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STUDY:シティポップとは何だったのか?第4回

4 現代によみがえる 虚構の虚構

 冒頭でも指摘したテーマ、「プラスチック・ラブ」を発端にして広がったシティポップ・リバイバル。Youtubeに投稿されている多くのシティポップは、大体の場合コメント欄が英語で埋め尽くされている。このブームに一役買っていそうなのが、シカゴのDJ、Van Paugamである。

 Youtubeライブで24時間放送中の「City Pop シティポップ RADIO」は常に200人ほどの視聴者がいてチャットは英語で埋め尽くされている。流れ続ける曲に合わせて、ドライブレコーダーで撮ったような夜の東京の街並みが映し出される。Van Pauganは動画の説明としてこのように書いている。  『シティポップラジオへようこそ!ストリーミングシティポップクラシック24/7! 80年代のシティポップのベストレコードを30時間以上聞いて、日本の街を無限にドライブしてください。あなた自身のものではない記憶の霧を経て時間を遡り、歴史の特定の場所で凍ったメロディー』

 ここで提示されるのは、再び「虚構の都市」のイメージだ。実際の東京の街並みであるが、聞き手にとってそれがどこなのかは分からない。東京らしいことが重要であり、ランドマーク的なスポットを映し出してはいない。一方、ほかに挙がっているVan Paugamの動画を見てみよう。

 46万回の視聴回数の動画「シティーポップ」は2016年にアップロードされている。これは「プラスチック・ラブ」が2017年5月にアップロードされたことを考えると、先駆けであることが分かる。この動画は山下達郎のLove Talkingから始まり、当山ひとみ、間宮妙子、八神純子、細野晴臣、角松敏生、そして竹内まりや(もちろんあの曲)、最後は松原みきの「真夜中のドア」で終わる、典型的なMIXではあるが、注意したいのは音楽ではなく映像のほうだ。日本のものと思われるアニメーションの数秒間の動作をループで繰り返している。イメージは、夜のハイウェイ、スポーツカー、ナイトクラブ、タバコなどなど。ほかの動画も見てみよう。

 ユーザーネームStarfunkelの投稿「A Mixtape From Japan」では、角松敏生から始まる、前者と同様のシティポップがミックスされている。肝心な映像は、ジブリ映画「耳をすませば」のワンシーン。夜の坂道を並んで歩くイラストだ。なるほど、世界のジブリはもっとも影響力のある存在かもしれない。ほかにも数多くのシティポップMIX動画で、日本のものと思われるアニメーションのイメージが多く使われている。本来ならば、大体の場合アーティストのジャケット画像を用いて動画をつくることが多いのだが、どうしてこのように日本のアニメーション(とりわけ夜のイメージ)を使うのだろうか。


 大きな理由としては、ヴェイパーウェーブの影響が考えられる。ヴェイパーウェーブとは、2010年ごろからはじまったWEB上の動きで、既存の音楽や画像をサンプリングして新しいものを創るというのが手法だ。サンプリング対象は消費主義真っ盛りの80年代がメイン。その中で日本のソニーなどの電化製品やそれに付随するCMなどが消費主義の象徴として取り上げられた。音楽性としてはハウスミュージック寄りである。サンプリングすることで消費主義を批判めいたリメイクに仕立てるこの動きは拡大し、サブジャンルともいえる動きを生み出した。

 その名はFuture Funkである。Future Funkを説明する前に、一つ触れておくことがある。欧米におけるシティポップの評価は「プラスチック・ラブ」以前から存在していたのだ。Youtubeにより過去が再発見される中で取り上げられた「ヨット・ロック」の再評価。05年から10年までの間に12回にわたって放送されたモキュメンタリ―(フィクションのドキュメンタリー)「ヨット・ロック」は、当時はダサかった70年代後半~80年代初頭にかけてのAOR系ロックを再評価させてしまった番組だ。(AOR系ロックの代表格はケニーロギンスやホールアンドオーツなど)この番組をきっかけに、ダサいはずだったAOR系ロックをSO COOL!と言う世代が現れる。そして、同じく80年代にAORっぽさもあった日本のシティポップの再評価も始まるのだ。きっかけは何であったにしろ、この世代がダサいといわれた時代の音を好むようになったのは事実だ。シティポップが10年代の若者の耳にすんなり入るなか、同時期に流行したVaper Waveの波と結びつくことで生まれたのが、Furure Funkだ。シティポップをサンプリングして、ファンク仕立てにし、消費主義を象徴したアニメーションをくっつけて動画を作成する。どんなものか分からない人はYoutubeチャンネルのArtzie Musicを見れば一目瞭然だ。

 先ほど提示した問い、どうしてこのように日本のアニメーション(とりわけ夜のイメージ)を使うのだろうかの答えはもう分かるだろう。Future Funkのミックスしていない版と思えばいい。

 さて、このようにYoutubeという虚構の存在によって、過去に作り上げられた虚構の都市ポップが発見され、リメイクされる、まさに虚構の虚構を生み出す現象が起きているのだ。そしてその背景には欧米のAOR系ロックの再評価があり、消費主義の批判(一周回って称賛)のヴェイパーウェーブがある。


 ここでFurure Funkを語るうえでしばし登場する表現「レトロフューチャー感」について考えたい。ネットでの口コミを探すと必ず出てくるこの表現、完璧なる矛盾。レトロでありながらフューチャーであるというというのだが、Future Funkを聞けば何となくわかるような気もするのだ。主旋律はレトロ。映像もレトロ。しかし総合的なサウンドは今以上に未来的な響き。過去と未来を逸脱している、どの空間にも属さないような。レトロ、は分かったとしよう。しかし、「未来的」とは何だろうか。

 この問題を考えるうえで引用するのが若林幹夫の『未来都市は今:都市という実験』だ。若林は未来都市イメージがポジティブな明るいものから、ネガティブで陰鬱なものに変わっていると指摘する。この点は、私の恩師である明治大学の森川嘉一郎先生に言わせると「ブレードランナー(82)がきっかけである」そうだ。ビルが乱列する中、アンダーグラウンドなスラムが広がり、汚いイメージでなぜか日本風な街並み。ここで登場する東洋のイメージは「陰鬱な未来都市」のキーワードである。

 それ以前に想像された「輝ける未来都市」というのは、ヨーロッパが発祥の合理主義に基づくもので希望・期待にあふれている。大阪万博でイメージされた「輝ける未来都市」は間違いなく西洋の影響を受けてのものだろう。しかし80年代に入って日本の経済発展に伴い、今までの希望にあふれたモダニズムは崩壊していく。アジアが舞台で、非合理性(スラム)を持ちつつ、非合理的に乱列したビルこそ、「陰鬱な未来都市」である。ここでは、「輝ける未来都市」⇔「陰鬱な未来都市」/「ヨーロッパ」⇔「アジア」という対比がなされているのだ。以上のことから、現代の未来都市イメージ「陰鬱な未来都市」には、どうしてもアジア的なイメージ(とりわけ日本)がくっついてきてしまう。FutureFunkがFutureである理由とは、映像で映し出される日本のアニメーションが影響しているのではないだろうか。よくみると、それらの動画には「陰鬱な未来都市」イメージがそこら中に転がっている。

次回予告:なぜ、今シティポップ?

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