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ライトボディーとチャクラと夢と舞踏

ライトボディで扱うセンターの中で、フローニアというのは、どんどん小さくなっていくイメージを重ねていきながら、やがて爆発して、空間そのものが変わってしまうという流れがあります。

この感覚は、ミクロの方向に縮んでいくことで、やがて圧縮されて爆発が起こり、反転した空間に出るという感じで、そこはとても静かな異空間なんですね。

時間のないところに出る感じでもあり、それまでとは明らかに違うところに出たと感じるので本当に興味深いです。

そこに出て初めて、ヴィーのエネルギーに触れるということになるのだけれど、僕の感じだと、ヴィーの中に入るあたりからが、ψ7=球精神に当たるのではないかという感じがします。

ニューヤ、ディンヤ、リャオ、ランシア、トレイーオ、パイーヤ、リナーリというのは、いわゆる第1チャクラから第7チャクラまでのことで、そこまでがしっかり統合されて、初めてフローニアにアクセスする準備が整うというわけです。

そして、ある意味そこから先が、時空の外に出る次元ということになるのかなという感じがします。フローニアで反転空間に入るというようなイメージ。

この夏は、成瀬さんのクンダリニーヨーガから始まって、ヘミシンク、ライトボディの覚醒化についての復習をして、今だからこそわかったことがたくさんあるのですが、しかしこのあたりのことについては簡単には人と共有できない話題なので、相変わらずひとりで試してみるしかない感じではあります。

何のために何をしてるんだろう?というところもありますが、昔からこういうことを探究するのが好きだったわけで、それをいまだにやっているということになりますね。

そんな中、昨日の夢の話がとても印象的で、なんか意味があるなと思ったので、ちょっと考察してみました。

何かの集まりで、理不尽な要求をされる。僕にだけ、4000円にプラスして、さらに30000円支払えとのこと。30000円は理解できないのですぐに断った。
そして、何が起こっているのかについて、まずはこれらのことを明らかにすることが大事というわけで、皆の前で話し始めるというところで目が覚めた。気持ちの上では裁判も辞さずというような思いに駆られていたのが印象的だった。

目が覚めてから、頭の中に浮かんできたのは、過去に出会った理不尽だったと思われる出来事がいくつか。そしてそれに関わった人たちのこと。

それらは僕の立場からすれば、理不尽な要求を受け入れざるを得なかったようなことだったけれど、ただ、そういう状況に対して、自分はとことん戦うということはしなかったなと思います。まあしょうがないということで、受け入れるということをしてきたという感じがします。

それによって大きく影響を受けたこともあったし、いまだに時々思い出してしまうくらいに悔しいと感じるものもあるので、まあ、そういう事態を受け入れて消化できるほどには、僕の人間力は大きくなかったし、未熟だったということだろうと思います。

明け方に、トイレに立った時に、それらのことを思い返していたら、突然とても身体が重たいことに気がつきました。もう立ち上がれないくらいに重たい身体で、何とか無理して今も生きているという感じなんだということを突然思ったのでした。

もうこのまま立ち上がらないままに人生を終えたいというような思いもあるんだなということを感じて、ああ、そうだったのかと思いました。そのくらいに重たかったんだということをまずは受け入れるところからですね。

奇しくも、明日は誕生日なので、今年のソーラーリターンのホロスコープを見たばかりだったんだけど、アセンダントのサビアンが「予期しなかった雷雨」、MCのサビアンが「職務を放棄した兵士」ということで、今までとは違う路線が始まるのかなと、何となく思ったんだよね。

そういう夢を見て、こういうことを考えるというのも、この夏のライトボディの覚醒化の探究をしたことと関係してるかも知れないと思うところもあり、そういう意味では、やはり意味あって起こるべきことが起こるべきタイミングで起こっているんだなということを思います。

聞き分けの良い、できた人間としての自分というのも、ひとつのペルソナに過ぎないのかもしれません。まずは重たさを感じるところからですね。

ここ2~3ヶ月の間、舞踏の稽古の中で、落下についてああだこうだと拘ったのも、このようなことに対してちゃんと向き合って発見したかったからかもしれないなと思います。

重たさというのは何なんでしょうね。重く沈んでいく時にたどり着く場所というのがあって、それがヘミシンクで言えばフォーカス21とか23とか、27なのかもしれません。重く沈んでいるエネルギーを掬い上げるのが死後探索の目的であるとしたら、ヘミシンクでやっていることはある種の菩薩行であるとも言えるし、同時に自己ヒーリングための比喩的な方法とも言えそうです。

そういうことも考えた上で、身体の内側で起こるいろんな動きであるとか、流れであるとか、嵐のような情景であるとか、天国のように美しい風景であるとか、エクスタシーであるとか、それは、音ともにあり、チャクラの振動と共にあり、本当に幽玄な世界なんですよね。

そのエネルギーに触れることで、何か湧き上がってくることもあり、考えてみたら、それを探検して楽しんだり、発見して驚いたりすることが、踊るということのおもしろさなのかも知れないなと思うのでした。

なかなか簡単にできることではないわけだけど、あっちに旅することが好きな人にとっては、毎日の散歩というような感覚で、楽しんでみればいいことなのかも知れないと思ったりもします。

たぶん、そこで起こることも、必要なことが必要なときに起こるのだと考えたら、そんなに大それた事でもないのかも知れませんね。自分がやりたいようにやればいいんだなとあらためて思いました。

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