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ただいま落下中

たまたま見つけた雅楽の舞。


とても興味深いです。まず、衣装が魅力的。よく見るとバリの衣装との共通点も多く、色使いも形状も似ていてい驚きます。ただ、こちらの方がかなりお高いだろうと思われますが。。。

最初の羽の付いた衣装は着てみたいと思わせてくれる衣装。そう言えばうちにもレゴン用の羽があり、使い方としてはまるで別物だけれど、羽の模様、色使いがとても似ていて、本当に驚きます。爺がこれを着たとしたら、どんな舞になるのか。(笑)

舞自体はどれも振りありきのものではあるけれど、その振りの中に原初舞踏のコロスの動きを思わせるものもあり、おそらく高い身体感覚を持っている人がこの振りで舞うならば、何かが起こるだろうと思われるけれど、この舞手の方々にそれが起こっている気配はないので、あくまでも振りとして踊りを全うされているのだろうと思われ、そこはなんとも歯がゆく感じるところ。

しかし、これだけの装置と衣装、振り、音があるというのは、長い年月の蓄積であるのだということだとあらためて思いました。そういう意味では、バリの踊りもまた、ガムランという豊かな音と、場の力と歴史の蓄積の上に成り立っているのだということが、あらためてわかりますね。

1980年頃のTK氏(僕が最初に師事した舞踏家)が、創作舞踏をいっさいやめてバリの踊りをやると決めたことの意味が、今さらながらにわかるところもあります。あの頃の舞踏の世界はたぶんかなりのカオスだったでしょうし、それよりもはっきりと形のあるバリの踊りが魅力的だったのだと思います。

彼女の言葉で忘れられないのは、「私がやりたいと思うことのほとんどすべてがバリの踊りの中にあるから、それをやった方が早いと思った。」というのがあります。彼女にとってもバリの踊りが目的ではなかったのですね。

たしかに時間が経ったからこそ、深まったこともあると思います。踊りをやめて命懸けで田んぼに全力投球したことも意味のあることだったと思うし、それらの経験の中で、自分の中に培われてきているモノがあって、今、そこが疼いているのも事実ですね。

そういうことも含めて、ただいま落下中なのかも知れません。何度も何度も落下して、どこまで落下するのか、今試しているところと言えるでしょうか。落下するたびに何か余計なものがそぎ落とされていくような気もします。


また、昨日のことですが、「犬王」というアニメの映画をアマゾンプライムで見ました。こちらはその予告編。


なんと「われここにあり」と宣する映画でした。何のために踊るのかという問いは、何を背負うのかということなのかもしれません。先日の原初舞踏の稽古の中で釘付けになりながら、扇に導かれた舞踏は、この犬王にも通ずるような気がします。

無限の空間の中で扇が何をしたかったのか、それは僕が踊りたいと思う以上のものがあったのかもしれません。だから自分では何が起こっているのかわからなかったのかも知れないなと思いました。しかし、さらに落下するにつれてそこがつながってくるような気がします。

まるで夢を思い出すように、先日の稽古場でのひと時のこと、その時の身体の感覚を思い出しながら、また反芻しながらひとりでゾクゾクしています。(笑)

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