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カンナガラの道

関西ヌーソロジー研究会の川瀬統心さんが、スピリチュアルについて、とてもわかりやすい分析をされていたので、紹介します。

まるで、スピリチュアルの歴史を辿るようですね。僕自身、ここで出てくるほとんど全てのものに興味を持った時期があり、少なからず首を突っ込んできたという自負があるもので、なつかしく、そしてとても冷や汗かきながら、一緒に振り返らせていただきました。

とても良い整理になりましたし、今の自分の立ち位置を確認する作業にもなったと思います。

統心さん自身がYouTubeで語っておられるので、もうこれを見ていただければいいのかなと思います。ぜひぜひご覧ください。


これは、動画の中で紹介されていた図をキャプチャしたものですが、これはほんとすばらしい仕事だと思います。

これだけの視点を提供できるのって、統心さん自身が長い長い葛藤苦闘を超えて来られたからこそ、到達された明晰さがあるからだと思います。

細かく見てみると、デジタルネイチャーはスピリチュアル0.0にカテゴライズされてますね。いわゆる唯物論の世界がここということです。

教祖の元に集まる系のものは、だいたいにおいて依存が生じるので、スピ1.0ですね。

そして、僕のやっていたスリーインワンなど、キネシオロジー系のものはスピ1.0から2.0あたりと言えるのかもしれません。

少し前に流行ったいわゆる子宮系とか、引き寄せ系とかも、やはりスピ2.0と言えるでしょうか。

この図を合わせてみると、それぞれのデメリットなところが書かれていますが、スピ2.0の傲慢性、他者支配というようなところは、いわゆる強者のスピ、大きな声を出せる人が勝つスピというようなイメージがあります。

この頃は、借金してセミナーに通うというようなことが社会問題となったりもしましたね。

僕自身、そのあたりでいわゆる勝ち組、負け組的な視点でスピの業界を眺めながら、だんだん違和感を感じるようになっていました。

そういう中で、やがて自然農、自然栽培で米を作るというような世界に飛び込んだというわけです。スピには興味はありながらも、少し距離を置きながら、外から観察していた時期ですね。

その頃に、スピの世界に限界を感じて、落ちこぼれた人たちの中から出てきたのが、ノンデュアリティではないかと思います。

すべてはない、何もなかった、意味などない、というような言葉が出てきた時にはちょっと驚きましたね。当時、雲黒○さんのビデオを見ながら、何か時代が大きく進んだような気がしたのを覚えています。

そして、その少し後くらいに、ニーチェの言葉に出会い、ヌーソロジーに出会ったのでした。「人神」や「シリ革」を読みながら、とてつもないものに出会えたと思って、興奮して何日も本を読み続けたのを覚えています。

ヌーソロジーに出会ったのが、2015年でしたから、そろそろ8年が経ったという感じです。そんな中、ようやく朧げながらもヌーソロジーの世界が見えてきて、不動の位置がわかってきたような気 感じがしています。


しかし、統心さんの、スピ3.0とスピ4.0が反転しているという指摘は、今回とても大きな気づきとなりました。

スピ3.0もまた絶対に必要なプロセスだということですからね。3.0がなければ、4.0は絶対理解できないような仕組みになっているのだと思います。

そういう意味では、スピ0.0、スピ1.0、スピ2.0も、誰もが通るべきプロセスなんだと思えば、何も無駄なものはなかったのだと言えるでしょう。

また、今だって、皆それぞれのちょうど良いタイミングで、それぞれが学ぶべきことを学んでいるのだとすれば、すべてはカンナガラの道に通じているのだなと思ったのでした。

日々、なんだかんだとありますが、このスピの歴史を遡りながら、それは自分自身の歴史を遡ることでもありますし、たぶんすべての同時代を生きている人々が辿ろうとしている道でもあるんだろうと思います。

そう思ったら、言葉にならないような感動が湧き上がってきました。ほんと、愛おしく、感謝しかないですね。

今度また踊るときには、これらの全ての僕自身の過去の経験も、さらには他者の経験も、全部を背中に感じて動いてみたいなと思いました。なんと言いますか、そもそも、それが生きることの意味なのかもしれませんね。 

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