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人生を謳歌する

この坂爪圭吾さんのノートを読んで、「謳歌する」という言葉が眩しく感じた。

湧き上がるエネルギーとともに生きていた時というのは、まさに謳歌していた時だったと言えるのだろう。

たしかにそうしてきたとも言えるのだけれど、ここに来てちょっとしけってしまっているのを感じていて、どうしたものかと戸惑っていた時に、この記事を読んで、はっとしたということ。

記事の中に出てくるC様の言葉はたしかに冷たいし、そこには麻痺の匂いがする。自分が操縦席に座ることなく、操縦桿を握らないでいると、人は麻痺していくのかも知れない。

人生を謳歌するには、リスクの中に自ら飛び込んでいくしかない。

思い返せば、インドに行くと決めた時、バリに行くと決めた時、アメリカに行くと決めた時、田んぼをやると決めた時、いずれの時も僕はワクワクしていた。

リスクはたしかに大きかったし、あてもなかったし、どうなるかはわからなかったけれど、それを始めるしかないと決めて、そこに飛び込んだ結果、得難い経験を得たと言える。

それは魂震えるような経験であったから、それはそれでよくやってきたと思うし、まさに謳歌したと言える。

ところが今はどうなのかと、ふと思うんだよね。それなりにやりたいことをやってるし、たぶんその方向に向けて準備してきてるんだけどね。

そんな時に響いたのが、この言葉ということなのかも知れない。

C様よ、お前に足りていないのは人生を謳歌する姿勢だ。謳歌とは、正しいとか正しくないとかそんな狭苦しい範囲の話ではない。この瞬間の酒が最高に美味いんだよとか、思わず「最高だ」とか「たまらねえなあ」という言葉が漏れ出すような瞬間を獲りに行くことだ。健康は正しい。健康は大事だ。しかし、健康よりも健康な体で何をするかの方が五億倍大事だ。健康は目的じゃない。人生を謳歌するための手段だ。人生を謳歌する心が抜け落ちているから虚無っているのだ。酒は体に悪い。だが、悪いからと言って避けるのではなく、悪いとしても取り入れる。女は虎だ。思い出せ。虎を。狩りに行け。野生を取り戻すのだ。男を狩れ。金を狩れ。快楽を狩れ。この世の中は、行動するアホが一番人生を謳歌する。御託はいいから死ぬ前に生きろ。たくさん痛い目に遭って逞しく成長しろ。血を流しながら笑え。理解されるよりも高潔な孤独を生きろ。自分の運命を受け入れて自分の運命を愛せ。客席ではなく、操縦席に座れ。お前のその可愛さや魅力を持て余したまま生きることは命に対する冒涜だ。舵を取れ。錆びついた舵を自分の腕で回す時、人生は再び動き出すだろう。

とやかく言うこともないんだろうね。客席ではなく、操縦席に座ると選ぶことであり、ふたたび外に出ていけということなんだろう。

C様が占いを受けようと思って東京に来たというのも、おもしろいシンクロだと思う。

占いはただの道具であってそれだけでは人は変わらないけれど、読み手次第でなんとでもなるということだと思う。道具を使うのは人なのだからね。

操縦桿を握って、実際に動き始めたらそんなことは当たり前すぎて笑ってしまうことなのかも知れないね。

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