメーカーが現在携帯の電波の影響を受けないということを知りつつ「理屈ではわかっているが精神的な不安はずっと残っている」状態の方の話だ。前述の「正論は嫌われる」の話と同様、スマホは安全だというのは正論だが、感情的には受け付けられないのだ。当事者にならないとわからない不安が沸いている状態ではある種馬の耳に念仏なのだ。不安を取り除くと言ってもその不安は今すぐになくなるものではない。

―――認識の違いによって評価が180度変わる

―――特殊な現象

「これって私だけ?」というような自身が抱える疑問は割とあるだろう。それ故にSNSや情報などで自分の立ち位置が不安になるのも無理はないだろう。ある程度のあるあるネタはマーフィーの法則のようなものに当てはめられるだろう。
似たような事例として有名なもので「青木まりこ現象」なるものがある。1985年に雑誌の寄稿にて寄せられた「書店に立ち寄ると便意を催す」現象について、寄稿者の名に紐づけてそう呼ばれている。原因は現在も不明ではあるものの、同じような経験がある人も一定数いるようで、本屋に限らなかったり便意に限らなかったりする。
また似たようなものに「光くしゃみ反射」(出典:http://www.kuchiiwa.jp/dl/profile/11.pdf)というものがあり、太陽光などの光刺激を原因にくしゃみを誘発するという現象だ。

☟下記のように成人してから自身の特性に気付くということもあるようだ。

友人が「世間的にしてはいけないとされることをしたいと思ってしまう」ことを何かの病気のように思っていたようだが、カリギュラ効果なるものがあり、それに基づいた一般的な真理であることがわかって安心したとの旨を述べていたことがある。情報や知見を得て己を知り、安心するという作用はあるようだ。

―――人はないものねだりで批判する

一見どんなに満たされているように見える人でもないものねだりは人間の根源なのだ。目標というものは得た瞬間に喪失感を得るもので、新たな目標を継ぎ足して自転車操業していくのだ。人は他人からの批判的行為を避けるので、格下の者にマウントを取って牽制し、ないものねだりで自分より優れた者を当てつけのように批判して自我を保っている。満たされるか満たされないかはその人次第であって、永遠に際限のないものなのだ。人は自信及び自分の道がこれで間違っていないだろうという確証が欲しく、このような行為に走ってしまうのだ。人は持っていても持っていなくても同じように苦しみを抱えているのだ。自信とはその人が正しい道を最も効率よく駆け上がっていくための核なのだ。

差別

差別っていうのはさ、言葉じゃなくて心の中にあるんだよな。「こういうことを言わないようにしようぜ」って言いながら、心の中で思ってることが最低なんだ。

漫画家たちの熱烈オーエン宣言言 赤塚不二夫氏

―――安易な言葉狩りで何も変わることは無い

―――自身の定義を世間一般の代名詞・大きい主語で通そうとすることで複雑化し、遠ざかる理解

人種差別問題にも言えることだが、対象となる被差別者ではない第三者が代弁者であるように「こういった表現は嫌がる人がいます」と主張する場合があるが、逆に被差別者となりうる対象の人間が肯定的な姿勢を示すこともある。差別というのは捉え方であって、自身は不快に思っておらず、こういった接し方によって受け入れられて周囲と分かち合えたというメリットと称する少数意見を断絶しては、ノイジーマイノリティー(ここではマジョリティとなる)の中でマイノリティが追い込まれるという問題が新たに生まれてしまう。傷付く人が多数いるからこういった表現は避けようというのは頷けるが、肯定的な被差別者もいる中では単に個人として見たときに嫌がる人にはそういった言動を行わない、また、そういった表現は個人のものとして公人やオフィシャルなメディアでは用いないようにし、強要や多用は厳禁とする方が望ましい。そうでなければ、人種という人括りにして個人の問題に向き合わず、大きな主語で片付けているだけになってしまう。
一番問題なのが容姿や生まれ、キャラクターに対しての差別的表現や接し方だが、これらはメディアでも"いじり"として面白おかしく捉えられ問題視されないことが問題である。大きい主語の方が注目を浴びやすく、やはり個人に対してまで目は向けられていない印象である。最も差別で問題なのは、表現のみならず、扱い自体がその他大勢とは明らかに違うぞんざいな言動が為されるといったヒエラルキーが明確に分断されている点にある

性的マイノリティーに限らず、究極なマイノリティとして「個人=自分自身」があるのに、かつ「多様性」等と囃し立てなくてもそもそも多様な現実があるのに、なぜマイノリティを排斥するのか、すごく謎。

[B! 映画] 映画でゲイ役 主演の鈴木亮平「差別残る社会の側に問題」 宮沢氷魚と共演 | カナロコ by 神奈川新聞

―――社会的に弱い立場を利権として利用して無理を通そうとする行為が起こる恐れ

―――一方の立場の肩を持ったところで問題は解消されない

―――差別する者を排除してもなお差別を生む

彼もそうだけど、物言いが上からで、「弱者の味方」と言いながら、ゾッとするほど冷たい目で弱者を見下げているんだもの。本人にそのつもりはなくても、何度も見下げられた身には一瞬の心の動きが手に取るようにわかるんだよね。

60代女性記者「リベラル派に親しみを持てない」“弱者の味方”と言いながら見下げられた経験を明かす|NEWSポストセブン

―――交錯する被害者意識・加害者意識

下記のはてなダイアリーは「何もしていないのにいるだけで女子にキモいと言われる」投稿主の話だ。このように自分が無自覚に加害者とされ、次第に自分は気持ちが悪い人間だからもっと気を付けなくてはという精神状態に陥り、自分が被害を受けているとも思えずに病んでしまったようだ。

―――「キモい」という発言について

昔、会社で新入社員のA君が私に言った。
「Parisさん、Bってキモくないすか?」 BというのはA君の同期の男性社員である。 A君とB君は新入社員研修を終え、試用期間のような形で私が所属している部署に入って来たのだった。
「どうしてそう思うの?」と私は尋ねた。 彼は言った「だってキモいから」
あまりの答えに最初はギャグかと思った。 でもちょっと考えてから思った。 理由なんてないのである。 A君にとって、B君は「キモいからキモい」のだ*1。
「キモいからキモい」と彼はなんの迷いもなく口に出してしまうのだ。 そこには悪意すらない。 ただの無邪気な感情があるだけだ。
私から見たB君は、大人しくやや消極的な所はあったけれど「真面目で仕事がしっかり出来る人」という印象だった。 お昼休みに1人で仕事の関係の本を読んでいる姿も見かけた。 でも、一部の女子社員の間で「キモい」と言われている事も知っていた。
一方A君は、上司の受けも、女子社員の受けも良かった。 A君に直接仕事を教えていた私も、「ちょっと雑な所があるかな?」とは思っていたものの、特に悪い印象は抱いてなかった。 その時までは。
自分が感じた「違和感」にしろ「不快感」にしろ、それを深く考える事なく「キモい」で済ませてしまう人、そしてそれを口に出す人を、私は軽蔑する。
ある日、上司が私にそれとなくA君の評価を聞いてきた。 私は、A君の仕事がちょっと雑である事、物事を一面的に見て感情で判断しがちな所があるのでは?と言うような事を伝えた。 それから直接携わってはないものの、B君は仕事もしっかり取り組み、いろいろ勉強しているようだ、と付け加えた。上司は「そうか。まあ、頑張ってしっかり教えてあげてよ」*2と言うと他の女子社員の方へ行ってしまった。
それから時が過ぎて、A君は良い部署に移って行った。 B君は私達と同じ部署に残ったままだった。
私は会社を辞めた。
別にその事が原因で辞めた訳でもないし、転職するにも不況でろくな所はなかったけれど、あの会社を辞めた事を後悔してはいない。
ただ、A君が雑に仕上げた仕事を直すのを手伝ってくれたB君に、何も出来なかった自分の無力さを呪った。
力が無いという事は、自分ばかりでなく、他の誰かを助ける事もできない事なのだと、私はその時初めて知った。

無邪気な人の、悪意なき感情。 - どうでもいいことかもしれない

相手を傷つける意図ではなく、発言や行動に対するツッコミとして用いられるケースも多い。安易に規制を掛けるのは頷けないが、差別的表現として規制されるわけではないので多用されやすい発言と言えるだろう。
「キモい」と言う発言が出る理由の一つとして、自分がそのもの自体をよく知らない当事者であるという面が挙げられる。
その理由として、まず第一印象が大事とはよく言うが、基本的に第一印象は良い方に転ばないということだ。というのは最初にその人を見る時は相手がどんな感じかわからず不安であり、粗探しのように見るため、悪い要素の方で受け取ってしまう恐れがあるからだ。誠実な心意気で相手に挑んでも、表面に出たものが周囲の評価に反映されるため、結果的に「なんでここまで誠心誠意の態度で接したのに!」と胸の内とのギャップに苛まれる。
個人的な話だが、昔、萌えアニメやカートゥーン系の絵柄が生理的に受け付けなかった。その内訳としては、どこかCMなどの短いフレーズから得る印象でエロ・グロといった下品で不愉快なものをギャグとする要素を持っていたからだ。キャラクターのデザイン自体も目が異常に大きかったり、ヤンキーが着る服のような蛍光色を放っているのも受け付けなかった。ただ双方実際に作品を最初から見てみると、ストーリーが割としっかりしていてテーマがあったり、そこから派生してキャラクターにも各々の良さが見えたり、絵柄から想像するような下品さはなかった。あくまで部分的にそのような箇所が悪目立ちしてるだけだったのだ。
以上の件も踏まえて、相手のことをよく知らないという部分にアレルギー反応を起こしているのだろう。相手を知った上で本当に拒絶反応を起こしている時は「キモい」ではなく「無理」といった発言がされる場合が多い。「キモい」というのはあくまで印象であり、表層部分しか見ずにレッテル貼りしただけのものだ。その発言が本心から蔑視した上なのか、ツッコミや冗談としてなのかも重要だが、いずれにせよその辺の考え方に信頼性のない人、もしくは親しくもない相手に対して安易に発言して良いものではないだろう。

―――差別は悪ではなく、正義と別の正義が拮抗して生まれる

―――「のび太の癖に生意気だ」を地で行く昨今

―――被害者も加害者も事実を見れば明らか

―――ハラスメントはハラスメントにあたらないのか?

差別問題にも同様に言えることだが、ハラスメントについて取り扱った場合、基本的にお互い対立する立場での各々の正当性や被害者意識を披露する場に成り下がり、結果的にあっちが悪い・悪くない問答になるのがオチだ。
そもそも、ところ構わず悪意を感じたものに指を指してハラスメントと称する、ハラスメントハラスメントという落語めいた言葉も存在し、抜本的解決ではなく臭い物に蓋をする対策で済ましてしまっているのが問題なのだ。
パワハラにも上司から部下へろくに面倒も見ずに叱責だけするものから、部下から上司へ「使えない」扱いや勝手に指示に背いたりといったものがある。ハラスメントと言えば問題点を取り上げて組織の改善に努めるための課題の一つであって、個々に言い合って自分の権利を主張し合うものではない。ただ実際問題、こういった講習を受けた後の組織というのは上司は独自の解釈をして依然として変わらず各々が自分の自己保身の方に走り、改善はそもそも期待していないのがそもそもだ。

皮肉だろうが、「すべての人に配慮せよ」を言葉通りに行うなら当然これも受け入れなくてはいけない。この主張だけ馬鹿にして取り合わないならそれこそ某教授が言っていた、「人間扱いされていない」状態だろう。

[B! 増田] カップルで街を歩くのって、弱者男性へのハラスメントじゃないの?

持論

下記にはネット上でいくつか見つけた人生における持論だ。

彼女から私が教わったことは
ほしいものをほしいっていい続けていれば手に入る(だって私の人生全部そうだったもの!)
その代わり、悪いことはおもっても口にしちゃいけないわ!(ほんとになっちゃったら面倒じゃない!)
人の悪口いってる暇あったら爪を磨きなさい(嫌いな人の為にエネルギー使うなんて無駄!)
ミニスカートはいて足は見せとくのよ!(そのほうが細くなるんだから!)
楽なカッコウしちゃ駄目よ!(体も服に合わせて緩んでくるんだから!)
おなか抱えて笑うのは卵1個分の栄養があるのよ!
人の噂話をして生きてきた人のかおになっちゃ駄目よ(笑って生きるにこしたことないのに!)

日本の未来は明るいわ | 31o5.com

学校を絶対にやめないで継続する
お金は腐らずに残るもの ─ 投資は早く始める
第一印象で家を買わずに、近隣の住宅環境に恵まれた安い家を買う
予算内で生活をする癖をつける
どんなものでも交渉する技術を身につける
健康保険は片時も手放してはいけない
仕事は質、家庭は量が大事
金持ちへの近道があると言う人の話を聞かない。マルチ商法と呼ばれるビジネスから、遠く遠く距離を置く
夫婦の価値観が同じことが大事
友人とのつながり
給料が高いだけの理由で仕事を引き受けてはいけない
信用はしても確認をする

とある42歳の男性が過去を振り返って思う、22歳の自分に伝えたい12のメッセージ。|jp.blogs.com|おもしろブログ記事のまとめサイト

学校では教えてくれない大事なこと
1.連帯保証人にはなるな。
2.マルチ商法には耳を貸すな。カネも出すな。
3.給料を貰ったら、手取り額の1~2割は貯金しろ。
4.週に1回は部屋・トイレの掃除をしろ。
以上。家庭(親)でも教えてくれないこと、かもね。
僕の親は1つも教えてくれなかった。それどころか父がマルチに騙されて大変だった。そして母は掃除・片付けの出来ない女なのである。

学校では教えてくれない大事なこと

家訓ではないけど、中学生か高校生のころに「人生で守るべきこと」を三つ定めて、その一つがこれだった。
親より先に死なない
薬物に手を出さない
借金の連帯保証人にならない

Re: どれくらい分かり合っておくべきなのか - hitode909の日記 - @kyanny’s blog

学校を絶対にやめないで継続する
お金は腐らずに残るもの ─ 投資は早く始める
第一印象で家を買わずに、近隣の住宅環境に恵まれた安い家を買う
予算内で生活をする癖をつける
どんなものでも交渉する技術を身につける
健康保険は片時も手放してはいけない
仕事は質、家庭は量が大事
金持ちへの近道があると言う人の話を聞かない。マルチ商法と呼ばれるビジネスから、遠く遠く距離を置く
夫婦の価値観が同じことが大事
友人とのつながり
給料が高いだけの理由で仕事を引き受けてはいけない
信用はしても確認をする

とある42歳の男性が過去を振り返って思う、22歳の自分に伝えたい12のメッセージ。|jp.blogs.com|おもしろブログ記事のまとめサイト

―――常に人にやさしくと言うのは難しい

一番覚えるのが難しいスキルが、「やさしくなること」だと僕は思っている。というのも、やさしさというのは、受動的なスキル、つまり「周囲がやさしさを必要とした時に、それを供給できること」だからだ。自分の気分で周りにやさしく接するのは、ホントのやさしさではない。例えば、自分の仕事が上手くいっていなくても、それを一旦横に置いておいて、午後11時に泣いて電話してきた友達の話を聞けること。例えば、猛暑で空腹でも、目の前でお婆さんが重い荷物を引いていたら、その荷物を持ってあげること。

20歳のときに知っておきたかったこと | quipped

―――自分に嘘をついてごまかして生きること程ストレスになる行為はない

―――嘘も方便

シンシアリティ(sincerity)という言葉があります。誠実さや真摯さを意味しますが、近代的な自己にとって、これはとても重要な価値です。嘘偽りのない透明で清廉潔白な内面性こそが理想的な自己なわけですから。一点の曇りもなく正直であり、真面目であれ、というわけです。
 しかし、本当にその必要があるのでしょうか。「嘘も方便」と言うように、状況によっては嘘をつかなければならない場面を、私たちはしばしば経験します。
 イマヌエル・カントが興味深い話を提示しています。友人が「殺人者に追われている。かくまってくれ」と言ってきた。その後に殺人者が来て「お前はその人をかくまっていないか」と言われたら、どうするかという問いです。嘘をついてはいけないという原則に従って、正直に答えると、結果的に友人は殺されてしまうかもしれません。ところが、カントはそれでも嘘をつくべきではないと言うのです。
 一方、『論語』にはこんな話があります。ある人が「うちの村には正直者がいる。父親が羊を盗むと、子どもがそれを訴え出た」と言ったのに対して、孔子が、「うちの村は違う。子は父のために隠し、父は子のために隠す」と言ったというものです。この議論は、近代中国においては厳しく批判されて退けられてきたものです。中国の後進性の象徴であるといわれました。

あなたを苦しめる「わたし」の正体 理想の自分に囚われていないか | DHBR最新号から|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー

働くことが辛くても仕事によって社会参画していかないと衰えていってしまい、自身も辛くなってしまう。自分が仕事によって努力し、徐々にスキルを伸ばしていくことに満足していくしかない。

44 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[sage] 投稿日:2012/08/26(日) 16:55:48.16 id:LBvZyrxy0
サラリーマンの人たちて定年になったら一気にぼけるよね。
でも元々はたらいてないニートはいつになったらボケるんだろう
49 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 投稿日:2012/08/26(日) 17:01:56.48 ID:5D54A57HP
»44
どうも、元々脳が活性化してない人はその調子で穏やかにボケて行くだけらしい
年寄にとって一番の大敵は環境の激変らしくて、それは本来良い方向だとしても不味い結果を産む事がある
戦略練りまくりの仕事をしていた人がそのストレスから一気に解放されると
ギャップに耐えられなくなって、急激に劣化するとの事

退職した親父がテレビ見てビール飲むだけの糞みたいな生活をしてボケ始めててヤバい

―――その「頑張った」は努力か?苦労か?徒労か?

努力して苦労して生きてきた結果がこれか、という問については、結論からすると不満を抱えながらも現状維持を貫いて変化を恐れてきた者の言葉であり、努力はしていないのだ。与えられた種を撒いて豊作して豊かになるでもなく、それをそのまま食べてはまた「ひもじい」と言ってそれをねだり続けるでも空腹に耐えるでもして生きたに過ぎない。アリとキリギリスでいうキリギリスであり、怠惰故に苦難に対策できず、かと言ってキリギリスほど面白おかしく生きている訳では無い。短命ならば努力もせず楽しさを求めて生きるだろうが人生はそこまで短くない。表に映る行為が好意的でないにしても、心の内には改善の意を込めて、思いやりを持って他人から感謝され、快く思われるような生き方をした方が、本人も幸せだろう。

草薙素子「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それがイヤなら、耳と眼を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ」

人生をやり直せるのは何歳までなのか : 暇人\(^o^)/速報

―――努力や苦労も関係なく生まれた時から約束されていた人種

―――マンネリは平和の証拠

ガンジーが言っていたが眼には眼を歯には歯をは正しいとは言えない。正論ではあるだろうが、それによって救われない例が考えられる。極端な例だが、家族が事故で病院に搬送されたという一報が入り、車で急いで病院に向かう際に人身事故を起こし、それでもなお病院に向かったとする。そこで家族がなんとか一命を取り留めたことを確認して安堵すると同時に、自身も事故の加害者になったことを自覚したとする。そこで被害者遺族の方から強く批判を受けるが、ここで自身の家族が事故によって一命を取り留めていなければ平等の立場であったと言えないのは明白だ。自身の家族を失う悲しみは別の何かを犠牲にすることで埋められるもので無いからこそ、喪失感が強く奪った者に対する憎しみが強いのだ。同じ目に逢って欲しいではなく、できるなら失った家族を取り戻して平穏な日々を戻して欲しいの一択なのだ。そこで平等の立場として、双方が同じように家族を失って両者納得など言語道断で、悲しみに暮れる人を増やしただけに過ぎず、誰も救われないのだ。
また少し付け加えると、まず前提としては、家族の安否を伺うために病院へ駆けつける際にも安全運転は心掛け、そこにパトカーが追走していれば急ぎたい気持ちを押さえ込んで運転し、その上であと少しのところで間に合わなかったとしても、最低限を守った上で叶わなかったと悲観するしかない。ましてや重要な任務を任されている時に急にその一報が来て駆けつける際には、その仕事さえも疎かにして失ってしまっている。2つを失う悲しみは計り知れないが、二兎を追えないケースだ。仕事を済ませてから向かっていれば、もっと急いでいればと後悔するかもしれないが、先のことが分からない上で自分の中で正しい選択をし、それでもなお上手くいかなかった場合は正しい後悔と言えるだろう。出来る限りを尽くして上手くいかなければそれは不可抗力の範疇だ。ただ、祈りは最後の最後に行うもので、自分がそこで思い付く可能な限りを尽くした上で行うもので、祈ったらそこで最後なのだ。
物事が便利になればそれはやがてマンネリ化し、悪い部分が見え始める。しかし、それは平和である証拠だ。そこで新たに改善すればまた悪い部分を見つけてはブラッシュアップして改善していく。欲しいものを手にすれば急にそのものに対する興味が無くなり、新たなものを手にする。目標達成すれば燃え尽き症候群になって、やる気を失う。ただ、そこで新たな目標や夢を見つけて改善に向けてまた走る。このサイクルが人生であり、永久に隣の芝生は青い。上手くいかないもどかしさを感じながらも手を尽くし、それでも無理なら別の視点から行動していく。何事にも改善には動きが必要だ。

―――賽の河原のように今まで積み上げてきた経験則と自己の石を崩されてはまた積み上げていくことの繰り返し

人生には往々にして「こういうことがあったから今後はこうしよう」という結論に至ったとき、別の場所ではそれが通用せず、皮肉にも改善前の問題としていた事象が定説として定着している場合がある。あるクレームに対応して改善したら別のクレームが発生するように、自己は安易に外部に左右されるのではなく、常に正しいと思う軸を基準に考えなくてはならず、その軸は普遍的に正しいとなるものでなければならない。これまでを生きてきた人は各々十字架を背負っており、叩いて埃の出ない人間はいない。後悔のない人生や完璧主義の100%無駄のない人生は不可能なのだ。バイキングで食べたいものを腹八分食べて満足感を得ることが元であり、より多くを食べて原価を超えることが元を取るわけではなく、腹を下したら元も子もない。

―――幸せや目標は通過点であり、達成してもまた更新され、満たされない

子供の頃は少ない資金で十分楽しむことが出来た。それはまだ利害関係や偏見のない幼少期の純粋な楽しさを求める好奇心から来るものであり、新たに知り得る発見が多いからこそ新鮮で1日が長く感じたのだ。大人になると様々な制約が生まれ、気持ちを抑えて偽り、大人を演じたり体裁を気にするようになる。これが問題であり「あれもこれもできる」状態になったとしてもそれが普通になってしまえば新鮮味は失われ、マンネリとした日々に刺激を求めてフラストレーションを蓄積していく羽目になるのだ。

―――素直な自分を解放できればそれは自由であり幸せ

―――人生山あり谷あり、経験は数打てば当たる

人生は大樹で進んでいく毎にいくつもの枝分かれがあるが、そのすべてを通ることはできない。家族、友人、資産、功績、体験…各々が様々な要素を持っており、最後まで目標・悩みを養分としてもがき続けながら成長し続ける。選んでいった先にあるのはどれも同じ実であり、自分自信が最後に残る。その時に振り返って自分自身で認められる自分であるかどうかが重要でる。

―――人生はマラソンではないからその時々の状況や景色を楽しむ

人生もマラソンも自分の意のままに景色や周囲の人を変えることが出来る訳では無い。ただ、自分のペースを守って走っていればバテずにゴールにたどり着き、序盤で自分をバカにしてた人たちも終盤で追い上げられるかもしれないただゴールしてもそこには順位はなく、待ち構えている人もいないのが人生。人によってゴールも違う。自分の軸がしっかりしていれば人を追い越そうと無理しても良いし、遅い人に合わせて走ってみても良い。この人生のマラソンは順位などではなく、走っている最中に写る景色や出会った人にドラマがある訳で、そこが醍醐味なのだ。走り終わったあとに達成感があるものでは無い。走ってる最中に〜があった、〜の景色が良かったと、多く感想が出ればそれほど充実しているとも言える。自分が正しいと思う考えを貫いて走り抜くのもひとつだが、人生≒マラソンであって、途中転ぶかもしれないし、置いてけぼりになるかもしれない。景色も一緒に走っている人たちも変わってゆく。時代の流れに伴い、人や景色は変わる。そこで自分のペースを保って前だけを見て走っても良い。ただ、そんな人生を楽しいとか充実したと思えるかは別だ。途中に見える景色にときめいたり、近くを走ってる人に目を向けたりして自分を鼓舞し、楽しむところに趣がある。来た道を戻ることも出来ない。完走したところで何も無い。ただ、完走するまでに得た心境の変化や出会いが人生のすべてだ。自分を信じて周りを顧みずに完走したところで、インタビュアーやゴールテープを握るものも待ち人もいない。最期は1人だ。そこを分かって走るのが人生のマラソンなのだ。

―――人生山あり谷あり

83年人間やってれば、悪い状態が永遠に続く事は無い、突然局面が変わったり、いいことが必ず有って何であんなことに悩んでいたのだろうと馬鹿らしく思える時がくる。
途中で人生から降りちゃ勿体ないよ!

独り言: 気がつけば82歳

参考・関連文献


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