エッセイ【毒親から、わたしの身体を奪還する】後編

 

ただ生きるために、生きてきた

 

だって、きっと、いつか……

 

 

【ハッピーエンドになったらすべてを話せる】

 

 

さて、そろそろまとめよう。

……もうまとまるかわからないけれど。

 

 

 

 

ハッピーエンドをちんたら待っている間に、何かよくわからないものに殺されてしまうような気がした。

 

・相手の思い通りに振る舞えず、失敗を注意されると、異常な恐怖に襲われる。

・自分の恐怖心を相手に悟らせないように、『大丈夫』を全身全霊で演じる。

・相手の思い通りに振る舞うための、過剰な緊張、極度の疲労。

 

これをループしている。

 

 

不眠、不安定な食欲、集中力低下、注意散漫、感覚鈍麻、麻痺、思考停止、記憶力低下、動悸、頭痛、腹痛、大丈夫に振舞う笑顔…………限界が来ては、僅かにセルフケアをして、限界が来ては、限界を麻痺させて、生きる。

 

無理だ。

 

日常生活にも、社会生活にも、支障がある。

 

ようやく、映画のようなハッピーエンドなどないと、わかった。

 

だから、こうして、言葉にして、語ることにした。

 

 

 

『わたしの身体は、アンタのものじゃない』

 

『わたしのこころは、アンタのものじゃない』

 

『わたしの人生は、アンタのものじゃない』

 

『わたしは、人形じゃない』

 

『わたしの身体は、わたしの命は、わたしのものだ』

 

『わたしは、生きている』

 

わたしのからだは、わたしのもの。

 

 

 

 

ひとまず、ここまで。

 

【毒親から、わたしの身体を奪還する】

 

このプロセスに関わってくれた仲間たち、友人たち、本当にありがとう。

 

わたしは、今、自由の入り口に立ったような感覚がある。

 

けれども、それで万々歳というわけにはいかない。

 

自分の、心身の反応と、地道に向き合い、ひとつひとつ対処して生きていくのだ。

 

 

――

 

 

このテーマを書き始めたとき、腰が痛かった。

 

でかいアジサイの植え替えをしたからかもしれない。

 

 

身体の要が痛い。

 

心の要が痛い。

 

きっと、そういうことだった。

 

 

書き終えた今は、腰の痛みはない。

 

やっぱりアジサイのでかい鉢を持ち上げたせいだったかも。

 

 

 

ーーー以上。

 

 

 

 

ただ生きている柔らかさに触れ、自分の存在を感じる。

自らをいとおしむ、いつくしむ。

静かに祈る。

 

言葉に尽くせない陰りがある中でも。

わたしは、今、生きていて楽しいです。

 

こうして、今を生きていられることに、感謝を。

身体を通して導いてくれた師匠に、心から感謝を。

 

ありがとうございます。


 

 

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?