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「法の書」を読んだら、やはり鳥肌!

アレスター・クロウリーの「法の書」。

昨日あたりから、読み始めたわけですが、最初の方については、わかりにくかったですし、時々ピンとくるところはあれど、いまいちと感じる所も多かったのですが、そのあとに書かれてあった『法の書「解題」』のあたりから、とても感性が近い人であることがわかり、鳥肌が立ちました。鳥肌立つくらい、リンクするところが多いと感じたということです。

明らかにこの人はわかっているということがわかったという感じです。特に、「法」「愛」「生」「自由」「光」について語っているところです。

身体的な感受性、敏感さという点でも、きっと近いのだと思います。身体の気持ちよさ、身体が恍惚となるというような表現は、気を回しているときや、踊っているときに、僕自身しょっちゅう感じてきたものですし。

その恍惚感を超えて、さらにその先に見えてくる世界を語っていると言う点で、同じような感性を持った人であるということを強く思いました。

やはり、昨日のテーマであった、トートタロットの「欲望」というカードは大きな大きなポイントであり、転換点であり、そこをどう通り抜けるかによって、方向性が決まるということのようにも思います。

ライダー版がそこに欲望ではなく、ストレングスをおき、しかも8と11を入れ替えたという所に、まったく方向性が違うということが、現われていると思います。

「汝の意志するところを行なえ。これこそ「法」のすべてとならん。」「愛こそ法なり。意志下の愛こそが。」

どうやら、この言葉が、代名詞のように使われている言葉のようですが、本当にそうだと僕も思います。

クロウリーも人間ですから、未熟なところもあったのだろうと思います。しかしそれでもいちばん根っこにある考え方、思想というところで、とても近いと思います。

そして、その根っこの所に、彼の経験がベースとしてあったんだろうということも思います。

トートタロットのカードを使って、パスワークをしていると、聖霊とおぼしき存在に出会いますが、彼らは下手すると節分で豆をぶつけられる鬼に近いです。

鬼の正体を知っている人は、「鬼も内」と言いながら、鬼も招き入れますが、知らない人にとっては鬼は忌避すべきモノな訳ですね。豆をぶつけて追い払おうとします。

それもまた呪術的行為なわけですが、豆を蒔いている人たちが、鬼の本当の正体を知ったとしたならば、本当に驚くと思います。そして、豆を蒔くということをずっとしてきたことについて、悔いるでしょう。

鬼は聖霊ですね。元々の土着の神であったのが鬼です。そして、この宇宙の進むべき方向を示してくれているのも、いわゆる鬼と呼ばれる立場に追いやられた者たちだと僕は感じています。

そこに、この世界の秘密があるということだと思うのですが、そのあたりの世界観をちゃんと伝えようとしていたのが、グノーシスですね。

ですから、歴史的にはグノーシスは異端として、追いやられてきましたし、それは日本で鬼が忌避されてきたのと、同じような理由があるのだということだと思います。


だから、まったく世界観が反対なんですよね。

トートタロットはそのグノーシスの方向から、世界を導こうとしている存在だと思います。今日、法の書を読みながら、クロウリーという人の考えていることが、伝わってきて、そこに感動したという事です。

そして、おそらくだけど、彼は周天功についての感覚を持っていたはずです。

ヨガの経験もあるようですし、体内に気を巡らすときに起こる、恍惚感ということも書いてますし、そういうエネルギー体としての自分を知っていたということだと思います。そして、その先に聖霊とのコンタクトできる領域があるんですよね。

そのための魔術というようなスタンスだったんだろうと思います。魔術師ということで、いろんなラベルを貼られていると思いますが、錬金術師でありますし、そういう意味では舞踏家と言ってもいいでしょう。

舞踏の世界は、まじで錬金術ですからね。仙道もそうです。そしてそれはエネルギーをどうコントロールし、腹に収め、またそれを上にあげたり、下に降ろしたり、どこに持っていくかによって、生成されてくるものが変るわけです。

踊りだと、ハートのチャクラにそれをあげることで、動きが起こります。さらにそれを上にあげると、頭頂からエネルギーを噴き出しますから、場の空気を完全に変えるような、すごいパフォーマンスということが起こります。

どう使うか、どこに向けるか、それが仙道であり、錬金術であり、魔術ということの意味なんだと思うのです。それをクロウリーもやってたんだろうなと、僕自身の経験からおそらくそうだろうと思いました。

その領域に意識が届くと、当然のように、聖霊とのコンタクトは始まります。そして、いろんな面で速い道のりと言いますか、プロセスが早まるのです。

トートタロットはそのための道具として、とても優れているのではないかなと、僕は思います。


思いがけず、僕の中でつながりができてきてしまいました。そして、それによって自分が何をしてきたのか、自分がどういう人間なのか、どこに僕の特性があるのか、、、そういうことがわかってきた感じがします。

この法の書に書かれているいくつかの方法論的な事も、ざっと見た感じ、何をしようとしているのか、わかる感じがするんですよね。まじで同じ人種だったのかも知れないと思うところがあります。

ただ、時代も違いますし、今の自分なりに何ができるのか、何をしたいのか、それはそれで考えたいと思います。

しかし、とりあえず、トートタロットのカードを使ったセッション、星読み、身体を使う瞑想、踊りだとか、舞踏だとかですね。それにヌーソロジー的な宇宙観。

そういうのは全部つながっているので、そのあたりをなんとかカタチにして提供していけるようにしたいと思います。まぁ、カードを使ったセッションというのが、入り口としてはいいのかも知れません。

というわけで、ここで今日の3枚をひいてみました。

1.未来 Ⅷ Adjustment 調整
2.現在 ディスク10 Wealth 富
3.過去 ⅩⅨ The Sun 太陽

未来の位置には調整です。バランスを取るということ。極端にどっちかに向かって走りすぎるということではなく、バランスを見ながら進むということかなと思います。

クロウリーは時代的なこともあったかも知れませんが、やり過ぎなところがあったようにも思います。そういう意味でも天秤座が出てきてくれてるのかと思います。

現在はディスクの10。生命の樹です。全てが出揃って完成しましたということですから、準備はできてきたんじゃないの?って感じでしょうか。

そして、過去には大アルカナの太陽。このカードのメッセージは、やりたいようにやりなさいということですね。いや、過去だから、やってきたね、ですかね。

なんだかんだ言って、かなりやりたいようにはやってきたので、そのおかげで今があるといえるのでしょう。

クロウリーのやってきたことに対して、それわかるなんていう人はやはりそんなにたくさんはいないと思いますしね。

鬼が笑うと言いますが、これを書いていたら、愚者が笑ってこっちを見ているような気がしました。たぶん、そうなんでしょう。

まだ、トートの書と法の書と2冊を齧っただけですが、とてもとてもフィットしたと感じています。この流れで、探求を続けようと思います。

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