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8/27 IVEおじさんの東シナ海

「New Jeansおじさん」という言葉が知らないうちにミーム化しつつある。自分は最近Twitterをほとんど見ずに奥の院に潜んでいるので、親しくしている人たちが持ち込んでくる話題が全てというところがあって、それはそれで情報が厳選されるのでよいのだが、そうした人たちのうちの一人(New Jeansファン)が、とにかく自分にそのグループを一度観てほしいというもので、とりあえずMVだけ観てみることにした。

が、特に自分にとって心踊るところはなかった。「文化的洗練度が高い」ということは"括弧付きで"分かるのだが、何だろう、最近の「文化的洗練度」というのも「とりあえずバジルをかければイタリアン」みたいな手軽さが見え透いてきてしまって、自分の中でかなりどーでもいいものになりつつある。あと、今時のガールズグループなので当然皆ルックスは良い。が、困ったことに自分は元々「女性のルックス」というものに特段の好みがない上に、ここ数年ハロヲタをやってるせいで「ルックスのよい女子」に対して変な免疫が出来てしまっている(「アイドルにハマりやすいおっさんは今までアイドルにハマったことがないおっさん」という鉄則が存在するような気はしている。要はおっさんは普通に生きているとあまり可愛くて若い女子というものに出くわさないため、免疫が全く出来ておらず、一種のインプリンティングが起きるのではないかと思う)。

ともあれ、単に「Not for me」で片付けるのはつまらないと思い、一年ほど前にまた別のヲタク仲間に勧められたIVEの動画を観直してみることにした。こちらは「確かに面白い」と思ったからである。これと比較することで、何が「Not for me」なのかの理由を逆算できるのではないか、と考えた次第である。

で、結論であるが、やはりIVEはよい。というか、より厳密にいえばNew Jeansより「For me」なグループである。

何度か書いていると思うが、自分はそこそこグローバリストとして自己形成した割にグローバリゼーションがあまり好きではない。かと言ってナショナリストでもない(まあグローバリストとナショナリストは究極的にはどちらも頭が空っぽなので、本邦のように両者が悪魔合体したバカが本人の自己矛盾意識なしに量産されうる)。では、何が好きかというと「歴史的地域」である。「旧ハプスブルク地域」とか「東地中海世界」と言ったものに弱い。で、おそらくこの枠組みが一番、グローバリストとナショナリストの弊害を同時に脱臼しうるのだろうとも考えている。

そして我々にとっての「歴史的地域」というのは明らかに「東シナ海世界」なのだと思う。

「東シナ海世界」の最大の特徴といえば「トンチキ」である。横浜の中華街とか台湾にある道教系の寺院に行くとそのあまりにカラフルなトンチキぶりに頭がラリってくる。首里城なんかもそのノリで、琉装というのは和装に比べてだいぶトンチキが強い。極めつけは大阪だ。地中海と瀬戸内の地形的類似性というのはよく指摘されるが、大阪は言ってみれば東シナ海の東のどん詰まりたる「レヴァント」なのである。ここには東シナ海中のトンチキが流れついて強烈に濃縮される。そうした異教的ノリを「ハロプロ」というコテコテの祭祀に仕立て上げたのがフェニキアの錬金術師つんく♂だ。「アジアン・セレブレイション」は東シナ海世界の煮こごりみたいな楽曲だと自分は思っている。

ちなみに朝鮮半島というのは大陸アジア世界と東シナ海世界の境界地域なので、どちらの文化にも転びうるのだが、IVEはどういうわけが「東シナ海寄り」の香りを感じるのだ。自分はまだ事情はよく分からないので今後少し深掘りをする必要があるだろうが、一つにはこのグループのメンバーであるリズが、済州島の出身であるというのは大きいように思う。彼女はとても東シナ海世界的な人だ。とても健康的で生体エネルギーに満ち、朴訥とした気質と相まって豊かな表情を作り上げている。硬質な形式性の強い(それゆえにグローバリゼーションと相性のよい)大陸アジア世界ではあまり見かけない美質である。そして何よりも、歌が海の渡る風のようにのびやかである。

また同じヲタ仲間が、「日本人以外の東アジア人は西洋名を名乗ることに抵抗がないのは何故か?」という話をしていた。まず考えられるのは、東端の島国である日本列島の歴代政権は、中華帝国の冊封体制の中でほぼ自律的な存在として振る舞うことで出来たというのは大きいだろう。他のアジア諸国はヴァナキュラーなそれとは別に「漢語文化圏用の顔」を用意しなければならなかった(たとえば琉球史に登場する人名は漢名ばかりである)。東シナ海圏の人間になればその傾向はさらに顕著になる。平戸で生まれた鄭成功の幼名は田川福松だった。海を寝床とする人々にとっては、浦々でとりあえず名乗る名前については全く躊躇がない。IVEで唯一「リズ」という西洋名を名乗っているのが済州島出身者だというのは、納得のいく話である。

と、そんなことを考えているうちに、たとえばK-popというような主題に関しておっさんが語るべきはこういう話なのではないか、ということを思った。いい年をして「最新性愛者(「自分は○○には早くから注目していました」的な物言いを好むこと)」を続けていても疲れるだけである。だからフェスでぶっ倒れて救護室に運び込まれることになるのだ。鵜の目鷹の目で前を見るのは若い人に任せた方が良い。おっさんが得意なのは足元や後ろを見ることである。つまりグローバルとか未来とかはどうでもよく、亜細亜とか歴史とかを語るべきである。何故New Jeansが「Not for me」なのかというと、自分が語るべき主題をあまり感じなかったからなのだろう。

おっさんが何かを語るからには、おっさんがちゃんとリスペクトされる文脈をおさえるべきなのだ。すなわち東シナ海世界の基調たる道教文化には、「老師」という伝統が厳然と存在するのである。

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