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BUCK-TICK妄想深読み「ワルキューレの騎行」

ワルキューレの騎行」について

『ワルキューレの騎行』(作詞:櫻井敦司、作曲:今井寿)
2023.4.12リリースされたアルバム「異空-IZORA-」の3曲目に収録。

北欧神話の女神、旧約聖書のアダムとイブ、ニーチェの格言など様々なモチーフが登場するこの作品は、タイトルと無関係な意外な歌詞で幕を開ける。

気分爽快かい?  誹謗中傷がグロいわ
吐き気 荒唐無稽 連れて行ってあげる

ワルキューレの騎行(作詞:櫻井敦司・作曲:今井寿)

歌詞の”誹謗中傷”とは、昨今ネット上で繰り広げられている無記名での他者への攻撃のこと。これに対する気持ち悪さは、前作「ABRACADABRA」収録の「Villain」でも触れられている。

櫻井敦司が語る「ワルキューレの騎行」

「なんでこうなったのか。もう鬱憤晴らしですね。」
「もう自分も含めて、どいつもこいつもふざけんなっていう感じです。乱暴で凶暴な主人公でございます。」

「「ROCK AND READ 106」より抜粋

善人とは。罪人とは、という感じ。
日々何気なく過ごして、すれ違う人がもしとんでもない罪人だったら、とか。ニコニコしてる人がとんでもない心の中が病んでるとか。
人間とは生まれたこと自体が原罪という教えもありますけど・・・。
Angryです。怒ってます。

Youtube公式チャンネル期間限定公開
「35th Anniversary Special Interview」より抜粋
 

・・・からの妄想

インタビューであっちゃんが口にした「ふざけんな」。
それは例えば、昨今のネット上における誹謗中傷への。戦争を引き起こす為政者への。それに対して何もできない自分への。
あっちゃんの悔しさ、もどかしさ、そして行き場のない怒りが滲む一言だ。

インタビューで怒りについて語る時、あっちゃんは微笑み(表情)や笑い(口調)でオブラートに包むように自らの怒りを言葉にする。
その姿は、作品以外の場所で怒りを怒りのまま叩きつけることを、自分が発した怒りが他者を傷つけることを恐れているようにも見える。その姿を見ると、怒りの矛先を自分に向けて自分を傷つけていた昔のあっちゃんを思い出して、少しだけ切なくなる。
それでも今、優しすぎるほどに優しいこの人が怒り(それは同時に悲しみでもある)を吐き出す場所があってよかった。笑いでコーティングしながらでも、自らの怒りを言葉にすることができて本当によかった、と思うのである。

あっちゃんは、作品の中で人が心に抱える深い闇(病み)や不条理も、それらに対する個人的な怒りや悲しみも、ただそこに”在るもの”として扱いながら歌声で昇華する。ある曲では突き放すように、叩きつけるように。ある曲では、抱きしめてそっと手放すように。
歌の世界を全身で表現するその姿を見る時、私は自分が抱えてきた怒りや悲しみが一緒に昇華される気がする。そして、どんなに怒りを歌っていようとも、この人の歌声は祈りなのだ。と思う。


歌詞を深読み

たった孤独   ひとりぼっち ああ So Lonely Play
もっと深く   深淵を覗いて 頂戴

ワルキューレ  夜が明ける  嘘で構わない
ワルキューレ  愛してくれ  最後 最後に

ワルキューレ  朝が 狂う  奴は 原罪
ワルキューレ  殺してくれ  最後 最後に

きっかけは   くちづけ   Adam&Eve
ずっと深く   深遠は    おまえを覗いている


ワルキューレの騎行(作詞:櫻井敦司・作曲:今井寿)

アダムとイブの子孫である私たちは、生まれながらにして原罪を背負っている。罪深い私たちは、時に加害者になり、被害者になり、罪を重ねながら生きている。孤独の中で己の闇を覗き込み、他者の闇も目の当たりにしながら、善人と怪物の間を行き来する。

そんな孤独な一人遊びの中で(そう、人生におけるすべては壮大な一人遊びだ!)暗い暗い夜が明ける瞬間、嘘でもいいから愛してくれ、と願う。
眩しい朝の光に自らの闇が晒されるのなら、殺してくれ、と願う。
愛を渇望すると同時に、人間の狡さや醜さを厭い、不条理に怒り、絶望して死を願うという矛盾を抱えたまま、私たちは生きていく。ワルキューレが迎えにくるその日まで。


単語帳

・ワルキューレ

 北欧神話に登場する半神半人の女戦士、またはその集団。
 戦場で兵士の生死を定め、死者の魂をヴァルハラ(※)へ連れていく。
 (※)⇒北欧神話の主神オーディンの宮殿。
  ワルキューレに選別された死者の魂が集められる。

・深淵はお前を覗いている

ドイツの哲学者・ニーチェの「善悪の彼岸」に登場する言葉。
『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。
おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。』

最後に

誰もが善人で罪人

誰だって闇を抱えているし、悪いことを考えることもある。
どんな善人にもふいに魔が差して悪事を働く可能性はある。
そして誰もが、繰り返す日々の中で罪を犯している。
たとえば、他の生き物を殺し、自然を壊し、嘘をつき、人を傷つけ・・・数え上げればきりがない。
けれど同時に、人を愛し、助け、大切にしてもいる。
愛と死、善と悪。人間とは、なんとたくさんの矛盾を抱いて生きている愚かな(愛すべき)生き物なのだろう。


愛と死

「愛と死」はBUCK-TICKの世界観のおける重要なテーマのひとつ。
私は、あっちゃんの言う「愛してくれ」と「殺してくれ」は同じ意味だと思っている。一枚の紙の表と裏のように。ひとつの円に内包される陰と陽のように。櫻井敦司が描く世界の中で、それらはいつもふたつでひとつだ。(過去と現在ではこの2つの使われ方が変化しているのだけれど、それについてはまた。)

孤独と深淵

孤独と深淵を覗くという行為は、切っても切れない関係にある。
一般的に孤独は寂しくネガティブなものとされるけれど、一概にそうとは言えない。孤独だからこそ、その静けさの中でさらなる深淵を覗き込むことができる(他人と賑やかに己の深淵を覗きたい人はあまりいないはず)。

孤独だから見えるものがある。ひとり静かに過ごしたいときもある。
闇が深いほど光は強くなり、深い孤独の中で気がつくこともある。
眩しすぎる光に疲れたら、温かい闇に包まれて休めばいい。
闇や孤独を必要以上に忌み嫌うことはない。

「孤独も闇も、そんなに悪いものじゃない。」
そう言い続けるあっちゃんは、これからも人の闇を、孤独を唄い続けていくだろう。そして私は、彼が表現する孤独と闇の美しさをこれからも見つめ続けていきたいと思うのだ。



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