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8/28 「言及したら負け」なネタとしての「New Jeansおじさん」とどう向き合うか?

ということで短文キャンペーン二日目。昨日の記事の続き。

「New Jeansおじさん」というのは、とにかくどの角度からであれ「言及したら負け」なネタである。

まず「自分は特に関心がないが」という前置き付きで何かを言っても、「本当は興味あるくせに興味ないって言ってるだけなんじゃないの?」と痛くもない腹を探られてしまう。ちなみに自分は本当にNew Jeansには興味がない。だが、「ないことを証明する」というのはご存知「悪魔の証明」だ。

一方で、「我々おっさんはNew Jeansおじさんにならないように気をつけなければならない」的なことをしたり顔で言うのも気に食わない。それはひどく姑息な保身術の一環でしかないし、そもそも弱い者いじめを自分は好まない。ネット上で叩かれやすい人というのは、基本的にいじめられっ子の素質があり、逆に言えば叩く輩は叩く対象に「いじめられっ子のエキス」があることを本能的に見定めてから叩いているのである。

また一方で、「New Jeansおじさん」の側にも当然問題はあり、その言動に擁護の余地はない。ちなみにここでいう「問題」というのは、「New Jeansおじさん」が本質的にいじめられっ子だということと関係している。無論ここで「いじめられる側にも問題がある」的なことを言うつもりはない。以前も論じたと思うが因果関係は逆で、いじめられっ子はいじめられることで問題を抱えるのだ。

おそらく若い頃の「New Jeansおじさん」には、「月並みな」文化しか触れていない同級生にいじめられた経験がある。それは「New Jeansおじさん」が「月並みでない」文化に触れていたからか、それとも別の理由かはさだかではない。だがいずれにせよ「New Jeansおじさん」はそのことを恨みに「月並みでない」「高尚な」文化を究め、「月並みな」文化にしか触れていない人を馬鹿にするようになる。

だが、ここには大きな論理の飛躍がある。そのいじめっ子が何故悪いのかと言えば、「月並みな」文化にしか触れていないからではない。単に「New Jeansおじさん」をいじめたことが悪いのだ。

ところが「New Jeansおじさん」は、彼のことをいじめてはいないが「月並みな」文化にしか触れていない人よりも自分の方が「高尚」だと思い込み、そういう人を馬鹿にし始める。とんでもないとばっちりだが、いじめられっ子の方も実は相手をちゃんと選んでいる。放っておけば自分のことをいじめたりはしないような人をターゲットにするのである。

「New Jeansおじさん」の認知がここまで歪んでしまった最大の責任は、彼を最初にいじめた同級生にある。だが、だからと言って現にそのとばっちりを食らっている側としては、今どこにいるかも分からない同級生を呼び出して何とかしてくれと言うわけにもいかない。とりあえずは目の前の「New Jeansおじさん」に対して、「迷惑だからやめてくれ」と言うしかないだろう。

ところがこういうケースの収拾は非常に難しい。「New Jeansおじさん」の「明らかな非」と「情状酌量の余地」をきっちり切り分ける前に、血の臭いを嗅ぎ分けたピラニアがわらわらと寄ってくるからだ。こうしたピラニアどもは、当事者では無いにも関わらず当該「New Jeansおじさん」を声をきわめて糾弾するか(自他境界が曖昧ですぐに自己投影するタイプ)、はたまた「自分はNew Jeansおじさん=いじめられっ子ではないぞ!」と声高に連呼するキョロ充ムーブに邁進する。どんな映画を観てどんな音楽を聴いていても構わないが、この手の下等動物に身を落としたとすればまあ、ホモ・サピエンス(知的生物)としては(あるいはホモ・ルーデンス(遊び心のある生物)としても)完全な「負け」であろう。

まあ、ことほど左様に「言及したら負け」というネタは昨今とても多い。自分もX(旧・Twitter)で呟かなくなるわけだ。擁護しても負け、叩いても負け。結局「沈黙は金」ということになるのかもしれないが、かと言って何も言わないで黙っているのにも腹ふくるる思いがある。何とか良い切り口が見つからないものか、と考えあぐねていた中で、先日「IVE」という補助線が天から降ってきた次第だ。これをアリアドネの糸として、その先に見えてくるものをしばらく徒然と綴っていく所存である。

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