気持ち悪くてやさしい好意

わたしは不審者に遭遇しやすい。

それが明らかに変質的でなくて、服を着ていないとか武器を持っているとかそういうヤバさの記号が無いとき、雰囲気や風貌で相手が大丈夫な人かどうか見分けるのが苦手。

高校入学以降は違和感を感じたとき他人に「これって不審者?」って判断を仰ぐことが出来るようになったし、最近は、目つきがちょっとおかしい人とか数分ほど会話してからようやく「もしかして怖い人か?!」って思えるようになった。

日常に溶け込む不審者に気付いてしまって、それを友人に報告したら、心配ゆえのお叱りをもらった。友だちのためにきびしいことを言って体力を削ってくれるなんて、まったく素晴らしい友人である。だけどわたしは相手の言う「お前は隙が多い」の「隙」が本当に何かわからなかった。
だって夜道をよく歩くわけでも、小柄だったり優れた容姿をしているわけでもないし、むしろ成人男性の平均身長ぐらいには背が高くて、歩幅も歩くスピードも大きい方だと自負している。
おとなしそうには見えるのかもしれない。去年の秋から今年の労働を始めるときまで、ブリーチかけてホワイトやグレーに近い髪色にしていたんだけど、その期間はなんにもそういう被害を受けることがなかったのだ。高校生をやるために黒髪に戻してから、ちょっとまた散見されるようになったので、おとなしいまま生きていたのかもしれない。

それで、恥を偲んで「隙」について訊いたら「やさしくする必要のない相手がわからないこと」も「隙」である、らしい。「じゃあやさしくするべきではない人の基準って何?」って訊いたら、それは「好意が気持ち悪い人のこと」なのだと。好意が気持ち悪い人のこと。なるほど。溜飲が下がった。

不審者に話しかけられているとき、だいたい「いい話の切り上げ方ないかな」って自分の中で言葉を選び始めている。その「いい切り上げ方」って要は「互いが不快にならない切り上げ方」だと思う。なんでそんな不審者にも自分にも勝手に気を遣って気を摩耗させているのかわからないし、第一すぐ走って逃げようって選択肢が出てこない理由も、わかんない。そういう訳わからん自己肯定感の低さも友人の言う「隙」なのかもしれない。

大抵は何度か絡まれたりしたら、やさしくする必要のない人が風貌だとか雰囲気だとかでわかるようになるから、回避出来る様になるみたいだけれど。わたしは何度痛い目見ても、ちょっとまだそれが苦手みたい。

来年、わたしは大厄年らしい。マジで大丈夫かな……。前厄の今年だけでこのレベルだとほんとに来年激コワなんだが!?
詐欺とか気を付けようなマジで。わたしは絶対に騙されやすい人間だと思う。宗教だけは自信あるそれだけは絶対に勝てる!!!!!!!!!!!!!!

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