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「風の遺言」を見ながら思ったこと

今日、初めて会った人から、土方巽を知っているかと聞かれたので、いつものように僕は好きではないと答えた。

しかしそう言いながら、この問題はまだじゅうぶん検証していなかったと思い、YouTube内をしばし探索して、いくつかの動画を見た。

たとえばこれ。
土方巽 - 風の遺言


この中で、土方巽が衰弱体を発見し、そこに光を当て、それを舞台にあげたということは革命的な一歩だったし、必要なプロセスであったと認識した。

やはり暗黒舞踏自体は絶対に好きにはなれないのだけれど、すべてがすべてダメなわけではないことがわかったのは収穫だった。土方巽がいなければ、大野一雄は生まれていなかったはずだしね。

しかし弟子筋の踊りをいくつか見たんだけれど、衰弱体に固執するあまりそれが鎧みたいになってる人が多いような印象がある。

そして何より深刻な問題は内発性が見えないということと、方向性が見えないということ。いつまで闇にいれば気が済むのかと思ってしまう。それでどうだとばかりに見栄を切られても困る。もちろん全てを見たわけではないので、そうでない人もいるのかも知れないけれど、残念ながら今日は見つけられなかった。

そして衰弱体が型となって、そこしか受け継がれていないということは暗黒舞踏の致命的な不足という気がする。

そして私ごとなんだけれど、今は亡きTKが舞踏をやめてバリの踊りを始めた理由がそこにあったのだということがわかって、なるほどとも思ったわけだ。

ある意味、僕自身の履歴にも関係した話だったので、この動画を今見れて良かったと思う。

やはりすべては起こるべくして起こるのだなと思ったのでした。

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