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補論:あるいは柳の下のダーティペア

上記記事に巫まろさんご本人から「いいね」を頂き、非常に驚いている。ただし上記記事をお読みの方はご察しの通り、自分はアンジュルムヲタとして彼女を応援する一方、ZOCでの最推しは藍染カレンさんである。また、香椎かてぃさんという人に尋常ならざる興味と期待を寄せつつある。なので、ここは柳の下に二匹めのドジョウを追い求め、お二人にも私の思いが伝わることを祈りつつ、少しZOC寄りの形で前記事の補論を書かせていただくことにする(そして、こうした欲をかいた試みはおそらくは空振りに終わることは目に見えている)。

先日のインターネットサイン会の「ぞめてぃ回」を最後にZOCは活動を休止した。まず「ぞめてぃ回」では、そのままラジオ番組として流しても存分に楽しめるほどの二人の掛け合いが繰り広げられた末、「活動休止」についてのエモい告知によってサイン会が締められた後、ツイッターでは改めてこの二人による力強いメッセージが発せられた。この二人が今回の騒動で全く評判を落とすことなく過ごした数少ないメンバーであり、ファンの間での相対的に評価が上がっていたことを考えると、今回の活動休止の「殿軍」の役割を果たすことになったのは、消去法的に考えて当然だったと言えるだろう。だが、この二人がおそろしく鮮やかにそして力強くその任務を遂行することで、ZOCは一連の騒動を払拭するほどの爽やかな残像をファンの網膜に焼き付けながら活動休止に入ることに成功した印象がある。

ちなみに元々は巫さん経由の「通りすがりの者」の目からすると、戦慄かなのの卒業自体も、あまり後ろ向きな話のようには感じられない。戦慄という人を色々調べてみた結果、具体的な裏事情が何であれ、遅かれ早かれ彼女はZOCと袂を分かっていた人のように思えた。そもそも彼女は大森靖子にZOCとして拾い上げられる前から、高度なサヴァイヴァル能力を発揮してこの乱世を遊泳していた女性である。そして彼女の中に培われた内的表現世界というのも、彼女が自己プロデュースする姉妹ユニットfemme fataleのMVを観る限り、大森のそれとは全く異なるものであるように思われる(ちなみに、私の目には社会的メッセージ性を常に含意する大森に対し、戦慄の表現世界はより「純文学的」なものに見える)。つまり、弱冠二十歳過ぎにして既に強固な表現者としての個性を備えた戦慄が、全く異なる強烈な個性を持った大森といずれは衝突することは自然の理のようなものだったように思えるのである。

同じことは「生ハムと焼うどん」をセルフプロデュースしていた西井万理那にも言える。ちなみに彼女は社会派でも純文学的でもなく、無邪気かつ強かな快楽主義者であり、生粋のエンターティナーであるように自分には思える。大森は彼女のエンタメ性を高く評価し、その表現世界のフレーバーとして用いようとしていたのだろう。西井は戦慄のように強烈な表現世界を持たない分、一見大森との軋轢は生じにくいのだろうが、一方でZOCというプロジェクトの持つ社会性を彼女が理解し、共感していたのかというと、いささか疑問であり、もしそうだったとしたら、あのような軽率な行動は起こさなかったと思うのだ。何しろZOCのメイン支持層は、かなり「重い」恋愛体質であったり、「陽キャ」的奔放さに対するコンプレックスがあったり、あるいは崩壊家庭を連想させるなどの理由から、「不倫」という醜聞に対して強い拒否感を持ちやすいように感じる(実際、戦慄の薬物疑惑より西井の不倫疑惑の方が、ファンの拒否感は強いように見えた)。ただ、これに関しても彼女の「社会常識」の欠如を責めても仕方がない。そもそもそうした表層的な「社会常識」を疑うロックンロール精神こそがZOCというプロジェクトの肝であるはずだ。西井もまた戦慄と同じく強烈な個性を発揮しながら、ZOC以前から乱世を遊泳していた群雄の一人だと考えれば、今回のトラブルに関しても「混ぜるな危険」案件として処理した方が良いように感じている。

一方、藍染カレンと香椎かてぃは、戦慄や西井のようにZOC以前から頭角を表していた群雄ではない。大森によって拾い上げられなければ、今なお九州や三浦半島の路傍の石として生きていた可能性の高いメンバーである。その意味では前記二人よりもはるかに大森の「子飼い」感が強い。また、戦慄や西井と比べると同世代の思春期の生存競争の中で「周縁」に追いやられた、「弱者」のイメージも強い。しかし、だからこそ「周縁」で同世代の同調圧力に染まることなく、まさに大森の言うところの「孤独」を磨き続けることで、己のユニークな個性を守り続けられたのではないかという気もしている。

また、藍染はZOCの中で最も古い大森ファンであり、その文化系女子としての知性においても、大森の思想的一番弟子という印象がある。一方香椎は「恩人」に対する猟犬のような忠実さもさることながら、知性というよりは感性のレベルで大森の思想をよく理解しているように見受けられる。そして何よりも重要なのは、ぞめてぃ二人が思春期の同じ教室でポツンと独りで座っていたとしても、両者が言葉を交わすことはなかったのではないか、ということだ。そこでは両者の「孤独」は「孤立」したままである。ぞめてぃの二人がじゃれあっていることは、それだけでZOCの理念に沿った大きな社会的メッセージになる。「ぞめてぃ」とは、マイルドヤンキー室田瑞希とお嬢さま相川茉穂、あるいはスクールカースト高めの勝田里奈と低めの笠原桃奈、といったカップリングにおいて、アンジュルムヲタクが何度も目撃してきた「Big Love」の、最も極端な形なのである。

以上の理由から、私には遅かれ早かれ「ぞめてぃ」がZOCの両輪として機能し始めるのは自然の成り行きのように感じた。一見「毒親」「少年院」などの分かりやすいワードとともに、ZOCの中心に君臨しているように見えた戦慄ではなく、「ぞめてぃ」こそがこのチームのデュアルコアのように見えたのである。それは決して表現者あるいはパフォーマーとしての戦慄を貶めるという意図ではなく、どれだけ強烈なフォワードを複数枚並べてもチームとしては機能しにくい、というサッカーの戦術論の話に似ている。だからまさに巫まろが忠告したように、公式の発表をうっすらと疑いながらも大騒ぎはせず、チームのフォーメーションシフトをスムーズに済ませればよかったのに、ということは、「通りすがりの者」としては強く思うものである。

しかし、「活動休止」というのも考えようによっては前向きに捉えることは十分に可能である。何しろこのコロナ禍の状況下で、大方のアイドルグループは実質ZOCと同じような「SNS更新アリの活動休止」状況にある。その中でZOCの強みと言えば、「共犯者」大森靖子の持つ豊富な人脈であろう。とりわけ「ぞめてぃ」二人というのは、ステージ以外の部分で仕事を広げやすいように思える。藍染は文化系の知性に溢れた女性であり、たとえば文筆業やトーク業などでも十分に活躍できる才能の持ち主のように感じる。一方の香椎はポップアイコンとしての底知れぬポテンシャルを感じさせる存在であり、よきプロデューサーに出会えればモデルや女優業などでもたちまち頭角を表す気がする。

ぞめてぃが個別に活動分野を広げることには、いくつかの意味がある。一つは大森の「子離れ」ということである。和田彩花が「私が卒業してアンジュルムは本当にアンジュルムになる」と自戒したように、強烈な個性によって統率された個性派集団は、統率者の個性によって各々の個性が潰されてしまうというリスクを孕んでいるところがある。特に大森は和田とは異なり、ZOCの作詞作曲を全て担当する存在である。だが、逆に言えば音楽活動の活動休止期間こそメンバーを放牧し、メンバーの成長と変化を馬なりに見守る絶好のチャンスなのではないだろうか。思えばアンジュルムが本格的な「個性派集団」と化したのも、つんく♂が統括プロデューサーを離れ、メンバーに高度な自律性が与えられた後であった。そして、メンバーの成長と変化が、大森の創作に反映され、大森の表現の幅がまた広がっていくという好循環が回り始めれば最高である。ZOCが活動再開したとして、いつまでも「辛かった生育環境」の話をし続けるのも芸がない。今回の蹉跌を踏まえ、彼女たちが「次」に何を見つけてくるかは彼女たち自身に委ね、彼女たち自身が見つけてきた獲物を材料にして次の料理を仕込んでいければ、とても健全な形のように思うのだ。

そしてもう一つが、西井万理那がこのグループに残るのかに関わる話である。西井とファンの関係性というのは非常にシビアなものになってしまっているし、また、よりによって西井はグループとファンの間の、あるいはメンバー間での、コミュニケーションの潤滑油としての役割を果たしてきたメンバーである(だからこそ戦慄とは異なり、今回のトラブルさえ起こさなければチームのフォーメーションの中で機能し得たメンバーだと思う)。錆を落とす潤滑油自体が錆になってしまうというのは、何ともシビアな話である。たが一方で、たった一度の失敗で日陰者に追いやられるような社会のあり方というのも、ZOCの理念に反するものである。正直、この問題に関しては私には判断がつかない。だが、もし西井がグループに残るとすれば、既存のファン層の一定数はZOCを離脱する可能性が高いことだけは確実である。その穴を埋めるためには、ZOCのファン層を予め拡大しておく必要があるように感じる。その点、幸いにしてぞめてぃの二人は、「引きこもり」「DV」といった物語性抜きで、純粋に現時点での才覚とキャラクター性で勝負することで、今までのファン層とは全く異なる層に刺さる個性を持っているように思えるのである。

また、仮に西井がグループを離脱するとしても、ZOCに染み付いた悪いイメージを乗り越えるためには、既存ファン層に「信頼回復」を訴えるよりは、ファン層そのものをある程度入れ替えてしまう方が実は効果的である。ハロで言えばこぶしファクトリーは前者の方法で失敗し、アンジュルムは後者の方法で成功した。無論そのことは、ZOCが本来寄り添うべき層を見放してしまうことにも繋がる。だが、先の記事でも述べた通り、完全な衆生済度は不可能である。そして「A INNOCENCE」の歌詞のように、「気づかない馬鹿な世界をちょっと変えたい」というのであれば、「馬鹿な世界」の方に気づいてもらう仕掛けというのも必要なのではないか。

少なくとも私は、巫氏がZOC入りしなければ、藍染カレンのように魅力的な女性が世界に存在することを知らなかったし、香椎かてぃという異形の神人が頭角を表し始めていることに全く気づかなかった。間抜けな私が彼女たちに気づいたことで、ほんの少しだけ世界は変わった。この調子で、どんどん変えていっていただきたい。「ぞめてぃ」こそは世界を変える最強のタッグである。ZOCの活動休止期間こそ、彼女たちには全宇宙規模での暗躍を期待したい。ちなみに彼女たちの正式なコードネームは「ラブリーエンゼル」だったはずだ。もっとも、この画像の有様では「ダーティペア」と呼ぶのが相応しいのだろうが。

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なので、こちらの記事では、ZOCについてこの十日ばかりヲチして思ったことを少し追記させていただきます。まずこのグループ、基本ぞめてぃの「デュアルコア」だと思うんですよ。戦慄かなのさんの影響力は大きかったとは思いますが、私はどうもあの人は実際に問題を起こしていようがいまいが、ZOCとは袂を分かつ存在だったんじゃないかと思うのです。まず第一に、基本が「自営業者気質」というか、誰かと組んで何かをやるにしても、彼女が中心になった方が上手くいくタイプ。大森靖子さんという大ボスのもとでは窮屈なのではないか。そして第二に、文化的なプロトコルみたいなものが彼女だけ違う。はっきり言えば、大森さんのやろうとしていることは少し古い。私は古い人間なので古い方がありがたいのですが、戦慄さんは本当にアップトゥーデートな人だと思います。
















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