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なにかを諦めて生きる勇気

私には3人の子供がいる。
3人目の子は4月に産まれた。
もう、私にとっては最後の赤ちゃんで、最後のわが子だ。

出産前に、初めての出産を控えた友達に会ったときに、何気なく
「育休あるなら、子供と目一杯ダラダラ過ごしていいと思うよ」と伝えた。

それは、第一子の出産後1歳2ヶ月、第2子の出産後9ヶ月で保育園へ送り出すことになり、復職したときに「子供とのかけがえの無い時間」を痛烈に愛おしく思ったからだった。

ダラダラ過ごせる時間は、本当に貴重だと、心から思っている。

今でも、その気持ちは変わらない。

今、私は、すでに復職していて、上の子達を園へ送り届けてから3人目を連れて職場へ通っている。
いわゆる子連れ勤務だ。
勤務の間でも否応無しにオムツの交換を要請されるし、オッパイの時間はやってくる。
ついでに寝かしつけまであって、最近では伝い歩きをするため監視業務まで増えた。

こんな調子なのに、気持ちよく「一緒に来たらいい」と言ってくれた社長には感謝しかない。

これだけべったりと一緒にいても、きっと来年の4月、私はこの子と離れるときに「絶対にさみしくなる」

”もっと側にいてあげればよかった”

たぶん、それしか思わないはずだ。
今、業務中に彼の用事で手が止まり、業務が中断され、預け先も無いのに、預けて仕事したい、と、ストレスを抱えていることすら、すっかり忘れて。

子供を育てながら成せることは、きっとたくさんあるし、
実際にそうやっている人も、たくさんいる。

成せたことを自分の評価基準にしている人も、幸せの指標にしている人もいるだろう。

第一子妊娠中は成果を上げたい、という気持ちがあったように記憶しているけれど、それより大事なものを見つけた気がしたのは出産後ずいぶん経ってのことだったように記憶している。

テーブルの上に広げたボーロを不器用にそおっと摘んで口まで運ぶわが子を見ながら、抱きしめたくなる衝動に駆られる。

前述の友人には「私は子供がいても諦めたくない」といわれたのだけれど、こんな愛おしい姿に匹敵するほど、成したいことなど私には無い。


もし、その私が「諦めている」と映るのであれば、それは「自分の1番」は、それぞれ違う、ということではないかと思う。

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