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往相と還相

「コロス-彼岸と此岸をつなぐ者ー」という、原初舞踏家の最上和子さんのドキュメンタリー作品を見ていたときに、「往相と還相、往還の思想」という言葉の意味を聞いて、とても衝撃を受けました。

内部に入るってことは、ある意味永遠の世界に参入するってことですよね。永遠とか、無限とかいう、そういう、彼岸とかね、言われてる世界に入り込むっていうことが、内部に入るってことな訳です。これは往く道です。そして、踊り、それを形にしていくってことは、そこからまた引き返してくるってことなんですよ。内部に入ってそこから引き返してきて、またこの世に立ち現れる。これは往相と還相といって、往還の思想って言います。往くと還る。それで踊りっていうのは往くと還る。往きっぱなしじゃ踊りじゃないんです。還ってこなくちゃならない。だからどんなに素晴らしい永遠の世界をかいま見たとしても、この世俗の世界に還ってきて、人前でそれを動いてみせなきゃならないわけ。他者の眼差しの中でね。それは他者と共に生きるってことなんですよ。この現実の社会の中で、他者と共に生きる。だからいったん完璧にピュアになったものをわざわざこの現実に還ってきて汚すんですよ。我が身を汚すわけです。それが芸能っていうものなんですね。

コロス -彼岸と此岸をつなぐ者ーより、一部書き起こし
参照サイト https://fulldome-hiruko.com/

往くだけではなく、引き返す。往くと還る。
往きっぱなしじゃ踊りじゃないというところ。
他者の眼差しの中で、動いてみせなきゃならない。

なんと言いますか、結構な衝撃でした。僕の中に欠落していたのは、この還るというところではないかと、突然つながったんですね。

他者の眼差しの中で動いてみせるということに関して、いつの頃からか、とても消極的になった自分がいたということを思います。

もしかしたら、ただ往くことだけに夢中だった時代というのがあったのかも知れません。ある時から他者の眼差しの中で動くことをやめた自分がいたということを思ったのでした。

なんだかんだ言って、踊りだけでなく、僕はいろんなものをやめてきたわけですが、もしかしたら、還ることに対しての覚悟がなかったからだったんじゃないかと、上の言葉を聞きながら、ふっと思ったのです。

頭をかすめたという感じなのですが、あとからあとからリフレインしてきて、往還の思想ということの意味と、それが生きる上でのとても大事な要素であり、僕にはその覚悟が足りなかったのではないかと思ったのです。

往きっぱなして、伏線を回収することもなく、ほったらかしにしているものがあるのではないかということに、はたと気がついたという感じでしょうか。

だからこうだというような結論は今ここでは出せませんが、とにかくこれを書き残しておきます。

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