それは自分の1番なのか
以前、フリーランスでビジネスをしていたときに、受講していたセミナー講師(ビジネスコンサルタント)から常々言われていたことがある。
「自分の一番(大切なもの)を一番に生きろ」
たくさんの大切なものの中で私たちは生きている。
だからこそ、一番大切なものを常に一番に選択し続ける必要がある。
彼の教えは、いつも少し尖がっていて、時々理解しがたいことがあったけれど、いつも真理をついていて私は大好きだった。(いまも)
彼にもらった言葉の中でも、いまでも、一番好きな言葉が
「一番を一番に」だ。
一番を一番に生きるのは実のところ、とても難しい。
真剣にそれをやればやるほど、いやになる。
それくらい、日常は「一番じゃないことを一番にしないといけない」場面が多いからだ。
些細なことだと「一番は先にお風呂に入りたいけれど、先に洗濯物を畳まないといけない」とか。
そんな些細なことですら「一番を選択する」
それ以外ない。
と、彼は言っていた。
本当は子供がいたって行きたい場所があって、遊びたいことだってある。
だけど、それができない事だってある。
だって、子供だって意思があって、いつもいつもママに付いてきてくれるわけじゃないから。
そんなことが続くと、一瞬、自分ばっかり我慢しているような気になったりするけれど、そんな時に、この言葉は私を強く勇気づけしてくれる言葉となった。
私にとって、何を置いても、子供たちは一番だ。
正直、子供が生まれるまで「子供のために自分の人生を後回しにする人とかホンマしょーもないし、最低」(なんと浅はかで了見の狭いこと)とすら思っていたけれど、今や、すっかり立派な、その「しょーもなく、最低」な部類の人間になってしまった。
ただ、その、しょーもなく最低な私は、いま、毎年、毎月、毎日、最高に幸せやん!を積み重ねさせてもらえていると、実感しているのだから、本当に人生は分からないものだし、人というのは経験のないことは、本当に見えないものなのだとつくづく思う。
「一番を一番にする」ことに慣れていなかった時には毎日「難しい・・」と頭を抱えていた「一番を一番に」
それが、いまでは、私を勇気づける言葉になっている。
一番を一番に。
仕事にかまけていたくなるときや、何かを成し得たい、と、過去を思い出したり、当時、共に学んだ人が成功する姿を見ると、胸がざわついたり、チリチリと奥に湧き上がる気持ちを持つとき・・
そんな時に、いつも思い出すのは「それは自分の1番なのか?」という声。
今のところ、「あ・・・違うかな」という答えしか、私の中からは返ってこない。
「うん、それ一番やな」
そんな言葉が返ってくる頃は、きっと子供たちが、自分という存在を親である私や、社会に向けて主張し、拙いながらも自らの足で歩き始めるときなのだろうと思う。
それまでに、私は、めいっぱい「一番大切な子供たちを一番に生きること」を楽しんでやろうと思っている。
あと10年だろうか、あと15年だろうか。
思っているより短い。
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